和泉流間狂言伝書 校訂  西村  聡     小室有利子     倉持 長子 【凡例】 1、底本は大方、セリフを漢字と平仮名、型付などセリフ以外の部分を漢字と片仮名で表記している。平仮名の中に片仮名、片仮名の中に平仮名が混じることも少なくないが、翻刻に当たっては底本の原則に従い、セリフの仮名は平仮名、セリフ以外の部分の仮名は片仮名で統一した。 2、漢字の異体字や旧字体は、通行の字体や新字体に改めた。ただし、「嶋」「龍」「坐」など若干の異体字・旧字体は底本のままとした。 3、底本には一部、濁点・半濁点を付すことがあるが、翻刻では翻刻担当者の判断で清濁を区別し、濁点・半濁点を付した。 4、漢字の振り仮名は底本のままとし、セリフの漢字には底本どおり片仮名の振り仮名とした。 5、明らかな誤字はルビで(ママ)と記した。 6、底本に句読点はないが、翻刻担当者の判断により適宜句読点を補った。 7、底本で使用される合字は、二字で記した。 8、底本の目次部分は上下二段に記され、小字の注記が付されている。翻刻では小字部分を〔 〕で括り、改行せずに文字の間隔を詰めて表示した。 9、役名表記は、本文と同じ大きさで記した。 10、セリフの初めと終わりは「 」で区切り、底本の「〵」は使用しなかった。 11、「ヿ」は「事」、繰り返し記号は「〳〵」とした。 12、小字・注記・割注・挿入文は〔 〕を付し、本文と同じ大きさで一行に記した。 13、節付が記されている部分は、初めを〽、終わりを〽で区切った。 14、型付が本文の右に記されている場合は、〈 〉に入れ、本文と同じ大きさで本文中に挿入した。 15、判読できない文字はその数だけ「□」に置き換えた。 16、挿図はその位置に【図①】などと記し、末尾に一括して示すこととした。 17、翻刻の担当は以下の通りである。第一冊冒頭~四十一邯鄲(小室有利子)、四十二唐船~第一冊末尾(倉持長子)。第二冊冒頭~四十七浜平直(倉持長子)、四十八鐘引~七十江ノ嶋道者(小室有利子)、放下僧~第二冊末尾(倉持長子)。なお翻刻は小室・倉持作成の原稿をもとに西村聡が補正し、全体の統一を図った。同じく凡例(小室執筆)・解題(倉持執筆)についても西村が加筆修正を行った。 (小室有利子・西村 聡) 『和泉流間狂言伝書』第一冊(表紙題簽なし) 古書也有所不用然此書可規範(第一丁表) 壱  高砂〔万 語間ノ作法 三番ノ脇能〕 二  難波〔万 末社ノ作法 笛ノ仕舞 源太夫〕 三  白楽天〔替ノ諷〕 四  江嶋 五  氷室 六  竹生嶋〔岩飛〕 七  道者 八  白髭〔勧進聖〕 九  嵐山〔猿聟〕 十  加茂〔御田〕 十一 大社〔神子神主〕 十二 鏡御裳濯 十三 玉井〔貝づくし〕 十四 養老〔薬水〕 十五 絵馬 十六 東坊朔 十七  西王母〔鶴亀 鷺 皇帝〕 十八  感陽宮 十九  河水 二十  楊貴妃〔松風〕 廿一  三輪 廿二  天鼓〔海人 藤戸〕 廿三  是界〔雷電〕 廿四  大会 廿五  葛城天狗 廿六  鞍馬天狗 廿七  車僧 廿八  紅葉狩〔飛雲〕 廿九   羅生門〔土蜘 現在鵺 橋弁慶〕 〻   橋弁慶〔弦師〕 三十   長良〔錦戸 建尾 泰山府君〕 卅一  鵜飼〔鵺〕 三十二 舎利 三十三 殺生石 三十四 道成寺 三十五 黒塚 三十六 葵上 三十七 船弁慶 三十八 酒呑童子 三十九 金輪 四十  小鍛冶 四十一 邯鄲 四十二 唐船 四十三 自然居士 四十四 東岸居士 四十五 花月 四十六 放下僧 四十七 望月 四十八 安宅 四十九 東栄 五十  春栄 五十一 芦刈 五二  鉢木〔壇風〕 五三  盛久 五四  七騎落 五五  小督 五六  山姥 五七  貴舟 五八  斑((ママ))女 五九  百万 六十  三井寺 六一  土車 六二  富士太鼓 六三  籠太鼓 六四  籠祇王 六五  雲雀山 六六  道成寺〔宝生流〕 六七  俊寛 壱 高砂 〔語間ノ作法 三番脇能〕 一 烏帽子素袍少サ刀。脇能ノ語間何茂同事。又頭取無トキハ長上下ニテモ不苦。修羅能ノ間何茂狂言上下。実盛一番ハ長上下。葛能破能何茂長上下。但折ニヨリ狂言上下ニテモ可然。語所何茂同事。心持ハ夫々ニ替ルベシ。口伝。 「当浦の者とお尋被成るゝ。罷出承はらばやと存る」ト云トキ一ノ松へヒラク。扨脇ツレ向合テ「当浦の者とお尋はいかやうなる御用にて候ぞ」と云。シカ〳〵有テツレワキヲモ脇ノ前ヘ行「当浦のものを召して来りて候」ト云。ヲモワキシカ〳〵ナシ。間ツレワキニ引ツヾキ、ヲモワキノ前ヘ〔下ニ〕居テ「当浦の者と云て候か。いかやうなる御用にて候ぞ」ト云。夫ヨリシカ〳〵ノ内別義ナシ。語ノトキ正面ヘヒラク。真正面向タルハ悪シ。少ワキノ方ヘ身ヲヒラキテ語ル。語間ノ作法何モ如此。又、狂言ヨリカヽル語間ハ、シテ柱ノ一間程先ヘ出テ、云立有テ語所作法替事ナシ。 一 三番ノ脇能ト云ハ、芳野・佐保山・志賀、右三番ノ間狂言ヨリカヽルヲ秘事トス。昔ハ放生川モ狂言ヨリカヽリタル也。当代ハ何レモ脇ヨリ呼出ストミヘタリ。〔云〕合次第ニスベシ。間書ニハ狂言ヨリカヽル斗ノ様ニ有トモ、脇ヨビ出ストキハ其通。 二 難波 〔万末社ノ作法 笛ノ仕舞 源太夫〕 一 面上リ髭鼻引ノ内。末社頭巾。厚板。水衣。括リ袴。ヨ帯。扇。何モ如此。 太鼓ノ作リ物我前ヘムケ両手ニテ持テ出ル。尤乱序ノ内ナリ。一ノ松ニテ太鼓ヲ正面向ヤウニスジカヘテ置。扨扇ヲヌキ、名乗場ニ行二足引踏留ル。太鼓打切テ名乗ル。何モ末社ノ踏留如此。語ノ内別ノ事ナシ。扨「急ぎ太鼓を直さふと存る」ト云テ橋掛ヘ行、太鼓ヲ持テ出「どこ本がよからふぞ」ト云テ正面ニ置。但置所大夫ニ問ベシ。撥ナドノ事モ大夫ニ問ベシ。 \又太鼓ヲ持出テ初ヨリ正面ニ置、立戻テ語ル仕様モ有。此時ハ後ノシカ〳〵少シカワルベシ。併シ此仕様ハ狂言体ナクテアシヽ。「先お礼を申さばやと存る」ト云テシカ〳〵。「扨〳〵かやうの目出たい事は御ざあるまい」ナドヽ云内ニ少サク一返廻ル。何モ末社如此。但、難波・源大夫二番ハ右ノヤウニ廻ル事ナキモ可然。此心ハ、旅人ニ舞楽ヲ奏シテ慰ト有テ太鼓ヲ直置上ハ、脇ノ居所尋ルヤウハナシ。一ノ松ニ太鼓ヲ置テ語ルトキハ尋テモヨシ。「扨どこ元に御座る事ぞ。爰元ではない」ト云テ左ノ手ヲカザヘ脇ヲ見付テ「やれ〳〵あれにつゝくりと被成て御坐る。何とお礼を申さふか。某のいていなりでお礼は申されまいか。いや〳〵是迄罷出てお礼を申さぬといふ事は有まい。追付お礼申さふ」ト云テ舞台ノ中程ヱ行、下ニ居テ「お礼申候」ト云トキジギヲスル。「是は当社明神の末社」と云事有テ、「何と一曲仕らふずるか。但し仕るまいか」と云事有テ、脇ヲ見テ、「ああ」ト二ツ三ツ云テ、扨ヒライテ「日本一の御機嫌に申合た。よからふと思召やら、ほさきがにこ〳〵とした。頓て一曲仕らふ」ト云テ「目出たかりける時とかや」ト云トキ左右ノ露ヲトル。左リヘ廻リ、大小ノ間ニテ廻リカヘシ、答拝シテ舞ニナル。仕舞付ニアリ。三段舞終、太鼓頭聞、〔サシ廻シ〕。「やら〳〵目出たや〳〵な。かゝるめでたき」ト両手ヲ上正面出ル。「我等がやうなる」ト扇左リヘトリ、逆手ニシテ前ヘ出シ、順ニ大廻リ。大小ノ前行「うたひかなで」ト扇打返シ右ヘトル。サシ〔目附ヘ〕角トリカザヘ順ニ「元の社へ」ト左右拍子ニテ止ル。扨脇ノ前へ出テ「さらばお暇申さふ」ト云テ入ル。又舞留テ直ニ入モアリ。 \笛斗ニテスル仕ヤウアリ。其時ハ尺八ナドヲミルヤウナル竹笛拵、腰ニサシテ出ル。扨脇ニ礼有テ「おなぐさみを申せとの御事により、是迄罷出て御坐る。某はかたのごとく笛の上手で御坐る程に、お慰に笛を吹申さふずるが、何と御ざあらふずるぞ」。「ああ」ト云テ、立テシカ〳〵如常云テ、「めでたかりける時とかや」。大小ノ前ニテ笛ヲヌキ出シ、笛吹ニ如常舞ヲ吹セ、我吹心ニテ舞ナリ。仕舞少々飛心ニテウキ立舞順逆ニ二三返廻リ、左右ノ如ニ面ヲウカビ、ツクボウテ笛ヒシギニテ止ル。其儘立テ「なんぼうよひよい天気にてとびがないて候」ト留テ入。此時ハ脇ヘ暇乞ナシ。 三 白楽天 一 末社出立。語ヤウ舞モ謡モ如常。但此間前後脇ニ礼スル事無物ナシ。\替ノ謡「日本のいげんの心」ト諷タル物トナリ。是ヲ習トスル。「めでたかりける時とかや」ト左右ノ露ヲトル。舞ノ内少モ替事ナシ。但、是ハ笛斗ニテ舞ナリ。又大小斗ニハヤサセテモ苦シカルマジキカ。兎角太鼓ハ不可有ナリ。扨笛吹上テ「酒宴半の春の興〳〵」ト云時、順ノ拍子有。「くもらぬ日かげ長閑にて」ト云トキ、扇サシ目付ヘ行。「君をいわふ千秋の」ト云トキカザヘ廻リ返ス。「松の葉の」ト云トキ扇カザヘ向ヲミル。「ちりうせずして」ト下ヲミル心。「正木のかつら」ト云トキ、スグニ向ヘ出ル。「長居はおそれあり」ト云トキ右ノ足ヲ引、扇ヲ逆手ニ取ナヲス。返シノトキ逆ニ大廻リ。目付柱ニテ廻リ返シ踏込、扇カザヘ順ニ大廻リ。「心の内ぞゆゝしき〳〵」ト云トキ左右ユウケン右留如常。〔カヘシ〕「長居はおそれありと罷申仕り、退出しける末社の神。心のうちぞ」。 四 江嶋 一 面ウソムキ。鵜ノ作物ヲイタヾク。其外常之末社ノ通ナリ。但、本形ハ鵜ノ面ヲ着ナリ。其時ハ鵜ノ作リ物イタダクト云事ナシ。俄ノ能ニテ作物ナラザル時ハ黒キ頭巾見合テキルベシ。 「日本一の御機嫌に申合た」ト云事有テ、「我身のいとくを追付申あげやう」ト云テ「いで〳〵さらば鵜の徳を語申さん」ト云トキ扇開、大小ノ前ヘ行、「地神四代」ト云トキサシテ目附ヘ行、扇カザヘ順ニ大廻リ。「みぎわに御さん屋をたて給ひ」ト云トキ雲ノ扇、脇座ヲミル。「我らは羽にてふかせ給へば」ト扇サイテ逆ニ大廻リ。又ハ「大河」ト云トキ大小ノ前ニテ下ヲ指廻ス。「ふちほらの奥迄も」ト云トキ向ヘ二足程出飛「鯉ふななまず」ト云トキ下ヲミル心。「かづきあげ」ト云トキ頭ニテカヅク仕舞。「すくいあげ」ト云トキ、扇両手ニ持スクウタル仕舞。「ひまなく魚を」ト目付柱ノキハヘ行、小廻リアリ。扇カザヘ順ニ大廻リ。留如常。 五 氷室 一 末社出立。語様如常。「頓て雪を乞ふてお目にかけ候」ト云テ 扇ヒラキアヲヌケ諸手ニテ空ヲマネキ「雪こつ〳〵こ」ヲ云テ、イカニモウイテヲドル。順逆小廻ナドアリ。「雪ころばかし」ト云トキ、扇ヲサシ雪ヲ手ニノセテ丸メル。コロバカスナリ。其内ハ「雪ころばかし」ト云事何程言テモ不苦。「あらつめたや」ト云トキ両手ニ息ヲシカケル。扨又「雪ころばかし」ヲ云テ、後程雪ノ大キウカタマリタルヤウニ手ヲアツカイ、社壇ノ下ヘ納ル雪ヲ押入ル時、「お寺の柿の木にふりやたまれこつ〳〵こ」ト云テ留ル。爰ニテ薄雪乞事モ申。「扨も〳〵神慮の奇特とておびたゝしうふつた事かな」ト云テ下ニ居。「いかに申上候。神慮の奇特、時ならぬ雪の降つもりたるを御覧候らへ」ト云テ其儘諷出ス。「雪をこひ」ト云トキ、扇ヲヒラキ立返シノ時スグニ向ヘ少出ル。「たちまち目前の奇特を見せしめ」トサシテ逆ニ回ル。「是までなりとて彼稀人においとま申」ト云トキ右ノヒザツキ、脇ニ礼ヲスル。「山に登り」ト云時ニ、ズラ〳〵ト目附ヘ行少サク飛心。「谷に下り」ト云トキ扇カサヘ順ニ大廻リ。留如常。 六 竹生嶋 〔岩飛 道者〕 一 カウシ頭巾。水衣。能力出立。水衣ノ袖ニ糸ヲ通シ置、後ニ糸ヲ引出タスキニスル。出様語ノ内、末社同事。「先急ぎお礼を申さばやと存る」ト云テ其儘脇ニ礼ヲスル。此間ハ脇ヲ尋ル事モ廻ル事モ無モノナリ。「霊宝を拝せ申さふ」ト云事有テ、太コ坐ヨリ葛桶ノ蓋ニノセテ持出ル。「是宝蔵のお鍵で御座る」。「是は当社のいぬいの角にせう〳〵したる二俣竹、馬の角、牛のたま」。是一色ハイカニモツコドニ云。「是が天夫の持たれたお数珠で御坐る。かやうな難((ママ))がたい事は御坐あるまい。是はちといたゞかせられい」ト云テ脇三人ヘイカニモ麁相ニイタヾカスル。但立ナガラ。「是が物で御坐る」。是ハ少云様有ベシ。但御前ノ能ニハビナンハヌイデスベシ。差合ナド有トキハ尚以ナリ。分別アルベシ。「中〳〵某が岩飛仕る者にて候間、やがて飛で御目にかけ申さふずるにて候」ト云テ宝物ヲ持入袖ヲアゲ、大小ノ前ニテ「いで〳〵岩飛始んとて」。太コ打切、此間ニイ分((ママ))大小ノ前ニテ玉ダスキトリテモ。此時ハ造物後見ヨリ入ルベシ。惣ジテ舞ニテハナシト心得ベシ。「たかき所にはしり上り」ト正面ヘ出、少飛上ル。「東をみれば」トサシテ脇正面ノ方ヘ行「西をみれば」ト脇坐ノ方ノ上ヲ扇カザシテミル。「入日を招き」ト扇ニテマネキ正面ヱ出ル。「あぶなさうなる岩尾の上より」トサシテ目付ヱ行、扇カザヘ順ニ大廻リ。「水そこに」ト大小ノ前ニテスソヲカラグル仕舞アリ。「づつぷと入にけり」ト正面ヘ飛デ下ニ居ル。水ヘ入タル心。扨其儘立テ「くつさめ〳〵」ト云テ皃ナドナデヽ片ヒザツイテ留ル。 七 道者 一能力装束。語様岩飛同事。「今日も参詣の人を待ふと存る」ト云、作リ物ノ通笛吹ノ上ニ居。道者女壱人先ニ立、男二三人程出ル。尤次第ニテ。女薄ビナン女帯。立衆何モ狂言袴羽織。但頭取ハ羽織ノ上ニ三尺帯スル。次第ナラビヤウ能ノ脇ナドノ次第ノ通。ヲモ名乗ノ内、立衆立テ居ル。道行又元ノ如クナラビ諷フ。「かい津の浦より船にのり、乗行ば程なく」ト常ノ脇ノ仕舞ナドノ如ク向ヘ出、「竹生嶋にも着にけり」ト大小ノ前ニテ仕留ル。「急候程に是ははや竹生嶋に着て御坐る。此所は女人けつかいと申程に、いづれまづ其まゝ舟に御坐れ。某女人の義を尋ませう」ト云。「尤で御坐る」ト云テ立衆橋掛ニナラブ。\能力立テ「参詣の人で御坐るか」と云。「中〳〵参詣のもので御坐る。此所は女人けつかいと承たが、其通で御坐るか」。「いや〳〵夫は知らぬ人の申事で御坐る。してどれぞ女人の御同道か」と云。「中〳〵女共つれて参た」ト云。「夫こそ目出たけれ。少もくるしうない。追付参らせられい」ト云。「近頃満足仕た」ト云テ橋掛ニ行テ「女人の事を尋たれば少もくるしうないとある。いづれも残らず参らせられい」ト云。シカ〳〵云、各脇正面ニナラブ。女ヲ上ニ置、其次ニ頭取。夫ヨリ次第ニナラブ。能力脇坐ノ方ニ居、「いづれも当嶋初ての霊宝あまた御坐るほどに、おがませませう」。「夫は別て難有儀で御坐る。おがみたい」ト云。「安い事」ト云テ笛ノ前ヨリ取出シミスル。但宝物ノ見セヤウ岩飛同事。鍵ハ見スベカラス。少ク見スルガヨシ。扨宝物ヲ納テ「各は天夫のお姿を拝みたふは思召ぬか」ト云。「なる事ならば拝みたう御坐る」ト云。「さあらばおがませませう」ト云テ扇ヲ腰ニサシ爰ニテ鍵ヲ持出、ゴト〳〵 〳〵ト云テ錠ヲ明ル心。扨「ざら〳〵 〳〵」ト云テ扇ヲ両方ヘアケル。扇ヲヒキズルナリ。「心静に拝ませられい」ト云。但鍵ナシニ戸斗明テモ苦カラズ。各神前ヘニジリ寄テ拝ム。頭取「お姿をおがみましてからは一入ありがたふ存る」ト云、各シカ〳〵有ベシ。頭取「ちとふしんが御坐る」。「何事ぞ」ト云。頭「弁才天のだんわにいたゞいて御坐るは何ぞ」ト云。「其事で御坐る。夫婦の中と申事はなんぼう大切な物じやに依て、衆生の民へ見せしめの為ぢやと申が、だんの輪に御坐るは殿子で御坐る。有がたい事では御坐らぬか」ト云。「扨〳〵ありがたい事で御坐る。さあらばはや下向致さふ」ト云。能「近頃残多うぞ御坐れ」ト云ト頭取直に諷出ス。頭「かくて祈念も過ぬれば天夫の姿をよく〳〵見奉れば」ト各見ル体アリ。「我等もとの子をいたゞきて」ト云トキ女立テ男ヲミルテイアリ。扨正面ノ真中ニツクボウテ居ルト、頭取立テ女ノ首ヲマタゲテカタクマニ乗、女立テ順ニ廻、シテ柱ノ先ニテ廻リ返シ、「下向するこそめでたけれ」ト正面デ留ル。 但シ右ノ諷返シヨリ立衆モ諷。「我等も殿子をいたゞきて」ト一句ハ女斗諷モヨシ。 八 白髭 一 勧進聖ノ装束、能力ノ出立、数珠懐中スル。但シ柄杓ヲ右ノ脇ニサス。左ニサシテモ少キ舟左リニカイザホ持添テ出ル。橋掛松ノ所ノ真中ニ舟ヲ置。扨扇ヲヌキ舞台ヘ出テ言立有。如常。「先急ぎ勧進を致ばやと存る」ト云テ右ヘヒラキ橋掛ヘ行、舟ノ真中ニ乗、右ノ足ニテ四角ナル竹ヲフマエ、左ノ足ニテ舞台ヲ踏、カイ棹ニテ櫓ヲサス。舟ヲ足ニテ引ズリ、筋違ニ大臣柱ヘ行、「扨も〳〵今日のやうなよい天気は御坐らぬ。此うららな体では渡海のない事は御ざるまい。まづ是に船をとめて勧進を致さふと存る」ト云テ脇ノ前ニ舟ヲ置下ニ居。道者三人ニテモ四人ニテモ狂言袴羽織。次第ニテ出常ノ如ニ舞台ニナラブ。「むすびし講の末とげて」ヲ諷。頭取名乗有。道行「住なれし」ヲ諷。「足に任せて」ト云トキ頭取向ヘ出ル。「かいづの浦に着にけり」ト云トキ大小ノ前ヘ戻仕留ル。右何レモ能ノ脇仕廻同事。「急候程にかいづの浦に着て御坐る。各是から陸を御ざらうか。船に被成やうか」ト云。「殊の外草臥て御坐る程に船に致さふ」ト云。「さあらば身共存た船頭が御坐る。是に申付けて船を出させませう」。「よふ御坐らふ」。「先かう通らせられい」。立衆脇正面ノ方ニナラブ。頭取上ノ方ヨリ案内乞。舟頭出ル。狂言上下如常。互ニ久敷由ヲ云ベシ。舟「只今は何として登らせられた」ト云。「毎年のごとく当年も清水講結んで若ひ衆を同道申て登た」ト云。「よふこそのぼらせられたれ。まづ身共宅へ寄せられい」。「急程に寄まい。そなたの船にのりたいがならうか」と云。「心得て御坐る。天気もよいほどに追付ふねを出しませう」ト云。「近頃満足致た。さあらば頼」ト云テ立衆ノ上ニナラブ。船頭楽ヤヨリ船ヲ持テ出ル。是ハ大キナル船ヨシ。但舟ノサキニ葛帯ノ様ナル物ニテ綱ヲ付ル。船頭「何ものらせられ」ト云。各乗。船頭舟ノトモニカイ棹ニテ櫓ヲヽシテ「此度の御登りは毎もより早いかとおもふ」ト云。「其通じや。講早ふ成就いたゐたによつて急で登た」ト云。此内聖立テ手ヲカザヘ見付ル。「是ヘ道者舟がくるとみへた。船をよせて勧進を致さふ」ト云テロヲ押テ船ヲ寄スル体ヲスル。「しゝ其船へ物申さふ」。船「何事ぞ」ト云。聖「舟頭どの其船に乗らせられたは同者か」と云。「中〳〵道者じやが何事」ト云。「其事ぢや。是は白髭明神のうはぶきの勧進船じや。志次第に奉加を被成いとおしやつてたもれ」。「心得た」ト云道者ニ其通ヲ云。「是は奉加を致たい物なれども荷物はみな陸をやつたに依て折節ない。其通いふてたもれ」ト云。舟\其通ヲ云。「尤お荷物はくがを遣さりやうずれ共、併一紙半銭によらずくわんじんを致ほどに、少しなり共入させられい」ト云、\其通ヲ云。「にが〳〵敷事なれ共ない」ト云、\其通ヲ云。「いや夫はそなたの取成が悪るさにじや。旅をもなさるゝ人の少もないといふ事が有物か。どふぞよいやうにいふてたもれ」ト云。「でもないと仰らるゝに何といわるゝ物ぞ」ト云。「何がないといふ事は有まい。先おしやれといふに」。舟「くどい事云。ない物が入らるゝ物か」。「やあらあんには物に角をあらして云男じや。扨はおぬしが入さすまいといふ事か」ト云。舟「おんでもない事。此上は有共ないとも身共が入さしませぬ」ト云。「夫は誠か」。シカ〳〵 「真実か」トツメテ又心ヲ取直シ「是はざれ事さあ〳〵入させられいとおしやれ」ト云。舟「いや〳〵何ほどおぬしがやわらいでも入るゝ事はならぬ」ト云。「しておぬしは夫をまことにいふか」ト云。「誠でなふてうそで有ふか」トイフ。「かまへて目に物を見せうがな」ト云。「それは誰か」。「身共が」ト云。「扨も〳〵おかしい事をいふ。おぬしがなりで目に物を見する事はなるまいぞ」ト云。「しかと其通か」ト云。「おんでもない事」。ツメ合テ「くやむな」。男ヲ云ツクボウテ懐ヨリ数珠取出シ「南無水神〳〵」ト云テ正面目附ノ方ヘ筋違テ祈ル。\鮒 面ケントク 厚板クヽリ袴 小袖ツボ折ヨシ。帯黒タレ上ニ鮒ヲカブル。手ニ何モ持タズ左右共ニ袖口ヲ持。早笛。但笛斗ナリ。一ノ松ニ而飛チガヘクワスル。口伝。〔又出羽ニテモ出ル。其時ハ太コ打上テ謡出ス。〕 「ふしぎや沖の方よりも」ト順ノ拍子返シニテ舞台ヘ出ル。「道者に向ひいかれる有様」ト云トキ道者ヲ見ル。イカル心ナリ。「まのあたりなるふしぎさよ」ト云トキ、順ニ廻リ舞働。〔太コ打上。是迄ニテ太コ跡ナシ。又カケリニテモ〕「夫我朝に」ヲ謡、「美物の数は多けれど」ト云トキ順ノ拍子。「鯰のあちこそ勝れたれ」ト云トキ、タツパイ二ツシテ跡タヽム拍子、打切。立衆「道者は是をみるよりも」ト舟ノ内ヨリ謡出ス。「十徳かたびら皆ぬぎつれて」ト云トキ各羽織ヲヌグ。「勧進聖にあたへければ」ト羽織ヲ投遣ル。聖立テ「ちとそふもおかやるまい物を」ト云テ羽織ヲ取入ル。「鮒は悦びおどりはねて」ト云トキ二ツ三ツ飛仕舞。「船を綱を口にくわへて」ト云トキ道者の乗タル舟ノ綱ヲ両手持、正面ヘ出ル。「夫より都にのぼせけり」ト云トキ正面ヲ見送ル仕形。「上壱人より下万民」ト云トキ順ニ大廻リ。常ノ所ニテ仕廻狂言抔ノ通ニ左右、タヽム拍子、飛デ止ル。聖羽織ヲ四角ナル竹ニ掛、舟頭モ両人共ニ舟ヲ持入ル。 但シシテナルニ依テ、聖先ヘ入、舟頭跡ヨリ入ベシ。道者ハ「かたゞの浦に引付テ」ト云所ニテ入ル。又ハ鮒ガ跡ヨリ入テモ。 嵐山 猿聟 一 舅 折烏帽子。モンパ。素袍〔長袴下ヲクヽル。少刀。但モンパニクヽル〕。扇持。但猿ノ面。 一 (空白)(改丁) 九 嵐山 〔猿聟〕 一 舅 猿ノ面。同モンパ。素袍袴〔下ヲクヽル。モンパヱクヽル〕。折烏帽子。少刀。扇持。 聟 右同断。狂言袴クヽリ、掛素袍。 供猿 両方共ニハナシ肩衣。袴クヽル。 聟ノ方樽肴ヲ持スル。其外ニモ似合シキ品ヲ道具ニ持スル。袖ナシハヲリ着。赤手拭ニテハチ巻ナドシタルモヨシ。 右何レモ猿ノ面、毛頭巾ナリ。供猿ハ腰ヨリ上、毛ジユバンノ様物着スべシ。モンパ抔歟。柿色木綿藤色ノジユバンカルサンハ尚以能ナリ。 舅乱序ニテ出ル。供壱人アリ。腰ノ折ヌ様ニ足ヲチヾメ、セイヲヒキウナドシテ出ル。仕ヤウ有ベシ。名乗所舞台ノ真中ナリ。名乗過テ「きや〳〵 〳〵」「太郎官者有か」ト云、「きや〳〵 〳〵」ト云テツクボウ。「聟殿の御出ならばこなたへ申せ」ト云、「きや〳〵  〳〵」ト云テ大小ノ前ニ居ル。舅ハ脇座ニイル。 聟一セイニテ出ル。出様橋掛中程迄ノサ〳〵トホウテ出ル。供ザルモ一二人ホウテ出テヨシ。扨立テ舞台ヘ出、能ノ脇ナドノヤウニ向合テ、「けふまでに」ヲ諷。聟正面向テ名乗アリ。道行如常。「三笠の山の木末なる木葉猿をもさそふなり」ト云時、正面ヘ出「嵐の山に着にけり」ト云トキ大小ノ前ヘモ足拍子一ツ踏テ留ル。扨ハラ〳〵ト橋ガヽリヘ行ナラブ。聟「きや〳〵 〳〵」。太郎官者「きや〳〵 〳〵」。聟ノ前ニツクボウ。「某が来た通をいへ」ト云、「畏た」ト云「きや〳〵 〳〵」ト云テ案内ヲ乞。聟方「きや〳〵 〳〵」ト云テ「案内は誰そ」ト云。「聟殿が参られた」ト云。「心得て御坐る」ト云。舅ニ其通ヲ云。舅「こなたへ申せ」ト云、舅方其通ヲ云。聟方「心得て御坐る」ト云通ル。舅ニ向合テ脇正ヘナヲル。夫ヨリ供ザル次第〳〵ニナラブ。聟方ヨリ樽肴ヲ出ス。舅方請取テ「きや〳〵 〳〵」ト云テ披露スル。聟舅「きや〳〵 〳〵」ト云テジギ有テ舅「お盃を出せ」ト云、舅方「きや〳〵 〳〵」ト云カツラ桶ノフタ扇ヒラキ持出ル。聟舅又「きや〳〵 〳〵」ト云テジギ有テ、舅ノミ聟ヘサス。聟酒ヲウケタルトキ「猿子をいだいて」ヲ諷。扨盃舅ヘ戻ス。舅酒ヲウケタルトキ、ムコ「あかつきの」小歌ヲ諷。舅小歌ノ内ニ酒ヲノミ、盃下ニ置、舅「目出たい折なれは一指舞せられい」ト云、爰ニテ舅方供ザル盃ヲ取テ太コ坐ヘ入、聟「たゞ御免あれ」と云。「ぜんあく目出たう遊せ」ト云、聟「其時目出たやな〳〵」ヲ諷出、立テ大小ノ前ヘ行、下ニ居テ「よろこびに又悦びを重ねけり」ト云時立テ舞心。扇ノ骨一本ツマミ扇ヲサゲテ猿ノ舞心ニイキ〳〵ト面ヅカイシ、チヨコ〳〵ト飛、片足上ゲナドシテ一二遍廻リ、大小ノ前ニトウド下ニ居テ、鼓打上サスル。右舞ノ内斗ハ太コモ有ヘシ。能々云合スベキ所ナリ。大蔵ガヽリニハ舞ナシニスル由也。右舞スマシ、トウド下ニ居、両手ニテ身ヲカク仕舞ナドアルベシ。扨右ノ舞ツヾミ打上次第「酒ゑんなかば」ヲ諷ベシ。此内ハ皆々下ニ居ル。「聟殿のつゝ立上る」ト云トキ、聟立テ右舞ノ内ノ心ニ舞、舅モ立テ相舞ナリ。イロ〳〵面遣ナトシ、トンズ。足ヲ上ツスル面白キ仕ヤウ有ベシ。右相舞ニナルト供ザル皆々立ツ居ツ、或ハ柱ヘノボリツ、又橋掛ノイテノミナド見ル仕舞アリ。物ヲヒロイクロウ仕舞イロ〳〵手クサビヲスル。但手クサビハ右ニモシタルガヨシ。扨「俵を重ねて面〳〵に」ト云トキヨ聟舅舞台ヲコロビ廻ル。「たのしうなるこそ」ト云又立テチヨロ〳〵ト飛「めでたけれ」ト云トキ、トヲド下ニ居テ留ルナリ。聟橋ガヽリ高欄ヲツタウテ入ル。其外立ツホヲツシテ入ル。右ノ仕廻ニ極ナシ。分別スベキモノナリ。「俵をかさねめん〳〵に」ト云トキ各コロブ仕舞。或ハモタレカヽリ行アタリタルナドシタル吉。右コロブ事第一ナル間、二返斗ニテハ仕廻タラズ。五返カ七返カ言合謡ベキナリ。 但、聟一セイ橋ガヽリ松ノ所ニテ諷、又舞台ヘホウテ出、名乗。道行ハ常ノ如ク向合テ諷タルモヨシ。 十 加茂 〔御田〕 一 神職。厚板カ薄。クヽリ袴。白キ露水衣。ナシ打前ヲ折調度掛。コシ帯。赤キ帯。タスキ掛ルヱブリ。但此二品ハ舞台ヘ出置。 \早乙女 箔ビナン女帯。ユカタツマカラゲル。左ノ袖ヘ松葉一クヽリツヽ入ル。 神職乱序ニテ出ル。語ヤウ如常。「早乙女達を呼出、御田を植させ申さばやと存る」ト云テ橋掛向テ呼出ス。笛坐ノ上ニ居ル。渡拍子ニテ早乙女出ル。頭取一ノ松ニテ正面向ト太鼓打上テ謡出ス。「いざ御田植を急がん」ト又渡拍子ニナル。舞台ヘ入、順ニ廻リ橋掛ヘ来テ元ノ通ニナラブ。太コ打上「なわしろの」ヲ諷。「実のるも」返シノトキ神職立テ笑。「さればこそ早乙女達がはやし物出られた。いかに早乙女達」ヲ云。此間替事ナシ。「さあらば水口を祭らする間かた〴〵も其用意をさしませ」ト云テ笛ノ上ヘ入、タスキ掛ヱブリ持。【図①】如是持真中ヘ出ル。早乙女ハ橋掛板付ヘ入、〔ツクボウテ〕右ノユカタノ肩ヲヌギ、左ニ〔松〕葉ヲ持。神職舞台真中ニテ右ノヒザツキ、左リヱブリ扇持サシ出、右ノ手ニテ参リセカ〳〵米ヲマク仕舞二ツ。祭文ヲ云「声をあげ」ト扇タヽミサシ、ヱブ右ニ持立。「植い〳〵早乙女」ト云トキ早乙女ト向合。早乙女ハ祭文ノ内下ニ居ナガラ正面向「田うへは早乙女」ト云所ニテ立、橋ガヽリニ并ビ居ル。「苗代におり」立ト順ノ拍子。「笠買ふて着せふぞ」ト向合、早乙女ヲ見ル心。「かさ買ふてたふるゝは」ト順ニ小廻リ。早乙女ハ舞台正面真中ヨリシテ柱ヘ筋違ニナラビツクボウテ松葉ヲ少ヅヽ右ノ手ヱ取合植ル。仕廻二度直ニ留ヨリ元ノ橋ガヽリヘナラブ。神「猶をも田をば」ト拍子。「いかに早乙女」ト向合、扨正面向富岡山トヱブリニテサシ小廻リ。「花の咲た見たるか」ト脇座ノ上ヲ見ル。直ニ拍。「八千代をかさね」。拍子「いかに早乙女」ト云所ハ何レモ向合ナリ。「早苗とる」。サシ廻「手をとるぞ」ト云トキヱブリノ先ヘ左リノ手ヲカケル。「おかしき〔当ル〕」トタヽム拍子。「とつたらば」ト拍子。「早苗とる」トサシ廻シ「山田のかけひ」トヱブリヲフリ直シ、左ノ手ニ持ソヘ「もりに」ト云トキ右ヱグワツシテ右ノヒザヲツキ其マヽ立テ「のりにけり」ノケノ字ニ当テタヽム拍子。「引しめるわ」右同事。シテ小廻リナド有。「さつきのさ女房」ト云トキ早乙女ノ前ヘ出ル。「春の鴬」ト云トキ空ヲミテ順ニ廻ル。「声くらべせう」右同事。シテ拍子有。「いかに早乙女けせうぶみかほしいか」ト云トキヱブリノ先ヘ左リノ手ヲカケテ早乙女ヲ見ル。「けしやう文」右同事。シテ小廻ナドアリ。「けしやうぶみとつたり」ト云トキ早乙女ヲ見クラブル体アリ。「何かせうぞみめわる」ト云トキ、早乙女ノ内悪女ニミユルヲ袖ヲトリテ引出ス。「つらにくい男と」云トキ各松葉ヲシテニ打ツクル。シテニゲテ脇正面ノ方ヨリ舞台ノ外ヱ身ヲ出シ目付柱ニダキツキ顔ヲシカメテカヾム。又目付柱ノキワニヱブリヲ立テツクボウテ居ル仕ヤウモ有。早乙女松葉ヲ打ツケテ「いふたことのはらだち」ト云トキ又モトノ所ヱナヲル。「まことに腹が立ならば」ト云トキ本ノ所ニナヲリ「水鏡を見よ」ト云トキ正面ノ下ヲサス。「早乙女のかげうつす」右同事。シテ拍子アリ。「かゞみは見たり共」ト云トキスヂカヘニサラ〳〵ト正面ヱ出テ下ヲミル。「かほはよごれたり」ト云トキヱブリノ先ニテ早乙女共ノ顔ヲサイテ直ニ左ヱ廻ル。「かほはよごれたり共」ト右同事。シテ小廻リアリ。「いかに早乙女」ト云トキ拍子アリ。「此所の山〳〵」ト云トキ、正面ノ上ヲサシ逆ニマワル。「花の咲た見たるか」ト云トキヱブリノ先ヱ左リノ手ヲカクル。「実きつとみたれば」ト云トキ、ビナンノ右斗上脇正面ヲ見ル仕マイシテ拍子。「あふめでたや」ト云トキ早乙女ヲミル仕舞。「目出たや」ト云トキシテ右同事。「げにめでたかりけり」ヲ云内拍子。「目出たき御世には」ヲアマリ早〳〵ト謡タルハ悪シ。次第ニ諷ノツマルガ吉。「めでたき御代には千乗万ぜう富ふれり。ふれりやふれり」ヲ云テ松葉ヲハラリ〳〵ト上ヱマイテ楽ヤヱ入。 シテ早乙女ノ橋ガヽリヘ行内ハ小廻リニテシテ柱ヲハナレタルヲ見テ左ノ足ヲ引テ見送リ、スラ〳〵トシテ柱ノワキ迄行、右ノ足ヲ引、左ノ手ヲカザヘ見送リ、扨両手ニテヱブリヲマワシ右ノ足ヲ上一返廻ル。此内ニシヤギリ。扨大小ノ前ニテ小廻リナドシテ笛次第ニヱブリヲカタゲ臥シテ留ル。常ノ如クナリ。 十一 大社 〔神子神主〕 一 神職出立 加茂同事。但ウコンノ水衣然ルベシ。神子白キ水衣キルユヱナリ。 神子ノ出立 薄ビナン如常。女白キ水衣ツボ折ノヤウニ前ヲハサム。 神職乱序ニテ出ル。語ヤウ如常。「彼稀人にお礼申さばやと存る」ト云テ脇ノ前江行下ニ居テ「是は当社明神に仕申神職の者にて候」ヲ云シカ〳〵ノ内別事ナシ。「さあらば神子達を呼出し御(ミ)神楽を参らせふずるにて候」ト云テシテ柱ノキワヘ行、楽ヤ向テ「いかに市どのゝ申」ヲ云テ呼出。神子出テ「何と御神楽の御所望の候か」ト云。爰ノシカ〳〵別ノ事ナシ。立ナガラ云。神職「さあらば我等も目出たふはやし申さふ」ト云。神子「さあらばはやして給り候へ」ト云、太鼓ノ後ヘ入、鈴ヲ持テ舞台ノ真中ヘ出ル。左リニハ何モ持ヌ也。神職モ太鼓ノ後ヨリ小鼓ヲ持出、シテ柱ノキワニ下ニ居テ、神子「あふはるかなる」ヲ云鈴ヨリ替リ神楽ニナル。舞様左リノ手モ鈴モ差上、順逆ニ二三返小廻リシテ立ナガラ鈴ヲ早メ納ル。神職右ノ神楽ノ内、小鼓ヲ左右ノ肩ヘアゲツ、又ヒザノ上ニ置ツナドシテヲツ斗ニテハヤス。打様ウキテダウケタルガ吉。神子「あふ目出たやな〳〵」ヲ云テ「思ふ所望かなへ給ふめでたやな」ト云トキ乱序ナドノヤウニ太鼓打出ス。神楽ニナル。但此神楽ハ初ヨリカロク有ベシ。仕ヤウ右ト同事。神職ハヤシナガラ、ウイテ立トシヤ切ニナル。ハシリコギニテ一返廻リ、神子神主二人シテ留ル。如常。但鈴モ鼓モ舞納メタル所ヘ下ニ置テ入ル。又シヤ切ニナルト神子先ヘ入、神職斗ニテ留仕ヤウモ有ベキカ。 右狂言神楽囃子方狂言方秘事ナリ。口伝。但弥太郎方ニテハ神楽ノ内神職トヒヤウシニテハヤス由。是モ可然ナリ。 ◯ワキ掛合ナキトキ参詣人長上下ニテ出ル。但シ乱序ニテ出「かやうに候ものは此当りに住居する者にて候。去程に当十月は他国には神無月と申に当国に限り神有月と申事、是当社の神秘なるよし申候。今日は社参致し神主殿の御目にかゝり神有月謂をも委敷尋申、御神楽をもあげ申さばやと存る」。廻ル。「誠にかやうに相替らず神無月の御神事に逢ひ申事、別てめでたふ存る。や。参ほどに大社にて候」。下ニ居テ拝ム。「あら有難や候。や。神主殿の御見へ無候。急ぎ呼出し御神楽をあげ申さばやと存る」。楽ヤ向テ「いかに神主殿の御入候歟」。「誰にて渡り候ぞ。や。相替候らず御参りにて候よ」。「少用の事候らひて遅はり申て候」。「誠にこなたの事は信心おこたらず御参詣候ゆへ前々よりも手前うとくにならせられ、子孫までも繁昌にて目出度ふ候」。「扨神主どのへ尋申度事の候」。「夫はいかやうなる事にて候ぞ」。「其事にて候。当月は他国にては神無月と申に、此出雲の国に限り神有月と申事如何やうなる事にて候ぞ」。「是は当社の神秘にて候得共、御尋にて候間、某存たる通御物語申さふずるにて候」。「承り候べし」。 「先今月神有月の御神事と申は日本六十六ヶ国の大神小神此大社に集り給ひ、猶も天下安全国土長久を守り、又は夫婦陰陽の道をも御定被成候。去間日本の神〳〵社〳〵へ御帰りは今月末つかたの事なるが、向ひにみへたる山は神上の山と申て神山にて候が、神の御帰りの時節天竺より影向の神にはやとの御神と申が、あの山にあがり榊の枝を振り給へば、夫を御暇乞にて神〳〵は他国へ帰玉ふ。是御祭礼の謂なり。されば当社へ御参詣あり、神有月の御神事に逢玉ふ人は二世の願に叶ひ、おのづから日本国中の神〳〵へあゆみをはこび玉ふにひとしきと申は、此謂にて候。先神有月のいわれはかくの分にて候。なんぼう難有き御事にては候はぬか」。「近比有難御物語にて候。扨御神楽を上げ申度候よ」。「さあらば市どのを呼出し申さふずる間、しばらく夫に御待候へ」。「心得申て候」。笛ノ上ニ居ル。 「いかに市どのへ申候。御神楽の御所望にて候間、急ぎ参られ候へ」。「童を御呼候は何事にて候ぞ」。「神楽の御所望にて候間、御神楽を参らせられ候へ」。「いかにも心得ました。身拵をして上げませふ。こなたも友に神慮をすゞしめさせられ」。「心得ておりやる」。二人共太鼓坐ヘ入、神子鈴持舞台ノ真中ヘ出カタヒザキウツムイテ謡出ス。神主タスキ上シテ柱ノ先ニスジカヘテトヒヤウシ鼓ニ合セテ打。「あふはるかなる」ヲ云テ神楽替ル事ナシ。後立ナガラ謡。「只今御神楽のかんなふによって猶も天下安全長久に守らせ玉ふ。めでたやな」。神楽替ル事ナシ。シヤ切ニテ留ル。 但シ昔ハ大鼓太コモアシラウトミヘタリ。近代小鼓斗ナリ。 十二 鏡御裳濯 一 神職ノ出立加茂同事。道者狂袴羽織 神職乱序ニテ出ル。語ノ内如常。「今日も神前に有て参宮の人々を相待申さばやと存る」ト云テ笛ノ上ニ居ル。道者次第ニテ出ル。「むすびし講」ヲ謡、頭取正面向テ名乗有。又本ノ如ク並テ道行諷「道をはるかにゆく程に」と云トキ正面ヘ出ル。「山田にはやく着にけり」ト云テ大小ノ前ニテ留ル。右何レモ能ノ脇ノ仕ヤウト同事。「急候程に伊勢の山田に着て御坐る。いづれも参宮めさりやうか。又お草臥ならば先宿へおりやらうか」ト云。「いや左程くたびれも致さぬほどに先参宮致たい」ト云。「さあらばこうおりやれ」ト云テ脇正面の方ヘ頭取ナヲ少出ル心持アリ。\神職立テ「是はどれからの御参宮ぞ」ト云。「東国がたの者で御坐る。初て参宮仕る」ト云。「やれ〳〵夫は奇特なお心ざしじや。それならば先追付宮めぐりさせられまいか」ト云。「忝い。御案内者を頼まいらする」ト云。「是へ御坐れ」ト云テ正面ヘ少出テ「是が則内宮で御坐る」ト云。「扨〳〵有がたい宮だちかな」ト云、各扇ヲシキ拝ム。「何と祈念をさせられたか」ト云。「中〳〵」ト云。「さあらば外宮へ御供申さふ」ト云少サク廻ル。頭取「年月の望がかなふて嬉しくはおもはしまさぬか」ト云、各「是に過た嬉しい事はおりない」ト云。神職又正面ヲ教テ「是が外宮で御坐る」ト云前ノゴトクニ拝ム。シカ〳〵有ベシ。但内宮外宮トワケズニ「是が本社で御坐る」ト云テ一所ニ拝スル仕ヤウモアリ。「しておの〳〵はお宿が御坐るか」ト云「初てじやに依て宿も御坐らぬ」ト云。「さあらば某がお宿を仕らう。かう通らせられい」ト云、各シカ〳〵地謡ノ前ニナラブ。神職脇正面ノ方ニナヲリテ「定ておくたびれで御坐ふ」ト云。「さふも御坐ない。重て参宮仕たらばこなたを宿に致さふ」ト云。「必さい〳〵参宮させられい」ト云。「いざ下向致さふ」ト云。「是は余り急な事じや。先今日は逗留させられい」ト云「いづれも用の有者共で御坐るほどに、先此度は下向致さふず。又来春は早〳〵参宮仕らう」ト云「近頃お名残おしうこそ御坐れ。来春は必待まいらする」ト云。「中〳〵頓て参てお礼申さふ」ト云。「神職大夫は是を見るよりも」ヲ謡出シ「さらばみやげを参らせんとて」ト云トキ太コ坐ヘ入、カヅラ桶ノフタニ、ヲハライ、フノリ。\ノシ紙袋ナドヲ入テ持出、謡ノ内ニ同者ヘ順ニヤル。道者取テ懐中スル。神職ハ土産ヲヤリテ太鼓ノ坐ヘ入「末はんぜうに祝ひ納」ト云トキ各立テ楽ヤヘ入「下向するこそめでたけれ」ト云トキ頭取壱人扇ナシニ拍子フンデ仕留テ入。 宮廻リノ時 \イザウノ宮 \ナコノ若宮 \四所ノ別宮 \月ヨミ \日ヨミ \天ノ岩戸 其外ニモ宮〳〵ナドヲシヘ面白スベシ。右ノ分斗ニテハ余間ニ興ナシ。分別アルベシ。 十三 玉井 〔貝ヅクシ〕 一 サヾイ面、上リヒゲ、末社頭巾、ソバツギ、クヽリ袴。立衆大勢。面ケントク、ウソフキ。小袖壺折、水衣、末社頭巾。右何レモ思ヒ〳〵ニ出立ベシ。上郎貝、面乙、ヲヽイカツ、小袖赤キ帯、女ノ出立ナリ。 頭取乱序ニテ出ル。「海中に住さヾいの精」ト云トキ各出テ頭取ノ右ノ方ニ居ル。頭取語ノ内ニ立衆「□事のめでたし」抔返答スル。語モ雑談ノヤウニ云。語過テ「いざこち衆もいわふて酒を呑まいか」ト云。「何か扨此めでたい時節にのまぬといふ事が有ものか。いざのもふ」ト云。「さあらばまづ下に居さしめ」ト云、頭取脇座ノ方ヘ上ニイル。夫ヨリ次第〳〵ニナラブ。上郎貝ハ脇正面ノハシニナラブ。 正面 【図②】ナラビヤウ如是。 頭取扇ヒラキ一ペン酌ヲシテ「かゝる面白き折から某などの酌ではすまぬ程に女郎貝酌をめされ」ト云。「是はよふ心がついた。よからう」ト云。女「心得ました」ト云テ扇ヒラキ頭取ヨリ一返酒ヲモル。右酒ヲ呑内各シカ〳〵有ベシ。「かほど目出たい折なれば、いざ此躰を一ふし諷ていなふ」ト云。「一段とよからう」ト云。頭取「酒宴をなして」ヲ謡出ス。返ノトキ各立テ扇ヒラク。「あわび貝を盃にさだめ」ト云トキアワビヲミル。「いたら貝の」ト云トキ右ノ心。「みめよき蛤の女郎貝」ト云トキ女ヲサス。「お酌をとらせ」ト云トキ小廻リ。「すだれ貝掛ならべ」ト云トキ正面ヲサシ引。「軒ばの桜がい」ト云トキ目付柱ノ角ヲサイテ出ル。「紅梅にきなく」ト云トキ小廻リ。「鴬のとり貝」ト云トキカザヘテ順ニ大廻リ。「月も赤貝」ト云トキ正面ヲカザヘテ見ル。「くもらぬ時をふうく(〇)う(○)ほ(〇)ら〇か〇いは」。拍子「天地仁のさゞいとなりて」ト云トキヨリ頭取壱人少サク廻リ返シテ左右ノ後右斗ニテタツパイ拍子フンデ留ル。常ノ末社ノ留ト同事。 十四 養老 〔薬水〕 一 面祖父、嶋((ママ))ナドノ角頭巾。狂言袴。又小袖ツボ折テ二三人出タルモ吉。杖ヲツク。何モ同事。 頭取腰ヲカヾメテ出ル。名乗ノ内ニ立衆出ル。出ヤウ右ノ心。頭取ノ左右ニ居ル。語ヤウ両方ヘ心ヲ付テ雑談ノ様ニ云。立衆ノアシライモ右ノ心ナリ。頭取「是程年寄て水をのふでもいらぬ事じやとおもへども〔今〕此世に生れあふてのまぬもいかゞぢや。いざのまふ」ト云。「いや〳〵此年になつて何の望があらう。のむまい」ト云。「いやそふではない。此めでたい水をのまぬといふ事は有まい程に先そつとのふでみやう」ト云。「そふあらばのまふか」ト云。「おんでもない事のまいでは」ト云テ「いで〳〵水をのまんとて」ヲ謡出ス。返ノ時各杖ヲステヽ扇開ユブ〳〵トシテ正面ヘ出、杖ヲステタルユヱヨロツク心。謡ニ合セテ水ヲウケテ呑。「ひげのあたりがぞゝめきわたりて本の黒髭と成たりけり」。「是はいかな事。そなたのひげは黒うなつた」ト云。「いやおぬしのもくろうなつた」ト云。「扨も〳〵奇特な事ぢや」。「いざさらば迚の事に最卒とのまふ」ト云。「なを〳〵水」ヲ謡出。各右ノ心ニノム。「本の黒かみと成たりけり」ト云トキ各アタマヲ振テミル仕舞アリ。「三盃のめば」ト云トキ右ノ心ニ呑仕舞。「かゞめる腰もすぐになる」ト云トキイカニモキヨヲニ立ノビル。「あまりに多くのむならば」ト云トキ立衆入ル。頭取壱人右ヘ廻リ「本の赤子になりやせん」ト云トキ扇ヲカザヘ廻リ返シ左右ノ後右斗ニテタツパイシテ留ル。末社ノ留ト同事。 右ノ間乱序ノ時スル。老人ノ頭巾東坊朔ナドノヤウニ頭巾ヌギ、下ニ黒キ頭巾ナドキテスベキナリ。分別有ベシ。 十五 絵馬 〔鬼〕 一 面ブアク。クヽリ袴。厚板。ツボ折。鬼頭巾。三尺斗柄ノアル槌カタゲテ出ル。立衆ノ装束同事。 頭取乱序ニテ出ル。語ヤウ替事ナシ。「いつものごとく我君へ御たから物を捧げ申さばやと存る」ト云テ左リヘ身ヲヒラキ橋ガヽリノキワヘ行、「皆承れ」ヲ云。「其分心得候へ〳〵」ヲ云テ笛ノ上ニ居ル。 立衆鬼大勢渡拍子ニテ出ル。「みたから物をさゝげん」ト云、返ノ時頭取立テ「やれ〳〵みなよふ出られた。めでたい事があるを語て聞せう。こちへ通られい」ト云脇坐ノ方ヘナヲル。立衆脇正面ノ方ニナラブ。語ノ内替ル事ナシ。「いつ〳〵よりもめでたいじゆもんをもつて此君へ御たから物さゝげやうと思ふが、いづれも何と思ふぞ」ト云「尤でこそあれ。当年は何事も思し召まゝでめでたい時節じや程に一段とよからう」ト云。「さあらば是へ通られい」ト云テ頭取真中ヘナヲル。立衆半分脇坐ヘ行、頭取ノ左右ニ居ル。立衆ハ前後立テ居ル。頭取壱人舞「宝来の嶋なる〳〵」ヲ謡出ス。「かくれがさ、かくれみの、打出の小づち」ト云迄順ノ拍子フミツメテ「しよぎよむじやうしよ〳〵」ト云トキ小廻リ。「ぐわつし国に」ト云トキ頭取正面ヘ出ル。爰ニテ立衆モ正面ヱ少シ出テ「ぐわつ」ト云トキ各ツクボウテ一度ニ下ヲ打。「打出したるたからを手ごとにもちて我君に」ト云トキ各槌ヲ横ニ持正面ヱ出ツクボウテ槌ヲ下ニヲク体ヲシテ、又元ノ如ク槌ヲカクケテ立衆ハ入ル。頭取壱人残テ「捧申ぞ有難き」ト云トキシテ柱ノキハヘ行拍子ヲ踏テ仕留ル。此仕様ヨシ。  但、ジユモンヲ立衆相舞ニモスル。其時ハ頭取ノ仕廻ナシニバラ〳〵ト入ベシ。又「御たから物我君に」ト云トキ槌ヲ舞台ヱ置テ入モアリ。〔是ハ狂言トチガイ間ナレバ舞台ニ置アシヽ。〕 十六 東坊朔 一 官人ノ出立。末社頭巾。ソバツギ。クヽリ袴。コシ帯。作物デ出ル。口明出ヤウ云立常ノ通。云立済大コ座ヘ入。大夫「奏聞申さうづる」ト云テヨビ出ス。其時出テシカ〳〵別ノ事ナシ。扨大臣其通ヲ云。大臣ハ笛ノ上ニイル。官人ノアシライ是迄ナリ。 ◯仙人出立。面上リヒゲハナ引。末社頭巾。ソバツギ。水衣。狂言袴クヽル。 ◯桃仁出立。面上リヒゲ。小袖ツボ折。クヽリ袴。シブカミニテスル。上ヲ大キウシテ二三ベンカブル。仙人乱序ニテ出ル。名乗ノ内立衆大勢出テ左右ニイル。頭取語左右ヘ心ヲ付テ雑談ノ様ニ云。立衆ノ返答モ右同事。「か様の目出たい折から是へ罷出て彼桃仁の姿を一目見て成とも弥寿命をたもつやうにと思ふが各は何と思ふぞ」ト云。「まことにそちが云通りじや。是は一段とよからう」ト云。「どこやらにぎやかな音がするかとおもふ」ト云。「誠に申物のいさふたおとがする」ト云。「いざさらば是にやすらわふ。こふ通らしめ」ト云。「心得た」ト云テ脇座ノ方ニナラブ。 桃仁一セイニテ出ル。一ノ松ニテ名乗。仙人イツレテ名乗ノ内ニ立テ頭取詞カクル。「是へ出られたはいかやうなる人ぞ」ト云。「是は西王母てうあいの桃の精じや。おの〳〵是へ御出なり。其上めでたい折なれば是まで罷出た」ト云。「近比きどくを承る。さあらば我等ごときもいよ〳〵寿命をたもつやうにちとねぶりたいが何と有ふ」ト云。「是はめいわくじや中〳〵成まい」ト云。「今此時に生れあふこそ幸なれ。善悪ねぶりたい」ト云。立衆モ「ねぶられてたもらふならば満足」ト云。「夫程望におもはしまさば兎もかくも」ト云。「近頃満足した。先かう通らしませ」。「心得た」ト云テ舞台ヘ出テ真中ニ立テイル。 其内ニ頭取「いで〳〵さらば」ヲ謡出ス。「まづ我先にとすゝみけり」ト云桃仁ノ左右ニツクボウテイノル。「其時桃仁ひざまづいて」ト云トキツクボウ。「かふべをかたぶけ待かけければ」ト云トキ両ノ手ヲツキ首ヲサシ出。「おの〳〵舌をさし出し」ト云トキ各桃仁ノソバヨリネブル仕舞。但シツクボウテ「かしらはちいさく成ぬれど」ト云トキ桃仁頭巾ヲ一ツ二ツヌイデウシロヘナグル。扨カシラヲ振ル仕舞アルベシ。「いのちはながき桃仁の」ト云トキ桃仁立扇ヲヒラキ見付柱ノ角ヘ出カザヘ順ニ廻リ、末社ノ如ク仕留テ入ル。仙人跡ヨリ入。但桃仁立タルトキ先ヘ入モクルシカルマジ。 十七 西王母 〔鶴亀 鷺 皇帝〕 一 官人ノ出立。末社頭巾。ソバツギ。クヽリ袴如常。 右何レモ口明作リ物出テカラ出ル。云立ノ所如常。云立過テ太鼓座ニ居。大夫中入過テ又右ノ所ニテ□□アリ。別ノ事ナシ。残三番ハ云立斗ニテ入ル。 右官人ノ類此外ニモ申何レモ右ノ通。 十八 感陽宮 一 官人出立。如前同事。口明。作リ物出テカラ出ル。云立如常。云立過テ太鼓座ヘ入ル。 脇下ヨリ案内ヲ乞。「しや〳〵 〳〵 〳〵」ナドヽハヤ口ニ唐音ヲ云々立、「案内とは誰にて」ヲ云。シカ〳〵別ノ事ナシ。扨大臣ニ其通ヲ云。大臣ノシカ〳〵請テ脇ニ云。剣ヲ預カル。脇左リノ方ヘ柄ヲナシテ渡ス。狂言両手ニテ交エ主ノ太刀ヲ持ヤウニフリ直シ、右片手ニテ持。春永ナドノ如クナリ。是ハ太刀トハ云ズ御剣(ケン)ト云物ナリ。 十九 河水 一 官人出立前ト同事。口開、作物出テカラ出ル。云立過テ太コ坐ニ居ル。但云立過テスグガクヤヘ入テモヨシ。是迄ナリ。 ◯後ノ官人出立。前ニ同。脇ノ供シテ出ル。脇ヨビ出「御前に候」ト云テ出ル。シカ〳〵別事ナシ。扨大臣ノ前ニ行、使ノ趣ヲ云テ又戻ル時シカ〳〵アリ。目出度趣ヲ云。扨脇ニ其通ヲ云テ太コ坐ヘ居。 ◯蛸 面上リヒゲハナ引。水衣ソバツギノ内クヽリ袴。末社頭巾。下リハニテ出、頭取一人サキヘ出ル。跡ヨリ太コヲ荷テ出ル。此太コノ中ニ人ノ居ル由ナリ。三人カ四人ニテ荷テ出ル。又二人ニテモ不苦。橋ガヽリ一ノ松ニテ「おさまれる」ヲ謡。ウタヒ過テ頭取「いかに奏聞申候」ト云内残ノ鱗ハ其マヽ橋ガヽリニ居。頭取ト大臣ノシカ〳〵替事ナシ。大臣官人ヲヨビ出、「此者共に酒をすゝめい」ト云。官人「畏て候」ト云テ太コ坐ヘ入ト鱗太コヲ荷テ舞台ヘ出ル。正面ニ置。但置居ハ大夫ニ問ベシ。扨太コヲ置テ各脇正面ニナラブ。官人扇ヲヒラキ持出テ一ペン酒ヲモル。「かやうに御酒を下され候上は我身のいせいを申一かなでかなでゝ帰らふ」ト云テ謡出ス。此能余リ大キナルユヘ舞ナシ。「やら〳〵めでたや」ト謡出シタルガ可能。鱗大勢相舞ナリ。又頭取壱人ニテ舞モスル。其時ハ残ノ鱗、頭取謡出ト入ベシ。頭取舞ヲマウトキハ常ノ末社ト同事ナリ。「やら〳〵めでたやめでたいは」ト云トキ小廻リ。「七こんまでもお肴とて」ト云トキ、スグニ向ヘ出ル。「めし出さるゝ賞翫の品〳〵」ト云トキ右ノ足ヲ引、扇ヲ前ニ返、逆手ニ持。「うしおにうけいり」ト云トキ目付ヘ行、カザヘ順ニ大廻リ。「いさゞいなんととて」ト云トキ又スグニ向ヘ出ル。「衣装をたちうを」ト云トキ両ノ袖ヲミル。「月もせいごに入かとなれば」ト云トキ扇ヲカザヘテ空ヲミル。返ノ時目付ヘ行扇ヲカザヱ順ニ廻リ返、常ノ末社ノ通ニ仕留ル。 ◯但相舞ノ時ハ「月もせいごに入かとなれば」ト空ヲミテ残ノ鱗ハ入、頭取壱人仕留ルナリ。 後ノ大臣官人ヲヨビ出ス。官人出ル。シカ〳〵別ノ事ナシ。「畏て候」ト云テ立テガクヤノ方向テ「や。夫は誠か。やれ〳〵にが〳〵敷事かな」ト云テ大臣ヘシカ〳〵有テ入。〔此能余珍敷故アマリ慥ニハ不識。ヨク〳〵云合スベシ〕 鱗持出ル太コハ大夫方ノ作物ナリ。 二十 楊貴妃 〔松風〕 一 脇案内乞。狂言下ヨリ出ル。太コノ先ニテ云。別ノ事ナシ。松風語ノ内ハ正面ムク。カヤウノ類、長上下ニテ語。 二十一 三輪 〔長上下〕 名乗ノ所如常立テ語ル。イカニモ静ニ少モ出ル。「神前に付た」ト云トキ左リヘ身ヲヒラキ其マヽ下ニ居ル。作物ヲ拝、扨立テ衣ノ不審ヲ云。夫ヨリ脇ノ前ヘ下ニ居テ、語間ノ心ナリ。其外所作替事ナシ。但語ノ内真スグニ向ヘ出、目付ノ方ヨリ作リ物ト向合スヤウニ留。語ノ内廻ル事ハナキ事ナリ。 二十二 天鼓 〔海人 藤戸〕 一 狂言上下。但、海人ハ語有ユヘニ管絃ノ役ノゾマヌガヨシ。其時ハ長上下ナリ。狂言出テ太コノ座ニ居。脇呼出ス。脇正面ノ方、大夫ヨリ向ヱ出テ、片ヒザツイテ「御前に」ト云。脇シカ〳〵。「畏て候」ト云テ大夫ノ後ヱ行、ツクボウテ大夫ノ後口ヲ両手ニテカヽエ「先おたちやれ」ト云テ静ニシカ〳〵ヲ云テ、シテ柱ノキワ迄行、「先私宅に帰られや」ト云テ大夫ノ入ヲ見送ル心アリ。但、脇ノヨビ出事モ狂言出モ早ク間ノヌケヌヨウニスル物ナリ。大夫ホサルヽニヨツテナリ。扨狂言大夫ヲ見送テ扇ヲヌイテ舞台ヘ出、「扨も〳〵哀なる事」ヲ云。此内別ノ事ナシ。扨脇ノ前ヘ行、トクトカシコマリテワウハクヲ私宅ヘ帰シタル通ヲ云。爰ノシカ〳〵別ノ事ナシ。管絃ノ役ヲ仕度ト云テカラ「されば何がよふ御坐らふ」ト云テ「一尺あまりある竹にいくつも穴をあけて」ト云トキ扇ニテ仕方ヲスル。「かうやら又かうかして吹物は何と申もので御坐るぞ」ト云笛ヲ吹ヤウニ右左ヘカマヘテミスル。脇「夫は笛と申物」ト云。「此笛ノ役を仕たい」と云。脇「中〳〵成まじい」ト云「まことに仰らるれば尤で御坐る。さらば又何がよふ御坐ふぞ」ト云。「両に皮をあてゝ縄でからげかうか〳〵して打物は何と申もので御坐るぞ」ト云カツコヲ打ヤウニマネヲスル。脇「夫は鼓と申物」ト云。「又は四つの鼓共云」。「此鼓が仕たい」ト云脇シカ〳〵有。「あゝ又思ひ出て御坐る。こまりな竹をいくつもくゝり合せて、かうかまへて吹物は何と申もので御坐るぞ」ト云、是モ仕方ヲスル。脇「笙と申物」ト云シカ〳〵前ト同事。「まことに此笙とやら申ものはいろ〳〵の音の出るもので御坐る程に、なりますまいか。何とした物で御坐らふぞ」ト云テ「此扇のたけよりもまそつとみじかい物をかうかまへて吹物が御坐る。是は何と申物で御坐るぞ」ト云、尺八抔ヲ吹ヤウニ仕方スル。脇「篳篥と申物」ト云シカ〳〵同事。「いや是は成ませふと存る。世話にもなりそむない事をひちりきつけにしておけと申程になりませう」ト云。脇「夫は下れつの言葉中〳〵おもひもよらぬ」ト云。「又よい物をおもひ出て御坐る。一尺あまりの手木を持てかうかまへて打物を仕たい」ト云仕方あり。ワキ「夫は太こと申物にて候が是も成まじい」ト云。「いや直に致事こそ成ますまいけれ。是はつぎうでの役で御坐る程に成ませう」。ワキ「いや〳〵ならぬ役」ト云。「か様に何も成まいかもなるまいと仰らるゝは、扨は私には仰付られいと有事で御ざらう」ト云。ワキ「いや左様にてはなく候。何にても望まれ候へ」ト云。「誠に仰らるも尤で御坐る。又此度一役致ぬも無念なり。あゝ思ひ出て御坐る」ヲ云。是ヨリ別事ナシ。「追付くわげんの役者を相触申さふ」ト云テ立テ直ニ正面ヘ出テ触アリ。常ノ如ク扨脇ノ前ヘカタヒザイテ「相ふれ申て候」ト云テ入。 二十三 是界 〔雷電〕 一 能力。カウシ。水衣。クヽリ袴。クワンジユ。三尺斗ノ竹ニ巻タル紙ヲスカイニハサム。持ヨウ、右ノ手ニ太刀ナドヲ持ヤウニ少先ヲ上テ持。乱序ニテ出ル。語所万事常ノ如シ。「先急ぎ参ばやと存る」ト云テ少サク廻ル。「かやうの一大事は御坐あない。去ながら此くわんじゆをさへ納る((ママ))たらば何事も思し召まゝに目出たからう」ナドヽシカ〳〵。「や。何と申ぞ。はや御出と申か」ト云トキハ橋掛ヨリ少脇正面ヲ向テ云。扨正面ヲ向テ少先ヘ出フレヲ云テ入。 ◯雷電出立。能力右ト同事。文匣ニテモ又太鼓ノ箱ノ様ナル物ヲ黒キフクサ物ニ包、右ノ手ニノセカヽヘテ持。経箱ノ心。語様後ノシカ〳〵是界ト同事。 二十四 大会 一 面トビ。ソバツギ。クヽリ袴。末社頭巾。ツレノ天狗水衣ニテモ吉。面トビ。ケントク。ウソフキ。ツレ壱人ノ時ハ頭取ノ上ニ居ル。二人ノトキハ頭取ノ左右ニ居ル。但三人ニテモ五人ニテモヨシ。 乱序ニテ出ル。頭取名ノリノ内ニツレ出ル。語様雑談ノ心如常。舞台少先ヘ出テ語タルヨシ。「我等ごとき木の天狗溝越天狗にいたるまで仏になれと申さるゝか。そち衆も何ぞ仏にならふと思ふか。何とおもふぞ」ト云。「されば何としたもので有ふぞ」。「さふ云つけられたらば仏にならずはなるまい。いかやうな仏にならふぞ」ト云テ思案シテ「不働にならふ」ト云。「いや〳〵おぬしの形でふどうには得なるまい。又はそちは何に成らうと思ふぞ」ト云。「されば何にならふぞ」ト云テ「文殊にならふ」ト云。「いやあのやうなむつかしい仏には得なるまい。身共はよい仏をおもひついた。釈迦にならふ」ト云。「扨〳〵おかしい事をいふ。おぬしの分ではなるまい」。「今思ひ出た事かある。兎角いふてもよい仏には得なるまい程に、びんづるにならう」ト云。「尤でこそあれ。一段と是がよからう。こち衆もびんづるにならう」ト云。「いざゝらば此ていを一ふし謡ていぬまいか」ト云。「よからう」ト云。イロ〳〵シカ〳〵有ベシ。「おかしき天狗」ヲ謡出ス。「愛宕の地蔵」ト云トキ扇ヒラキカザヘテ上ヲミル。「大峯かづらきは」ト云トキ目付ヘ角トリカザヘ順ニ大廻リ。「よく〳〵物を案ずるに」ト云トキ各向合。「堂の角なる」ト云トキ向ヲサイテ出ル。「びんづるにならん」ト云トキ逆ニ小廻リ。又順ニ廻リ返ス。「こそり〳〵」ト云トキ身ヲフルワシ、シテ柱ノキハニテ頭取壱人立留リシトメル。但謡ノ内各相舞ツレノ天狗ハ頭取ヨリ少先ヘ入ガヨク有ベシ。 廿五 葛城天狗 一 面トビ。厚板。ソバツギ。クヽリ袴。ツレ天狗同事。水衣。面ウソフキ。ケントク之類不苦。 頭取乱序ニテ出ル。名ノリノ内ツレ出ル。語様万大会ト同事。「木のはてんぐの木のみには」ヲ謡出ス。返ニ扇ヒラク。「けんくはかうろ」ト云トキ扇ヲサイテ目付ヘ出ル。「其外土風」ト云トキカザヘ順大廻リ。「折こそ心はおもしろけれ」ト云トキ扇ニテ答拝有。末社ノ留ナト同事。「飛行自在にとびまはれば」ト云トキ逆ニ小廻リ有テ、又順ニ少ク廻リ返ス。「梵天帝釈出あひ給ひて」ト云トキ扇ヲカザヘテ上ヲミル。「さもおそろし〳〵((ママ))しかり給ふ」ト云トキ身ヲ引テ上ヲミル心アリ。返ノトキシテ柱ノキワヘ行「ひつそとしてこそ帰りけれ」ト身ヲスクメテ入、頭取壱人立留テシトメル心有ベシ。 廿六 鞍馬天狗 一 能力出立如常。大夫名乗過テ、能力文ヲ右ノ手ニ持出ル。名乗所如常。名ノリ過少サク一返廻ル。「誠に当年のやうな花の心よふ咲た事は御ざあるまい」ト云テ橋掛ヘ向テ案内ヲ乞。但シ早クアリク物ナリ。ワキ出ル。「西谷より御使に参んじて候」ト云テ文ヲ渡ス。文ノ渡シヤウ、スソヲ先ヘナシテ渡ス。扨太コノ坐ヘ入、「いざ〳〵花をながめん」ト云。小歌過テ能力出テ「扨も〳〵毎年とは申ながら当年ほどおもしろい花」ヲ云。ワキシカ〳〵。「畏て候」ト云テ小舞。「いたいけしたる」を舞。ワキ座ト正面ト筋違テ舞。「はりこ弓」ト大小ノ前ヲイル様ニツクボウテ大夫ヲ見付ル。但大夫大小ノ前ニ居ルユヘナリ。扨肝ヲツブシ身ヲヒライテ「爰に炭頭が有」ト云。又大夫ヲミテ「炭頭かとおもふたれば山伏じや」ト云テ弥肝ヲツブシテ「言語同断。似合ぬものが来た」ト云テ、扨ワキノ前ニ下ニ居テ「いかに申上候。此御酒ゑんのお坐敷へ」ヲ云。但シカ〳〵舞台ノ真中ニテ云物ナリ。後ワキ正面ヲ廻リ各入故ナリ。扨立テ「やれ〳〵腹のたつ事かな」ヲ云。「身共がまゝならば是〳〵をいたゞかせうものを」ト云トキ左リニ扇開持、右ノ手ヲニギリ、アタマヲハル仕舞有テ入。此アシライ殊更大事ナリ。分別アルベシ。 ◯後間。面トビ。水衣。クヽリ袴。末社頭巾。乱序ニテ出ル。語ヤウ別事ナシ。左リヘ身ヲヒラキ、シテ柱ノキワヘ行「いかに大天狗」ヲ云。別ノ事ナシ。 廿七 車僧 一 面トビ。鞍馬天狗後間ノ通。乱序ニテ出、語ヤウ如常。「まづあれへ参り車僧の様体見申さばやと存る」ト云テ行。シカ〳〵。「扨も〳〵此やうな一大事は〔ござ〕有まい。車僧はどこもとに居事ぞ」ト云テ手ヲカザヘ見付ル。「是が車僧じや。扨〳〵思ひの外美〳〵敷体ぢや。先言葉を懸てみやう」ト云テ「車僧〳〵のふ車僧」ト云拍子一ツ踏テ「扨〳〵すねい坊主かな。有無の返答もせぬ。去ながら是まで参た事なればとかく笑せいでは置まい」ト云テ扇ヲヒラキ両手ニテマネクヤウニシテ、イカニモウイテ「車僧〳〵おわらやれ車僧。笑さうなくるまざう。車僧〳〵」。順廻リ拍子フミ、又逆ニモ廻リ「車僧が鼻先をあちらへはちよこ〳〵こちらへはちよこ〳〵」扇ヲ〔スボメテ〕笏ナドヲ持タルヤウニシ、脇ノ前ヲルキ((ママ))又順ニ廻リ「車僧が鼻〔の〕先を鼠が子おふて」ト云トキ扇ヒラキ、ウシロヘ廻シ腰テカヾメ、子ヲ負タル心ニテ「あちらへはちよこ〳〵こちらへはちよこ〳〵」ヲ云テ脇ノ前ヲアルキ扨逆ヘ廻リ、扇ヲ腰ニヲサメ「おわらやれ」ヲ云テ両手ニテ「こそ〳〵や〳〵くつ〳〵や〳〵」ト云テ、イカニモ腰ヲカヾメ、脇ノソバヘ行、左右ノ脇ノ下ヘ手ヲ入「クツ〳〵 〳〵」ト云テコソグル。脇払子ニテニ手ヲ打。左リノ手ヲウタセテヨシ。肝ヲツブシ目付ヘ行「あいた〳〵」ナド云テ手ヲサスリツシテ「扨も〳〵恐しい」ヲ云、扨シテ柱ヘ行、楽ヤ向テ「いかに小天狗共」ヲ云、此内少正面向タルヨシ。「其分心得候へ〳〵」ト云テ入。右ノウキ無定。飛ンズヲドリツ面白クスベシ。長キハアシヽ。 廿八 紅葉狩 一 女如毎。シテツレ女ノ跡ニ出ル。大夫次第ノ内、太コ坐ニ居ル。「四方の梢をながめてしばらく休み給へや」ト云テ脇坐ヘナヲリタル時立テ「扨も〳〵見事な紅葉かな」ヲ云。常ノ如ク扨作物ノ隙太鼓ノ前ニ居ル。\脇ツレ下ヨリ案内乞。女立テ掛合ノシカ〳〵別ノ事ナシ。「こなたはたゞ去御方と斗おもふしやれや」ト云所少シ心有ベシ。扨太コノ居坐ヘ入。 ◯後面上リヒゲ。末社頭巾。クヽリ袴。水衣。太刀右ニ持出ル。\又ハケントク、ソバツギ、太刀ヲハキ、杖ツキ出ルモアリ \乱序ニテ出ル。出ヤウ語ヤウ常ノ如シ。「先急ぎ彼とがくし山に分入、惟茂に此様体をしらせ申さばやと存る」ト云テシカ〳〵。「かやうの一大事の有まい」ト云内ニ少サク一遍マワル。「神通方便を以参る程に、せつなが間に戸隠山に着た」ト云。但爰ニテ廻ラズニスル仕ヤウモアリ。「惟茂はどこ本にぞ」ト云テ見付ル。手ヲカザヘル。「急夢の告を知らせふ」ト云テ脇ノソバヘ行。「いかに惟茂、慥に聞給へ」ヲ云。「則八幡宮より此御(ミ)剣を遣されたる」ト云トキ太刀ヲ見ル。「此みつるぎを以て、やす〳〵と鬼神をしたがへ」ト云トキ太刀ノツカヘ左リノ手ヲカケ、ソリヲマワシ、右ノヒザツキ脇ノ左リノ方ニ置。但御前ノ能ニハ太刀ノ小ジリ正面ヘ向心ニ少シスジカヘテ置。「急ぎ夢をさまされ候へ〳〵」ト云トキ拍子フム事ナシ。拍子踏ハヒガ事ナリ。又太刀ノ置ヤウ脇望有トキハ各別ナリ。云合次第、狂言ヨリ問事アルベカラズ。 右太刀ノ置ヤウ脇ヱ問合セテモ可然。太刀ノ切先刃方正面ヘ向ヌヤウ筋違テ置ベシ。 廿九 羅生門 〔土蜘 橋弁慶 現在鵺〕 一 狂言袴クヽル。同肩衣、右ノ肩ヌグ。少サ刀。左ノ手ニテ鍔キワヲ持、杖ツク。早鼓ニテ「聞たか〳〵」ト云テ出ル。アド「何事じや〳〵」ト云テ出、頭取上ニ居ル。語雑談ニ云ベシ。別事ナシ。「足もとの見ゆるやうに夜が明てからやりたいものじやまでよ」。「そちがいふ通じや。其やうな物は根性がおそろしい。先こちのやうなよわひものにかうとりつくで有う」。「兎角いふてはなるまい。早ふいてお供せう」ト云。「尤じや。いざゆるしませ」ト云。頭取先ニ立行。「あれへいたり共あまり差出ずに人のうしろかかうていたらばよからうおもふ」ト云テ一返廻ル。「やれまて。身共は俄に腹がいたうなつうた程に、宿へいてむし薬をのふで追付跡からゆかふ」ト云テ跡モ見ズニ其儘入。頭取見送リ「あれあのひきやうものよ〳〵」ト云テ舞台真中ニ出、「扨〳〵きやつはかしこい事をぬかいていにおつた」ナドヽ云テ脇正面ヘ身ヲ直シテ「何といふぞ」ト云。「其分心得候へ〳〵」ト云テ入。 二十九 橋弁慶 〔ツルシ〕 一 白キ布ニテアタマヲ包ム。ヒタイヲ包。又フク面ノヤウニ目ヨリ下ヘモマワシ結ビ留テ、下ヘ廻タル布ヲヒタイヱ打上ル。両ノ耳ノ上高クムスビ目有ヤウニ着ベシ。三尺手拭ニテハ短シ。ビナン能キナリ。白小袖ナガシ。広袖ノ赤キ羽織ヒツパツテ三尺帯スル。少サキヲゴケノヤウナ物ヲ布ニテ緒ヲ付右ニワイカケル。但シ弦ノ入物ナリ。アド狂言上下。 尤右ハ往古。当時ハ左ノ通ニスル。 短キビナンニテ如常。着附シマ狂言袴赤キ十トク。ツル桶ニヒモツケテワイカケル。アドノシメ長上下。 早鼓ニテ出ル。「なふかなしや。たすけて下され」ト云テアワテヽ走リ出ル。舞台ノ真中ヨリ少脇坐ノ方ヘウシロ正面ヘ顔ヲ向、ウツムケニトウドコロブ。但舞台ヲ一通廻リコロブモヨシ。ケツマヅキタル体尚以能有ベシ。アド引続テ出、「是は何事じや」と云。「お助やつ下され」ト云テヲガム仕舞アリ。「いや身共じやが何とした」ト云テムリニ引立ル。其時アドヲ見テ「誰ぞとこそ思ふたれ。先心がゆるりとしたよ」ト云。「何としたぞ」ト云。「先いきつかして下され」ト云、胸ヲサスル仕舞ナドアリ。「早う語れ」ト云。語雑談ノヤウニ云。所々心得有ベシ。アド「見てやらふ」ト云テ、ウシロヲ見テ「なふかわいや。肩先がやけんほど切れて有」ト云「あゝいたや。なふ、かなしや〳〵」ト泣声ニテ「いかにもきように」云、アド「うそぢや」ト云。「嘘でもいたい」ト云テ二三返ウシロヘ手ヲ廻シナデヽ扨手ヲ見テ機嫌ヲ直シ「嘘じやさかいて血がたらぬ」ト云テ「扨ちとそちを切そこなふたが腹がたつといふて又牛若どのが爰へ切て御坐る」ト云トキ「夫はかなしや」ト云テフルイ声ニ成テ、ヲソロシカル体有ベシ。アド「いや〳〵おぬしのやうなものゝそばにいて身共まで切られてはならぬ。はやうたゞいなふ」ト云テ入ルトキ、シテアドニムサブリツイテ「なさけなや。おれもつれていて下され」ト云トキ、アドムリニツキハナシテ入ヲシ、又追付テムリニアドノ肩ニツカミツイテ、ヲハルヽヤウニシテ入ナリ。 此応答本ノ如クニ云テハ悪シ。分別有ベシ。仕ヤウアルアシライナリ。 今一ツノ間ハ、羅生門・土蜘同事ナリ。 三十 長郎 〔錦戸 建尾 泰山府君 此三番ハ狂言袴如常〕 一 末社頭巾。ソバツギ。厚板。クヽリ袴。杖。 早鼓カロク出ベシ。語所語ヤウ如常。「先あれへ参り様体を見申さばやと存る」ト云テ行。「扨〳〵かやうの奇特な事は聞た事も御ざない。是と申も頼た者が志のふかいゆへじや。なんとはや支度をせらるゝ事か。心本ない事じや」ナド云テ一遍廻ル。「何と申ぞ」ヲ云テ触テ入ルナリ。 三十一 鵜飼 〔鵺 狂言袴ナリ〕 一 「案内とは誰にて渡り候ぞ」。下ヨリ出テ云、シカ〳〵内ハ別ノ事ナシ。脇行ヲ見テ「あらいたはしや。なふ〳〵お宿参らせふ」ヲ云。シカ〳〵。脇「かた〴〵にかるまでもなく候」ト云テ行トキ「かまへてあの堂にはひかり物があるぞや」トカブリツクヤウニ云ナリ。脇「法力をもつてとまらふ」ト云トキ肝ヲツブシテ身ヲヒラキ「扨も〳〵すねい坊主かな」ト云テ入。後如常。 三十二 舎利 一 能力ノ出立。カウシ頭巾。水衣。クヽリ袴。珠数懐中シテ出ル。下ヨリ出テ「案内とは誰にて渡候ぞ」ト云。シカ〳〵無別事。「先かう御通候へ」。脇ワキ座ニツク。又大小ノ前ニ立居ル事モアリ。云合アルベシ。狂言台ノ前ヘ行ツクボウテ印ムスブ体ニテ、「ひん〳〵」ト手ヲ合、拍子一ツ二ツ打、扨立テ扇ヲヒラキ右ノ方ヘバカリ「さら〳〵」ト云、戸ヲアケル仕舞アリ。扨脇ノ方ヲ向下ニ居テ「是こそ天下にかくれもなき」ヲ云テ、狂言ノ坐ニ入。 太夫入ト其儘謡ニカケテ「あらかなしや」ト云テイカニモ少シ出テ、ドヲトタヲシ「くわばら〳〵よなをし〳〵」ト云テ橋掛リヘコケテ出ル。扨立テ「扨も〳〵おびたゝしうなつた」ヲ云テ「まづ心本ない。舎利堂へ見廻さふ」トテ台ノ前ヘ行。「是はいかな事。お舎利がない」ト云テ肝ヲツブシ、扨脇ヲミテ「是は最前お舎利を拝せた人じや。お舎利を何とめされたぞ」トイカニモケハシタ((ママ))立ナガラ云。又カタヒザツキテモ不苦。ワキシカ〳〵。「天井をけやぶつて失たる」ト云トキ狂言台ノ上ヲミテ「誠に天井がぬけてある。扨も〳〵奇特な事かな。今急度思ひ出た事を((ママ))有」ト云テ大小ノ前ヘ行、下ニ居テ語。此語イカニモ軽ク語モノナリ。語ノ内「某推量仕るに昔の疾鬼が執心」ト云トキヨリセク心有ベシ。秘事トス。扨語過テ脇トノセリフ別事ナシ。「必頼申さふ」ト云テ小鼓ノ前ヘ身ヲヒラキ笛ノ方ヲムキカタヒザツキ扇サシ、珠数ヲ取出ス。扨台ノ前ヘ行立ナガラ「いかにいだてん」ヲ云。「一心頂礼」ト云トキ珠数両手掛テ手ヲ合ス。「南無いだてん」ト云トキヨリ手ヲ上、ジユズヲスル。顔ノウツムカヌヤウニヲガム。太コ打出スト心残サズ楽ヤヘ入。万秘事ナリ。 但、此間脇ヨリ疾鬼ガ舎利ヲ奪取タル事問セリフハ無事ナリ。狂言ヨリ昔物語ト云テ語モノナリ。謡ノ内「彼仏舎利を取返し」と云トキヨリ珠数サバクリシテモヨキナリ。 三十三 殺生石 一 能力 カウシ。水衣。クヽリ袴。 \拄杖ワキ方ニアリ。\狂言ワキノ跡ニ付テ出。拄杖ノ持ヤウ右ノ肩ニカタゲル。又太刀ナドノヤウニ持テモ吉。ワキ次第名乗ノ内狂言坐ニ居ル。ワキ道行「なすのゝ原に着にけり〳〵」ト云ト其儘拄杖ヲ持ナガラ出ル。又ワキ「急候程に奈須のゝ原に着て候」ト云詞ヲ聞テ出モ有。ワキニ云合ヘシ。 余リ急ニハ出ヌモノナリ。カロクシテ柱ノ先ヘ出、脇正面ヨリ正面ノ上迄見廻シ「ありや〳〵」ヲ云。「今のは雁であつた」ナドヽ云、シカ〳〵有ベシ。ワキシカ〳〵アリ。「不審な事で御坐る」ヲ云テ「や。何〔と〕やら申候よ」ト云テ狂言座ヘ入。 太夫作リ物ヘ入テカラ「扨も〳〵」ヲ云。爰ニテハ拄杖ヲ持ズニ出ルナリ。扨脇ノ前ニテ語ル。常ノ如シ。「さあらば拄杖を参らせう」ト云テ狂言坐ヘ入太刀ナドノヤウニ持テ出テ左リノ方ヘ柄ヲ取直シ、両手ニ持脇ノ前ニ下ニ置、手ヱワタスト云事ナシ。脇ニ云合ベシ。 但、拄杖楽ヤヨリ出ルトキカタゲタルヨリハ手ニ持タルガヨク有ベシ。 三十四 道成寺  〔宝生流アシライハ六十六番メニ委シクアリ。〕 一 二人共ニ能力出立。但、頭巾水衣アドハ色ヲカヘテ着ベシ。頭取壱人脇ニ供ヲシテ出ル。脇名乗過、坐ニ着テカラ呼出ス。又名乗過、其儘立ナガラ呼出モアリ。狂言出テ片ヒザツキ「御前に候」ヲ云。脇シカ〳〵。「畏て候」ト云テ橋掛幕ノ隙ヘ行、其時鐘ヲ橋掛ヘツキ出ス。頭取先ヲカタゲル。アド此時跡ヲニナフテ出ル。但ワリバサミ鍵竹ヲ棒ニ持添テ出ルモアリ。又橋掛ランカンノ隙ヘ出サセテ置モアリ。出サセテ置クヨシ。二人共ニヲモカル体ニテ両手ニテ棒ヲカヽヘ「ゑいや〳〵」ト替リ〳〵ニ云テヒヨロツイテ出ル。其内「ゑいや〳〵」ヲ一度ニモ云ツ((ママ))。「いかふおもひ」ナドヽシカ〳〵有ベシ。扨舞台ノ真中ロクロノ下ニヲロス。其トキアドハ棒ヲヌイテ橋掛ヘ持テ行、ウシロノランカンノ隙ニ置。扨ワリバサミ鍵ノ竹持テ出ル。其内ニ頭取ハ鐘ノ緒ヲトク。アド「是でおぬしは引しませ」ト云テ鍵ノ竹ヲ渡ス。頭取「心得た」ト云テ鍵ノ竹ヲ取。扨アドワリバサミニ鐘ノ緒ヲハサミテロクロヲ通ス。頭取鍵ノ竹ニ緒ヲカケテ鐘ヲ引者ニ緒ノ先ヲ渡ス。タグリタル縄ヲモツレヌヤウニ引ツメサスル。其内アドハ鍵ノ竹ワリバサミノ竹ヲ棒ト一所ニナヲスナリ。又橋掛ノ後ヘ捨テモ苦シカラズ。但棒ハ其儘ニ置ナリ。右ロクロニ縄ノ通リカヌル事有ベシ。其内シカ〳〵色々分別スベキモノナリ。又観世ガヽリニハ初メヨリロクロニ縄ヲ通シテ置ナリ。頭取「そちは此やうな事に逢ふ事が有か」ト云。「ついにあふた事がない」ト云。「なんとおもふ。爰でみれは鐘が一入見事なやうにおもはぬか」。「さればそちが云やうに是程なりのよい鐘はあるまい」ナドヽ云。「いざ追付あげやう」ト云テ二人ナガラカヽヱテ「ゑいや〳〵」ト云テ引上サス。扨二人ナガラ身ヲヒラキ、頭取「大かたよさそふな」ト云。「あげてから一入見事な」ナドヽ云。「何が大きい鐘ぢやに((ママ))程に残る所もない見事な事じや」ト云。頭取「追付此よしを申上う」ト云。頭取脇ノ前ヘ行、「鐘をしゆらうへあげ申て候」ト云。脇シカ〳〵。「畏て候」ト云テ少正面ヘ出テ触ヲ云。常ノ如ク笛ノ上ニ居ル。太夫次第道行過テシカ〳〵有。頭取出テ「案内とは誰にて渡候ぞ」ヲ云。爰ノシカ〳〵別ノ事ナシ。「折節是にゑぼしの候。是をきて面白う御舞候へ」ト云テ下ニ居。其時大夫方ノ後見ノ者、烏帽子ノ前ヲ折テキスル。狂言ハ大夫ノ出ヨリユガミナドヲ直ス。又狂言烏帽子ヲキスル事モアリ。扨太鼓ノ座アドノ上ミニ居ル。二人ナラフテ居。乱拍子返謡ノ内「人々ねぶれば」ト云トキ二人共ウツムイテ居ル。ネブル心ナリ。是ヲ習トス。扨太夫鐘ニ入ト其儘謡ノ内ニ、頭取「くわばら〳〵」ト云テ舞ノ先ヘコロゲテ出ル。アドハ「世直せ〳〵」ト云テ橋掛ヘコケテ出ル。謡過テシヅマリタルトキ二人ナガラ立、肝ヲツブシタル顔ニテ「扨〳〵したゝかになつた事ぢや」ナド云テ二人別〳〵ニシカ〳〵アリ。頭取「いかふ地ひゞきがしたが。ふしんな事じや」ナド云、ソロ〳〵橋掛ヘ行、アドニ行当ル。アド「何としたぞ」ト云。「扨〳〵今のはおびたたしいなりやうではなかつたか」ト云。「先今のは何で有ふとおもふぞ」ト云。「されば何で有ふぞ。身共はたゞどこぞ〔近所〕へ雷が落た物で有ふ」と云。アド「よふ聞たが、しかしながらいかふ地がゆるひだ程に地しんで有ふとおもふ」ト云。「おぬしが聞やうもよいが、先いかふぐわらついたが、どこぞ石垣などはくづれはせまいか」。「其やうな事も有う」ト云。「いさ心本ない。先堂の辺りへいてみやう」ト云。頭取先ニ立テ行、鐘ヲ見付テ「是はいかな事。かねが落た」ト云テ二人共ニ肝ヲツブス所専要ナリ。頭取「扨〳〵にが〳〵敷事ぢや」トイフテイロウテ見テ手ヲヤイテ耳ヲカヽヱ橋掛リアドノ下ヘノク。\アド「何とした」ト云。頭「いや何ともせぬ。ふしんな事ぢや」ト云。アド「いかふあつさふな」ト云。頭「いやあまりあつうはない。如来はだな。おぬしもちといらふてみよ」ト云。ア「身共はいやじや」ト云。「いやさふではない。後にお尋ある時は二人ながら申上いではなるまい程に、ちよつといらうて見よ」ト云。「夫ならばいらうてみやう」ト云テ手ヲヒロゲ、アブナガリテソロ〳〵ト行ヲ、頭取アドノウシロヲソロ〳〵ヲシテ、鐘ノキハヘ行時ハウドツキヤル。アド手ヲヤイテ、ア「あゝ爰な者。何をする」ト云。頭取嬉シガリテ「いかふあついではないか」ト云。ア「中〳〵是は只事では有まい」ト云。頭「かういふて居た分ではなるまいが。申上うか。何とあらふ」ト云。爰デシカ〳〵替ル事ナシ。頭取「人が頼といへば命を捨るも浮世のならひじやさふな。いそいでくれひ」ト云テ、アドヲツキヤル。ア「おぬしはいな事をいふ」ヲ云。「おれはいやじや。おぬしゆけ」ト云テ頭取ヲツキヤル。頭「其やうにむごい事をいふな」ト云、又ツキヤル。「そちはできた事をするものじや」ト云腹ヲ立テ強クツキヤル。頭取ツカレタルイキヲイニ脇ノ前ヘ行、ドウト下ニ居テイカニモツカウドニ「落て御坐る」ト云。脇シカ〳〵。其トキ身ヲ引テ「鐘がしゆらうより落て御坐る」ヲ云。爰ノシカ〳〵替事ナシ。扨立ナガラ「あゝ心がゆるりとした」ト云テ二人共太コノ坐ノ後ヘ入ル。扨能済テ頭取縄ヲタグリ、落ヌヤウニ結ビトメル。アド棒ヲトヲシ頭取跡ヲ荷ヒ、二人共ニ物ヲイワズニ入。但シワリバサミ鍵ノ竹棒ニ持添テ入モヨシ。先持ヌガヨシ。扨楽ヤヘ入テ太夫方ノ人ヲ呼寄、鐘ノ道具ヲ渡ス也。 右アシライ大ニ秘事ナリ。 三十五 黒塚 一 能力ノ出立。脇ノ供シテ出ル。太コノ下ニ居ル。大夫中入有テ、シテ柱ノ先ヘ出テ「扨も〳〵是の主のやうな」ヲ云、常ノ通。扨脇ノ前ヘ行シカ〳〵別ノ事ナシ。「私は見まいと申約束は仕らぬに依て、ちよと見て参りませう」ト云テ立テ行フトスル。脇シカ〳〵。「畏て御座る」ト云テ其儘カシコマリナガラ扇ヲヌキ、左リノ手ニ持テアタマヲカタムケテネル。脇ネイリタルヲ見テ、ソロ〳〵トノキザマニソツト板ノ鳴ヤウ踏。ワキシカ〳〵。「畏て御坐る」ト云テ爰ニテベツタリト下ニ居テ、扇ヒロゲネル。扨顔ヲアチコチトウゴカシ脇ヲ見テ、又ソツトノイテ前ノ通ニ板ヲナラス。脇シカ〳〵。肝ヲツブイテトウド下ニ居ル。「畏て御坐る。いな事でねられませぬ」ナドヽ云テ、又右ニ同事。ネル。扇ノ骨ノ間ヨリ脇ヲミツ、地紙ノ上ヨリ我目ヲ片〳〵ヅヽ出シテ見ツナドシテ、又前ノ通ニソツトヌケテ橋ガヽリヘユク。「扨〳〵夜ざとい人かな。何が是を見ぬといふ事が有物か。急で見う」ト云テツカ〳〵ト行テ作物ヲ見テ肝ヲツブシ、橋ガカリヘノイテ「扨も〳〵おそろしい事かな。是は申上いではなるまい。併とくと見届もせいで卒忽には申上られまい。今一度とくと見う」ト云テコワガル体ニテキハマデ行カネ、ノゾケ共未ミヘヌニ依テ、又少シヨツテノゾキナドスル仕舞アリ。分別有ベシ。扨ヨツテトクト見テ「なふおそろしや」ト云テ橋掛ヘノキ「人の死がいが屋根裏まで積重てある。たゞ事では有まい。急で申上う」ト云テ脇ノ前ヘ行トウド下ニ居テ「まことに見て御坐る」ト云、ワキシカ〳〵。是ヨリ別ノ事ナシ。右ヌケテ行所二段ニシテモ不苦。此アシライ殊ノ外仕ヤウアリ。分別有ベシ。 三十六 葵上 一 狂言袴如常。大臣呼出ス下ヨリ出ル。ツクボウテ「畏て候」ヲ云。扨立テ身ヲヒラキ「扨も〳〵にが〳〵敷事かな」ヲ云。少サク一ペン廻リ、橋掛松ノ下迄行、案内ヲ乞。正面ヘ身ヲヒラキ片ヒザツイテツクボウテ居ル。ワキ「くしきのまどの前」ヲ云。「案内申さんとは」ト云トキ、狂言立テ「御使に」ト云事フシノ心ニ大音ニ云テ「参りて」ト云トキ、チヤクト下ニ居テ、シカ〳〵云。別ノ事ナシ。扨脇ヨリ先ニ大臣ノ前ヘ行、「小聖の御参」ヲ云、シカ〳〵アリ。扨立、笛ノ上ニ居ル程ヨリ切戸ヨリ入。 三十七 船弁慶 一 狂言袴常ノ通。但大脇ザシ指テモヨシ。ワキ立ナガラ呼出ス。下ヨリ出ル。シカ〳〵別ノ事ナシ。 大夫中入過テ、狂言仕舞柱ノ先ヘ出テ「扨も〳〵あわれなる」ヲ云。扨ワキノ前ヘ行下ニ居テシカ〳〵。別ノ事ナシ。「畏て候」ト云テ太コノ坐ヘ入。 「ゑいや〳〵といふ潮に」ト云トキ、脇「急ぎお船を出し候へ」ト云、シカ〳〵アリ。「畏て候」ト云テ鏡ノ間ヘ行、舟ノマン中ヘ乗。カイ棹ヲ右ニ持ソヘテ、スラ〳〵ト早ク出ル。但シ右ワキノシカ〳〵無事モアリ。兎角「ゑいや〳〵」ヲ聞テ立。扨舟ヲ脇座ニ少シ脇正面ヘ出シテ置、舟ノトモ乗、片ヒザツキ、棹ヲ立テ持。「皆〳〵お舟に召れ候へ」ト云。皆乗テカラ立テ右ノ足ヲ出シ櫓ヲサス。爰ニテノシカ〳〵雑談ニ云。脇ニ心ヲ付トキハ脇ヲミル。シカ〳〵ノ内ニ「えい〳〵」ト折々声ヲ掛ル仕ヤウアリ。分別スアシ〔ベシ〕。「あらふしぎや。俄にむこ山の雲の気色がかわつた」ト云トキ顔ヲシカメ目付柱ノ上ヲミル。「さればこそ浪がくる。波よ〳〵 〳〵」ト云トキ正面ヨリ大小ノ前迄見送リ「しい引」ト云テ留ル。三段アル。此間ノシカ〳〵脇ト云合スベシ。ワキ立テシカ〳〵謡有。ワキツレ「此舟にはあやかしがつきて候」ト云トキ狂言ワキツレヲニラム。脇「しばらく。さやうの事を舟中にて申さぬ事」ヲ云テカラ「爰な者が」云、「出た事は」ヲ云テツヨクシカル。ワキシカ〳〵有。「畏て御坐る。重ねておりやるな」ト云テ「波よ〳〵 〳〵」アリ。扨謡ニ成テ「一門の月卿雲〔カノ〕如く」ト云トキ〔橋掛ヲ見ル〕櫓ヲ早メル。早苗((ママ))ニナルト下ニ居。「弁慶船子に力をあわせ」。ワキシカ〳〵。「畏て候」ト云テ櫓ヲサス。扨下ニ居テカタヲ入。扨能過、ワキ入テ、船カイザヲ持ソヘテ入。 三十八 酒呑童子 一 サバキ髪、頭巾〔トキン〕。狂言袴クヽリ、ヲイヲカクル。少サ刀。安宅ト同杖ヲ持モ有。能力ノ出立。\女ハビナン、箔、女帯。 \強力ワキノ供シテ出ル。次第内、太コ坐ニ居、ヲイヲ落ス。道行過テワキ呼出、下ヨリ出ツクボウテ「御前に候」ヲ云。ワキシカ〳〵。「畏て候」ヲ云テ仕手柱ヘ立テ「是は大事の見物ぢや。殊の外山がふかいと見へた」ト云。シカ〳〵長ク云ベシ。其内ニ女赤キ小袖ヲ左ノ手ニカケ、楽ヤヨリ出ル。「扨〳〵おそろしい事じや。毎日此やう」ヲ云テ合力ノウシロヲ通、上ヘ行、大臣柱ノキワニテ小袖ヲスヽグ仕形アリ。此時ニ合力「大事の見物じや」ヲ云テモ吉キカ。又右ノ山ノテイヲ見ニ行トキ、大臣柱ヨリ脇正面ヘノ方ヘ廻ル。内ニ女出テシカ〳〵。シテ柱ノサキニテ小袖ヲスヽグモ可然歟。右ヲ能々分別スベシ。此内ヲイヲ颪(ヲロ)ス内、女出ワキ座ヘ行形可然。 扨合力「殊の外山が深いとみへた」ト云テ下ヲミル「やらきどくや。赤い水がながるゝ」ト云テ恐シガル体有。扨ソロ〳〵ト出テ女ヲ見付ル。肝ヲツブシテノク。シカ〳〵有ベシ。又ソロ〳〵トヨリ、能見テ「是はいかな事。あれは京の今出川の者かと思ふ」ト云テ詞ヲカケル。其時女立テ「中〳〵今出川のもので御坐る」ヲ云。爰ノシカ〳〵二人立ナガラ云。別義ナシ。女「先たばかつて童子を呼出しませう」ト云。合力「尤じや。急で呼出しませ」ト云テ太コ坐ヘ入。女爰ニテ小袖ヲ太コノ前ニ捨、橋掛ヘ行「いかに童子の御坐候か」ヲ云、大夫出ル。シカ〳〵別事ナシ。大夫「中門のらうにとめ候へ」ト云トキ、女「心得申て候」ト云テ舞台ヘ入、「御坐るか」ヲ云。合力出ル。「其由申て御坐れば中門の脇の楼まで御出あれとの御事にて候」ヲ云テ女太コ坐ヘ入、合力「心得た」ト云テ脇ニ其通リヲ云テ女ト一所ノ太コ坐ヘ入。大夫中入過テ「いかにいちやいるか」ト云テ出ル。イカニモ勢ヒタル体ヨシ。女「是に居まする」ト云テ二人共橋掛ニテ立ナガラシカ〳〵。別ノ事ナシ。但シ此シカ〳〵脇ノ装束拵ノ間ナレバ、随分長ク云タルガ吉。二人共太コ坐ヘ入。但シ作物脇ニ有トキハ女シテ柱ノ先ニテ小袖洗ガヨシ。 三十九 鉄輪 一 大臣烏帽子前折。上頭掛。括リ袴。水衣。神主出立。楽ヤヨリ出、一ノ松ニテ名乗。大夫ハ大小ノ前ニ居。右ノ云立過テ舞台ヘ入、大夫ヲ見付、「や。是に御入候よ」ヲ云。大夫シカ〳〵。「いやしかとそなたの事にて候」ト云テ「あら恐しや」ト云トキ少シ心持有ヘシ。扨楽ヤヘ入。 右仕ヤウハ大夫道行過テ出ル。宝生ハ口開。能ノ初ニ出テ、シテ柱ノ先ニテ云立アリテ「先是に居て御託宣を申渡さばやと存る」ト云テ笛ノ上ニ居、大夫道行「貴舟の宮に着にけり」ト云テカラ立テ「是で有う」ト云テ「丑の時まふし((ママ))給ふは其方の事にて候か」と云。 四十 小鍛冶 一 狂言上下如常。脇中入ノ時ニ呼出ス。狂言下ヨリ出ツクボウテ「御前に候」ヲ云。脇「檀をかざり候へ」ト云、シカ〳〵アリ。「畏て候」ヲ云。扨脇入ル時、狂言少跡ヘニジリ、脇入時ツカヘヌヤウニシテ通ス。扨立テシテ柱ノ先ニテ「いそぎ檀をかざらばやと存る」ト云テ楽ヤヘ入ル。打台、太刀身、ツチ、右三品持テ出、正面ノ真中ニカザル。置ヤウ脇方ニ問ベシ。又台ニ右ノ品ヲカザリ大夫方ヨリ出事アリ。其トキハ「だんをかざらばやと存る」ト云入。 但流義ニテ乱序有。其時ハ末社ナリ。金剛流ハ末社。大夫ニ聞合スベシ。 四十一 邯鄲 一 カヅラ。薄。ソバツギ。コシ帯。後ヲハス(ナ)シテ枕大夫ヨリ出ル。左ノ手ニテカロクカヽヘ、右ニ中啓持出ル。口明。能ノ初ラヌ先ニ作リ物出テカラ出ル。シヅカニ出ル。シテ柱ノ先ニテ云立如常。「左やうの御望のかた候はゞ此方へ御入候や」ト云テ台ノキワヘ行、右ノヒザツキ、正面ヨリ壱尺斗ヲヒテ、イカニモロクニ置ベシ。扨立テシテ柱ノ先ニテ触ヲ云テ太コノ坐ヘ入。大夫次第道行過テ、上ヨリ案内乞。狂言出ル。「や。旅人の御着にて候よ。先是へお腰を召れ候へ」ト云、カヅラ桶持出ル。腰カケサセ、扨大夫ノ右ノ方少先ヘ出、スジカヘニ下ニ居ル。爰ノシカ〳〵別ノ事ナシ。大夫「さあらばまどろもふずる」ト云テ、シカ〳〵有テ立テ行トキ、狂言立テカヅラ桶取テ太コ座ヘ入。「ねむりのゆめはさめにけり」ト云トキ少謡ニカケテ立テ、スラ〳〵ト台ノキワヘ行〔ツクボウテ〕台ノハシヲ中啓ニテ二ツタヽキ「あら久しと御やすみ候」ヲ云テ元ノ座ヘ入。扨能終テ枕ヲ持入。又其儘置テ入ルモアリ。大夫方ヘ聞合ベシ。 〔頭取付〕但脇能ノトキハ置鼓ニテ出ル。森田流ニハ真ノ音取ヲ吹。平岩流ニハ脇能ノ音取ヲ吹。右二流共音取ノ内ニユリ過テ、六ノ下ニナリテ出ルナリ。平岩流ニハ名乗足ノ笛吹ヌ由。森田流ニハ名乗足ノ笛ヲ吹。聞合セテ名乗ベシ。 右イヅレノ流ニテモ狂言ヨリコノマヌ時ハ音取ハ吹ト云事ナシ。狂言ヨリノ望次第ナリ。 大蔵ニハ音取ノ内ニカマワズ、スラ〳〵ト云テ太コノ坐ニ居、笛済テ立テ名乗ル由。又笛トクト済テ楽ヤヨリ出タル事モ有由。右ノ仕ヤウニテハ置鼓ノセンナシ。当流ハ右ニ書タル心得ベシ。 四十二 唐船 一 日本方。狂言上下。唐方。唐人装束。唐人笠、又ハ頭巾カ。ソバツギ。ヒゲ。ワキ名乗過テ、呼出ス。日本方出ル。「御前に候」。ワキシカ〳〵。 「畏て候」ト云テ、笛ノ上ニ居。 唐人子方弐人ノ供シテ出ル。舟ノトモニ乗。子方一セイ過、「みやう 川をおし渡り」ト云謡返之間ニ、帆柱ヲ立、帆ヲ上ル。舞台ノ方へ帆ノフクラミヲヤリ、板付ノ方ヘヒラカセテ上ルヲ習トス。扨道行ノ諷過ルト、帆ヲ颪シ、帆柱モフセル。子方シカ〳〵。「御前に候」ヲ云。子方シカ〳〵。「畏て候」ト云テ、舟ヨリヲリル。爰ニテ子方シカ〳〵無トキハ、道行ノ謡過ルト、「是は早箱崎の浦に御着にて候。某舟よりあがり父子の御事尋申さふずるにて候」ト云テ、舟ヨリヲリルモ有ベシ。扨舞台へ出、太コ坐ノ先ニテ唐音ヲ云。日本方立テ、シカ〳〵別義ナシ。扨子方弐人共舞台へ入。舟ヲ橋掛ノウシロヘ押寄テ置。太コ坐ニ居ル。但シ舟ヲ後ノランカンニ立カケ置モアリ。是ハ大夫ノ通リヨキ為ニスル略ナリ。「たふとや箱崎の神も納入し給ふか」ト謡過テ「追手がおりて候」ヲ子方ニ云。但シ子方「追手がおり候」ト云コトヲ大夫へ云ヌ事有ベシ。其時ハ大夫へ直ニ云べシ。又爰ノシカ〳〵無キ事モアリ。云合スベシ。扨太コノ坐ニ居 曲過、ロンギノ果時分ニ、唐方ヲ右ノ所ニ直シ、始ノ如ク舟ノトモニ乗、帆柱ヲ立、居。「帆を引つれて」ト云トキ、初ノ上ヤウトカイ共々帆ノフクラミヲ幕ノ方ヘヤリ、橋ガヽリ板付ノ方ヘヒラカセ、上ル。能終リテ帆ヲ颪シ、柱モフセ、舟ハ其儘ニ置。子方ニ付テ入。 但当世ハ初ニ帆上ル事ナシ。後ニ舟ヲ舞台ニ出シテ、帆ヲ上ル。正面ノ方へフクラミヲヤル。  四十三 自然居士 一 狂言上下如常。下掛ニハ、初ニ脇出、名乗過テ、坐ニツキテ、狂言出ル。上掛ニハ口明ニ出。云立如常。但少シ正面ヘ出ヌナルガ吉。右云立過テ左リヘ身ヲ開。シテ柱ノ隙迄行、幕ノ方向テ、「いかに居士へ申上候」ヲ云。立ナガラ云。大夫出。シカ〳〵。「中〳〵相触申て候らへば、聴衆も群集仕候間」ヲ云。扨大夫舞台出ルトキ、身ヲヒラキ、大夫ト入違ヒ後見坐へ入。カヅラ桶持出。腰掛サス。扨大夫ノ右ノ方ニ居ル。又太コ坐ニ居テモヨシ。大夫謡イロ〳〵有テ、「総神分般若心経」ト云トキ、小((ママ))方出ル。狂言立テ、「やらいたいけや」ヲ云テ、迎ニ出ル。子方遅ク候ハヾ、橋掛へ行ベシ。大夫ノホサレヌ為ナリ。小袖ノ請取ヤウ、子方左ノ手ニ掛タルヲ、狂言モ左リノ手ヲ小袖ノ間へ入、左リノ手ニカクル。文ハ右ニテ請取、左リヘ取。子方ノ手ヲ引テ出ル。大夫ノ右ノ方、シテ〔目付〕柱ノ方へ寄セテ置。文ヲ右へ取直シ、右ノヒザヲツキ、ツクボウテ「いかに居士へ申上候。是成おさなき人を」云テ、文ヲ大夫ニ渡ス。尤文ヲ大夫取リテ、逆ニナラヌヤウニ渡スベシ。扨大夫文ヲヒラク内ニ、小袖ヲカケ、大夫前下ニ置。向ヘ出シ過ヌ様ニ置。ワキ小袖ノ向ヲ通ルユヘ、ジヤマニナラザルヤウ大夫ノ方へ寄テ置。【図③】〔如此口伝有〕此跡図狂言居所下ガヽリ。又上掛ニハ、右ノ所太コノ坐ニ居。其故ハ爰ノ謡ノ内、ワキ出、橋ガヽリニテ名乗有テ、子ヲ引立ツルニ依テナリ。但大夫「墨染の袖をぬらせば」ト云トキ、狂言大夫ノ仕廻ヲミル。「数の聴衆もいろ〳〵の袖をぬらさぬ人はなし」ト云トキ、泣心ニウツムク仕廻有。思ヒ入秘事ナリ。爰ノ思入、下掛ニアリ。上ガヽリニハ、太コノ坐ニ居ル故、仕廻ナシ。心持有ベシ。扨ワキツレ引立テ行トキ、舞台先へ追掛。ワキツレ斗ニ目ヲカケ、「やるまいぞ〳〵」ヲ云。ワキ「やうが有」ト云。其時ワキニ目ヲ付「何と用が有とは」ト不審顔ニテツヨク云。ワキ又「用が有」ト云テ、刀ノ柄ニ手ヲカクル。身ヲ引恐ルヽ心ニテ「よふがあらばつれてゆかふ迄よ」ヲ云。アキレタル心持。扨大夫ノ前へ行、片ヒザツキ「いかに居士へ申上候。たゞ今のおさなきもの」ヲ云。爰ノシカ〳〵別ノ事ナシ。「某追掛申さふ」と云トキ、大夫狂言ノ後ヲ扇ニテヲサヘテ留能ヤウニ大夫ノ前ムケテ立。口伝有。大夫押ヌモアリ。云合スベシ。此後ノシカ〳〵替事ナシ。「けふの説法是迄なり」ト云トキ、小袖ノヱリ先ヲ右ニテ取。ワキノヌイメ、裾ヲ左ニテ取チガヘル。右下ニ居テナリ。扨立テ大夫ノ後へ廻リ、「我等與衆生皆具成仏」ト云トキ、追々大夫ノ後ヨリ両ノ肩ヘカケ、前へ廻シ小袖ノヱリト裾トヲ大夫ニ持スル。「仏道修行の」ト云トキ、大夫立トセウギ取、太コ坐へ入。 右小袖ノ取ヤウ、右ニテ袖ノ縫メヲトリ直ニ、其裾ワキノヌイメヲ取テ当ルヤウモ有。又大夫ニヨリ袖ノ外へナルヤウニト望モアリ。大夫ニヨク尋べシ。 四十四 東岸居士 一 狂言上下。ワキ出テ其儘名乗。ナノリノ末ニ「清水寺に参らばやと思ひ候」ト云謡ノ内ニ狂言出。シテ柱ノ先ニテ名乗如常。扨ワキヲ見付「や。是成御方は」ヲ云。此シカ〳〵ノ内、ワキ小ツヾミノ前ニ立テ居。狂言ハ太コノ前ニ立テ居。〔狂〕「さらば御供申さふずるにて候」ト云テ、ワキ狂言連立テ行。心少シ正面ヱ出ル。「扨彼居に引会申さふずるにて候」ト云テ、左リヘ身ヲヒラキ、シテ柱ノキワニテ幕ノ方向テ「いかに東岸居士の御入候か」ヲ云。太コ坐ニ入。脇モ爰ニテ坐ニ着。 大夫一セイ「松さへみな桜木にちりなして花に声ある嵐かな」ト云謡過テ、其儘大夫ト脇トノ間へ出テ、「いかに申候。東岸居士と申はこなたの御事にて候」ト脇ニ云テ入。 但大夫一セイ諷テ「夫浮世の常なき事」ト云、サシ声アツテ小謡アリ。小諷ノ末「心にかけて橋ばしら立居ひまなき心かな〳〵」ト云謡過テ、狂言立。「東岸居士と申は」ヲ云モ有。上掛下掛ノ違ヒニテモナシ。大夫ニ能尋ベシ。但後ノシカ〳〵無クテモ不苦。 四十五 花月 一 狂言上下。脇ノ跡ヨリ出テ、太コノ坐ニ居ル。ワキ上ヨリ出、案内乞。狂言出テシカ〳〵。別ノ事ナシ。「さらばかう御通候ヘ」ト云トキ、脇ハ坐ニツク。狂言向ヱ少出テ、右ヱヒラキ、シテ柱ノ隙ニテ楽ヤ向テ「いかに花月へ申候」ヲ云テ太コノ坐ニ入。大夫名乗「天下にかくれなき花月と我を申なり」ト云謡ノ内ニ狂言立テシカ〳〵。「いかに花月へ申候」ヲ云、謡出ス。「こしかたより」右ノ如諷出ストキ、扇ヲ開、両手ニテ顔ニ当テ悪心ニウキヲトリ、少ク廻ル。其時大夫ハ狂言ノ左リノ肩ヱ手ヲ掛ル。小歌ノ内シンボノ心アリ。口伝。「恋といへるくせ物」ト云トキ、大夫ノ方ヘ心ヲ付、顔ヲミル事モアリ。初小歌諷出タル所へ戻リ「恋こそねら((ママ))ね」ト大夫ツキタヲス。狂言ベツタリトコロビ、其顔ヲアゲ、正面ノ少右ノ方ヲ見テ「ほ。花に目がある」ト云テ、扇サシ向ヱ出テ、「目かと思ふたれば鶯じや」ヲ云。右花ノ見付所、大夫ニヨリテ少ヅヽ替。能尋ベシ。扨大夫ノ右ノ方ヱ戻リ、「いかに花月へ申候」ヲ云テ、太コノ坐ヘ入。「殺生界((ママ))をばやぶるまじ」ト云諷ノ内ニ立、右ノ所へ出。「尤某があやまり申て候」ヲ云テ、太コノ坐ヘ入。ワキ「いかに花月。是こそ父左衛門尉家次よ。見わすれて有か」。大夫「久しくはなれたる父に逢申事の嬉しさは候」。ワキ「頓てつれて帰国せふずるにて候」。此シカ〳〵ナキ事モアリ。色々替ル。能々聞合スべシ。 右シカ〳〵ハツル時、狂言、ワキト大夫ノ間へ出「やらそなたはりやうじな事をいふ人ぢや」ヲ云テシカル。ワキシカ〳〵。 「げにもおしやれば尤じや。まことに瓜を二つにわつたやうな顏じや」トワキト大夫ノ顔ヲ見テ云。扨大夫ノ方ヱ向テ「いかに花月へ申候」ヲ云。「かつこを打て父子を御なぐさめ候へ」ト云。大夫ハ後見坐ヱ入テカツコヲ付。其内ニ狂言右ノ方ヘヒラキ。語間ナドノ居所ニ坐シテ、「扨〳〵かやうの目出たい事は御ざあるまい」ヲ云。爰ノシカ〳〵替ル事ナシ。「只今かつこを遊さふずる間、そのゝちは親子ともない古郷へ御帰りあれかしと存候」。ワキシカ〳〵。「尤にて候」ト云。其儘大夫ノ方ヘニジリ向「いかに花月ヱ申候。いそぎお出有てかつこを遊され候へ」ト云テ、太コノ坐ヘ入。 此応答能々云合有ベシ。大夫トノアシライ何レモ立ナガラ云。但貴人ナドノ御能ナラバ、何モツクボウテスベシ。又アシライノ内、抜言葉モアルベシ。右大夫カツコヲ付ニ入トキ、狂言モ入。跡ノワキノシカ〳〵無キ流モアリ。是ハ大夫ノホサルヽ所ナルニヨツテ、当流ノ仕ヤウ吉。 七大夫流 〽越かたより今の世まても。たゑせぬものは恋といへるくせもの。実恋はくせもの。くせ物かな。身はさら〳〵 〳〵 〳〵さら〳〵 〳〵 〳〵にこひこそねられね。〽 観世流 初ハ同事ナリ。〽〳〵 〳〵 〳〵に恋こそねられね。〽   金春流 初メ別義ナシ。〽さら〳〵 〳〵 〳〵に恋こそねられね。〽 右謡ノクリニ依テ、心持チガウニヨツテシルス。 四十六 放下僧 〔保生〕 一 狂言上下 脇呼出ス。「御前に候」。ワキシカ〳〵。「畏て候」。ワキ「又在る子細の」。シカ〳〵有テ、「心得申て候」。直ニ立テ、「扨〳〵ふしんはいづかたへ御出被成るゝも大勢御供を召連候るゝに、今日某斗お供仕るやうにと仰出された、久敷御奉公をも仕た者ぢやと思召て、仰出されたと存る。かやうな忝事は御坐ない。此上はいつもより別て御奉公も仕らいでは叶はぬ事ぢや。や。先仰付られた船の義を申付う」ト云テ、脇正面ノ方ヘ向テ触ヲ云テ、笛ノ坐ニ居。右ノセリフ、詞多ク云タルガ能有ベシ。大夫出テ、「人をあだにやおもふらん」ト云諷過テ、狂言立テ「何といふぞ。放下がくるといふか。先様子をみて参らう」ト云テ、大夫ニ向ヒ「是はいかやうなる御かたにて候ぞ」ト云。シテ「是は放下にて候」ト云。「扨そなた名は何と申候ぞ」ト云。シテ「浮雲流水と申候」ト云。「又あれに立れたは何と申候ぞ」ト云。シテ「ふうんりう水と申候」ト云。「扨は名壹つを両人付申されて候」ト云。シテ「尤((ママ))にて候をばふうん、あなたなる者を流水と申候」ト云。「又あれに御立有たる御方のごみやうをば何と申ぞ」ト云。「あれは相模の国の住人」ヲ云。シテ「いや苦しからず候。如何様にも御申あつて、御前へ召出されて給り候へ」。「心得申て候。暫夫に御待候へ」ト云。脇ノ前ニテ「是へ放下が参て候。御慰に御覧あれかしと存る」。ワキ「扨其ものゝ名を尋て有か」ト云。「浮雲流水と申二人の放下にて有よし申候」ト云。ワキ「ちと尋度事の候間、舟までは無用、陸近う来れと申候らへ」ト云。「畏て候」ト云テ、ワキ〔シテ〕へ云。「扨しらずなものなのたまひそ」ト云諷ノトキ、「しつたればこそとへ」ヲ云。扨刀ニ手ヲカクル。留ル所替リナシ。「そちがおかしくは、こちもおかしからうまでよ」ト云トキ、「いやくるしからぬ事。瀬戸の三しまへ同道せうずる間、船にのられ候へと申候へ」。「畏て候」ト云テ、其通ヲシテ云。扨曲舞ノ果「心をさとり給へや」ト云トキ立テ、狂「とてもの事にかつこを打て御見せ候へ」。大夫「心得申て候」ト云テ、太刀((ママ))ノ坐へ入。大夫カツコヲ付ル内ニ「扨々今日はいろ〳〵御なぐさみ被成て、此やうな嬉しい事はない。某も心しづかに見物致さふ」ト云テ、太コ坐ヘ入。 四十六 放下僧 一 大夫中入過テ、ワキ出ル。狂言太刀持。ワキノ供シテ出ル。名乗ノ内、太コノ坐ニ居ル。ワキ名ノリ過テ、呼出。太刀ヲ持ナガラ下ヨリ出。ツクボウテ「御前ニ候」ヲ云。ワキシカ〳〵。「某が名字をかくし候へ」ト云。「畏て候」ト云テ、正面ヱ出触アリ。如常。扨笛ノ下ニ居ル。大夫一セイ過、小諷ノ後「人をあだにや思ふらん〳〵」ト云トキ、狂言立テ「何と放下がくるといふか。是は一段の事じや。急で此よし申上う」ト云テ「いかに申上候」ヲ云。ワキシカ〳〵。「あれへ放下が参よし申候。御なぐさみに御覧なさりやうにて候」。又狂言立ズニ脇ヨビ出、「何事ぞ。来り候へ」ト云。「畏て候」ト云テ、橋掛シテ柱ノキワ迄行。「いかに各、此両人を見申せば」ヲ云。大夫シカ〳〵。又「何となるは何と申ぞ」ト云トキ、左リノ手ニテシテツレヲサス。大夫シカ〳〵。脇ノ名字ヲ尋ル。 狂「あれこそ相模の国の住人利根の信としどの」ト云テ、口を押、「ではおりない」ト云。大夫シカ〳〵。「心得申て候」ト云テ、脇ノ前へ行。「名をたづねて候ヘば」ヲ云。ワキシカ〳〵。「畏て候」ト云テ、大夫ノ方ヘ行。「ちと物をふしん申たふ候ふ間、此方へ御通リ候へ」ト云テ、笛ノ前ニ居ル。ワキト大夫トイロ〳〵掛合有テ、「しらずなものなのたまいそ〳〵」ト云トキ、狂言立テ「知たればこそとへしらぬ物が問はるゝ物か」ト云テ、其儘立テ居ル。「切て三だんとなす」ト云トキ、脇少刀ニ手ヲカクル。其時狂言「是はいかな事」ト云テ、左リノ足ヲ脇ノウシロへ踏込、フトモヽニ脇ニ腰カケサスルヤウニヒツタリト身ヲ付、左リノ手ニテ脇ノ前ヲカヽユル。右ハ太刀持ナガラ留ル。 「何とたゞ中〳〵に」ヲ諷出。「いはねの山の岩つゝじ」。ソロ〳〵ノイテ「おかしの人の心や」ト云謡過テ、「こちがおかしくはそちもおかしからう迄よ」ト云テ、太コノ坐ヘ入。 一 〔名乗過テ〕ワキ呼出。「某が名字をかくし候へ」と云。「畏て候」ト云。直ニ切幕ヲ見込「そこもとにどゞめくは何事ぢや。何といふぞ。放下がくるといふか。是は一段のおなぐさみぢや。某も一目見たい程に、先是を広〳〵と明て置て、急此方へ通候へ〳〵」ト云テ、一セイニナル流義モアリ。大蔵ガヽリ如此ナリ。当ニハナシ。是ハ大夫装束隙被候間尤ナリ。折ニヨリ加様シテモ苦シル((ママ))マジキカ。又右ノ如ク「放下がくるか」ト云テ、ワキヘ「いかに申上候。あれへ放下がくるよし申候。是は一段の御慰にて候間、御覧あれかしと存候。ワキシカ〳〵。「畏て候」ト云テ、「其通申上たれば左様の者無用の由被仰るゝ。去ながら某が一目」。跡ハ同事。兎角言合次第ナリ。 四十七 望月 一 狂言上下。太刀物。脇ノ供シテ出ル。脇橋掛ニテ名乗。其内ツクボウテ居。脇呼出ス。身ヒラキ居ナガラニ「御前に候」ヲ云。ワキシカ〳〵。「宿をとり候へ」ト云。「畏て候」ト云。脇又「それがし名字を隠し候へ」ト云。「心得申て候」ト云。脇ノウシロヲ通リ、舞台へ出、シテ柱ノ先ニテ「やれ〳〵これは、まだ日は高いに」ヲ云。「大黒や」ハ正面ヲミテ云。「甲や」地謡ノ方ヲ見テ云。扨立ナガラ、下ヨリ案内ヲ乞。大夫出テシカ〳〵アリ。狂「訴訟有て在京致」ヲ云。「一夜の宿をかし候へ」ヲ云。大夫シカ〳〵。「こなたへ御通候へ」ト云。狂「心得申て候」ト云。大夫シカ〳〵。名字ヲ尋ル。狂「信濃の国の住人望月の某」ト云テ ヲドロキ、口ヱ手ヲアテ右ヘヒラキ、又身ヲ直シテ「ではおりない」ト云。坊((ママ))下僧ト同事。扨脇ノ前へ行「いかに申上候。お宿をとり申て候」ト云。其時ワキ坐ニツク。狂言笛吹ノ上に居ル。又脇名乗。舞台ニテ宿ノ事ヲ云付、橋カヾリへヒラク。其時狂言大夫トシカ〳〵。「宿をとり申たる」と云テ、坐ニツクモアリ。云合次第ナリ。大夫呼出ス。「何事にて候ぞ」と云。「酒を持せて参たるよし」ヲ云。「心得申て候」ト云テ、脇ニ云。脇シカ〳〵。立テ「こなたへ御通りあれと申され候」ヲ云テ、笛坐ニ居。是迄ハ太刀持ナガラアイシロウ。爰ニテ太刀右ノ方下ニ居。扨居ナガラ「いかに亭主」ヲ云。大夫シカ〳〵。狂「あれなるはいかやうなる人」ト云。大夫〳〵。「是は一段の事」ヲ云テ、少身ヲヒラキ、脇ニ云。脇シカ〳〵。「畏て候」ト云テ、扨諷ヲ所望スル。子「一万箱王が親の敵を打たる所を」ト云。 狂肝ヲツブシタル体ニテ、狂「いや〳〵夫は此お坐敷では差合が有」ト云。ワキシカ〳〵。 狂「夫ならば何にてもお諷やれ」ト云。曲舞過テ、 子「いさ打う」ト云トキ、狂「こちへまかせ」ト云。右ノ方ノ太刀ヲ左リへ取直シ、ヒザヲ立、太刀ノ柄ニ手ヲカクル。脇ハ少サ刀ニ手ヲカクル。狂言太刀持ナガラトメルモ有。其時ハシカ〳〵替ルベシ。云合次第ナリ。狂「夫ならば夫ととうおしやらいで」ト云トキ、本ノ坐ニツク。「扨亭主は何をめされ候ぞ」ヲ云。子シカ〳〵。大夫シカ〳〵。「おさない人にいつはりは有まい」ヲ云。大夫シカ〳〵有テ入。中入ナリ。子方モツレモ太コ後へ入。狂言少シ見合。立テ「いかにおさない人。ちかふ参り、八ばちを打申され候へ」ト云。太コノ坐ヘ入。但八撥ヲ打ト云事ヲ脇ニ云モアリ。是不宜。 四十八 安宅 一 狂言袴。太刀持。ワキノ供シテ出ル。ワキ名乗過テ呼出。太刀持ナガラ「御前に候」トツクボウテ云。ワキシカ〳〵。「畏て候」ト云テ上面ニテフレ、又フレ無ニモ。扨脇坐ニツク。狂言ワキ下ニ居。太刀右ノ方下ニ置ナリ。強力厚板クヽリ袴ヨシ。帯少サ刀サバキ。髪頭巾。負ヲヲイ、杖ト笠ヲ右ニ持、左リニテソツト持ソヘル。 大夫何レモ立衆ノ跡ニ付テ出ル。立衆大小ノ前ヘ二行ニナラブ。狂言モナラブ。若丁((ママ))ノ人数ノ時ハ、狂言正面向テ真中ニ居テ、次第ノ地返ニ「おれが衣は」ヲ諷、スグニ太コ坐ニ入。篝((ママ))モ杖笠モ下に置。弥太郎ガヽリハ道行之内立テ居ル。当流ハ右ノ通リナリ。但笠ツヘ笈ハシテツレニ入用故、大夫方ニ用意スルナリ。但シ貴人方、判官ニ御立有カ、又至而幼少ノ人判官之トキハ、笈ハ外ニ用意スベキモノナリ。又宝生ガヽリニハ、右ノ次第地へ取テ諷。大夫呼出ス。強「御前に候」ト云。大夫シカ〳〵。「誠に是は冥加恐しき御事」ヲ云。笈ヲ持出。大夫ニ渡ス。但笈ノ内ヲ向ニシテ渡ス。大夫シカ〳〵。「畏テ候」ト云テ立。但右ノ通大夫狂言ヲ呼出スハ、観世宝生ガヽリナリ。道行過。判官「安宅の湊に新関をすへたる」ト云セリフ有テ、呼出。金春ニハ右セリフナシ。道行過ルト、狂言シテ柱ノ先へ出「や。何といふぞ。安宅のみなとに新関をすへ、山伏をかたくえらぶといふか。是は一大事のことじや急で申し上う」ト云テ、右ノ通大夫ニ云テ入。扨大夫呼出。笈ノセリフ「関の様体みて参れ」ト云事アリ。爰ニテ、橋掛ヘヒラキタルガヨシ。其故ハ、判官ニ笈ヲカケル内舞台ノセキ合ヌ為ナリ。「扨〳〵にが〳〵敷事ぢや。我君のやうなあなたこなたで御苦労を被成るゝ事はない」ト云テ、ソロ〳〵舞台へ出ル。「関のやうだいを見て参らうか」ヲ云。「先ときんはむつかし」ト云テ、トキンヲ取テフトコロヘ入ル。扨舞台ノ先へ出。「扨〳〵おびたゝ敷やうがいぢや」を云。「矢倉かいだてをあげ」ト云トキ、脇坐ノ上ヲミル。「攔抏逆茂木」ト云トキ、正面ノ下ヨリ脇正面ヲミル。扨脇坐ノ上ヲミテ「黒い物が」ヲ云。「何山伏の爰ぢや」ト云トキ、右ノ手ニテ我首筋ヲタヽク。「はづぢや。こわ物」ト云トキ、飛ノキ又立戻リ「あまりいたはしい事ぢや」ヲ云テ「あびらうむけん」云テ、「プツ」ト云印ヲムスビ、両手ヲ打。右ノ内イロ〳〵仕ヤウアリ。扨立戻テ「いかに申上候」ヲ云。別義ナシ。大夫シカ〳〵。「山伏はかいふいて」ヲ云。大夫シカ〳〵。「跡より来り候へ」 狂「畏て候」ト云テ、太コノ坐ヘ入。 「よろ〳〵としてあゆみ給ふ御有様ぞいたはしき」ト云謡過テ 太刀持太刀持ナガラ脇ノ前ニツクボウテ「いかに申上候。山伏達の大勢御通りにて候」ヲ云。脇シカ〳〵。太刀持脇ノ次ニ立テ居。大夫ワキセリフ有テ、大夫「誠の山伏をとめよと候か」ト云時、「いらぬ事なおしつそ」ヲ云。「其切たる山伏が判官殿にてあるか」ト云。 太刀持イカニモ腹ヲ立「いかにいふとも切てかけやうぞ」。但此セリフ貴人ナドニ差合有方トキハ云ベカラズ。扨勧進帳過テ、脇「御通り候へ」ト云トキ「急いでお通りやれ」ヲ云。各通ル。判官舞台へ出ル時、「いかに申上候。判官殿の御通にて候」云。右云内ニ太刀ヲ鞘ヲ向ニシテ渡ス。右イカニモ急ニ云。但脇肩ヲヌグユヱナリ。見合テ太刀ヲ渡ス。「笈に目をかけ急ふは盗人ざふな。かた˝〳〵は何故に」ト云謡ノ時、脇太刀ノ柄ニ手ヲカクルヲ、狂言「ああ」ト云テ留ル。左ノ手ニテ脇ノ胸ノアタリヲ押ル。右ノ手ニテカヽへル。左リノ足ヲ脇ノ前ノ方ヘフミ込、ツヨク留ル。脇「誠の強力にて候ぞ。御通り候へ」。狂「誠の強力じや。急でお通りやれ」ト云テ太コ坐ヘ入。大夫ツレ各脇ニナラビテ、強力大夫ノ下ニ出テ居ルモヨシ。 クセ過。脇大小ノ後ヨリ橋掛へ出テ、呼出ス。狂言太刀持出ル。 狂「御前に候」脇シカ〳〵。「畏て候」ト云テ、シテ柱ノキワヘ少シ行テ、橋ガヽリヨリ舞台見テ、扨脇ヱ「いまだあの山陰に」ヲ云。爰ハ程能手間ノ入ラヌ様ニスベシ。脇シカ〳〵。「畏て候」ト云テシテ柱ノキハニテ案内乞。強力出ル。シカ〳〵如常。 強「心得申て候」ト云テ、大夫ニ其通ヲ云。大夫シカ〳〵。 強「畏て候」太刀持へ其通ヲ云。爰ノセリフ別ノ事ナシ。両人共ニ太コ坐ヘ入。 能過テ入トキハ、初出タル通。 四拾九 藤永 一 狂言上下。太刀持。大夫ノ供シテ出。大夫名乗過テ、呼出ス。狂言出、立ナガラ、「御前に候」ト云。大夫「あのあなたに当て笛鼓の音の聞ゆる」ト云。シカ〳〵アリ。「畏て候。去ながら某推量仕るに、笛つゞみの音にてはなく候。浪の音、松風の音にて御ざあらふずるかと存候」ト云。但爰ニテ、昔ハ先聞ニ行タルナリ。当代ハ大夫モホサレ、狂言モ別ニ奥モナキ故ニ、右之通ヌクニセリフヲ云。大夫「又太鼓の音も聞ゆる」ト云。シカ〳〵有。狂「畏て候」ト云テ「又太鼓の音もきこゆると仰せらるゝ。不審な事じや」ト云内ニ、一ノ松ノアタリ迄行。「や。何といふぞ。東永殿のお船遊」ヲ云。「是は一段の事。いそひで申上う」ト云テ、大夫ノ前へ行。「いかに申上候。今日の御舟あそび、なるをどのゝ御存あつて拍子物にて酒むかひの由申候」ト云。大夫シカ〳〵。「尤にて候」ト云テ、太コノ坐へ入。 後ノ間 ○能力。出立如常。傘ヲカタゲテ出ル。但コノ傘ハ能ニ入事ナシ。応答ニ持出斗成ニヨツテ、狂言方ヨリ用意スル。成尾其外、立衆渡リ拍子ニテ出ル。狂言其跡ニ付テ出ル。渡リ拍子ノ謡テモヨシ。謡ヌトテ不苦。立衆舞台ヘ入トキ、狂言太コノ坐ヘ入。傘ハ下ニ置。大夫トツレ少セリフ有テ、鳴尾ヲ呼出ス。狂「御前ニ候」。鳴尾「一指舞ヘ」ト云。シカ〳〵有。「畏て候」ト云テ、直ニ「いたいけ」ヲ舞。「一天四海波」ニテモ。鳴尾シカ〳〵。「汝が扇を思ひざしに仕候へ」ト云。「さらばどなたへさしませふぞ」。「左様か。さらば藤永どのへさしませう」ヲ云テ、太コノ前へ出テ居。尤傘モ持テ出ルヤウニ、右ノ方ニ置ベシ。曲舞過ル。謡カケテ、狂言傘ヲ持出テ「又君のおからかさを」ト云トキ、笠ヲミル。「龍頭げきしう」ト云トキ、右ノ角へ出、順ニ廻リ返、左右ノ時「お供(●)申(●)さ(●)ん」如此拍子フミ、グハツシ笠ヲカタゲテ留ル。但シ爰ニテグハツシ拍子有故ニ、前ノ小舞拍子グハツシセヌ物ナリ。脇扇ヲ顔ニアテ、手招スル。能力二度メ位ニ「何とこちの事か」ト云。但笠ハ捨テ行。後見ヨリ取、爰ニテ金春ニテハ、大鼓ノ下ノ方ニ立テ居。又其儘右ノ所大小ノ前下ニ居流モ有ト見ヱタリ。ワキシカ〳〵名ヲ尋ル。「扨はお知やらぬか。あれこそ天下にかくれもなき」ヲ云。ワキ「其東永に今の舞こそ面白けれ。今一指舞。みやうといへ」ト云。能力肝ヲツブシタル体ニテ「そりやたれが」ト云。ワキ「愚僧が」ト云セリフアリ。「扨々けふがつた者が有」。笑〳〵云。「何か其やうな事が申されうぞ」ト云。「いやけつくお笑ひ草に申上う」ト云テ、大夫ニ其通ヲ云。「今一さし舞へ。見うと申まする」ト笑〳〵云。 大夫ハ「ばちを打て聞さふ」と云セリフアリ。能「いや〳〵あのやうな慮外者に」ヲ云。「さやうに思召ば畏て御坐る」ト云テ、腹ヲ立。「扨〳〵そなたはめうがに叶ふた人ぢや」ヲ云。脇シカ〳〵。笑テ「かつにのつて法量もない事をいふ。扨〳〵にくいやつじや。身共がまゝならば是〳〵をいたゞかせふ物を」ト云トキ、扇ヲヒラキ左ニ持。右ノ手ニギリコブシニテ、アタマヲハル仕方、鞍馬天狗ノ間ト同ジ。但貴人ナドノトキハセヌ事ナリ。分別有べシ。 五十 春永 一 狂言上下。腰刀持。脇ノ供シテ出ル。脇名乗過、呼出。狂言太刀持ナガラ出ル。ツクボウテ「御前に候」ヲ云。ワキシカ〳〵。「畏て候」ト云テ正面ヱ出テ、触ヲ云テ太コ坐ヘ入。大夫橋掛ニテ諷。次第名乗過テ、小太郎案内乞。狂言シカ〳〵。太刀ハ持ズ。小太郎シカ〳〵。狂言モシカ〳〵云テ「さあらば夫に御待候へ。先其由申てみやうずるにて候」ト云テ、脇ニ其通ヲ云。脇シカ〳〵。「畏て候」ト云テ、小太郎に其通ヲ云テ「太刀刀を預り申さふずるにて候」ヲ云。小太郎ハ太夫益大殿ニ其通云。狂言貴人ナラバツクボウテ居ル。小太郎大夫ノ刀ト太刀トヲ一所ニ柄ヲ左リノ方ヘナシテ渡ス。狂言受取、右ノ手ニ持テ「そなたのかたなをも預り候べし」。小太郎モ渡ス。狂言三腰ヲ一所ニ持、脇ノ前へ行、「おこしの物を預り申て候」ト云。ワキシカ〳〵。「畏て候」ト云テ、「こなたへ御通候へ」ト云テ、太コノ坐へ入。太刀刀下に置。曲舞過辺ニ謡有テ、脇呼出ス。舞台ノ真中、大夫ト脇トノ万間ヱ出テ「御前に候」ト云。脇シカ〳〵。「畏て候」ト云テ、「扨も〳〵かやうな哀成事は御ざあるまい」ト云内ニ刀ヲ取ニ入テ、大夫ノ小刀斗持出ル。尤右ニ持。「此上は春永殿の御命は五百八十年目出たからふと存る」ト云内ニ、シテノ前へ行。「さらばおこしの物を参らせ候べし」ト云テ、刀ノ柄ヲ我左リノ方ヘナシ、左リノ手ヲ添テ渡スべシ。又シテノ前へ下シ置モ有。能〳〵可聞合。太コ坐ニ居。 五十一 芦苅 一 狂言上下。脇案内乞。狂言出テ「里人のお尋は」ヲ云。ワキシカ〳〵。「それに暫御待候へ。其由申上やうずるにて候」ヲ云。狂言「心得申て候」ト云テ、此間貴人ナラバ、ツクボウ居ガ吉。脇シカ〳〵。狂「是に候」。ワキシカ〳〵。 狂「尤何にても御目に掛申度は候得共」ヲ云。脇シカ〳〵。「心得申て候」ト云テ、少舞台へ出。楽ヤ向テ「いかにあし売男」ヲ云テ、太コ坐へ入。大夫後見坐へ入。物着有。作リ物モ入テ、狂言立テ、シテ狂ノ先ニテ「扨も〳〵めでたい事かな」ヲ云。扨脇ノ前へ行。下ニ居テ「いかに申上候。最前の者にて候が」爰ノ台詞如常。脇シカ〳〵。「畏て候」ト云テ立。脇正面ヨリシテノ方ヲ見テ、ツクボウテ「いかに左衛門殿」ヲ云テ太コノ坐ヘ入。 五十二 鉢木 〔壇風〕 一 二人ニテモ三人ニテモスベシ。狂言袴〔少刀サス〕。クヽリ肩衣。右ノカタハネ、杖ツキ出ル。頭取「聞たか〳〵」ト云テ出ル。アド「何事ぢや〳〵」ト云出ル。但二人ノトキハ、アド上ノ方ニ居ベシ。三人ノトキハ左右ニ居。頭、語ノ内如常。咄ノ如面白スベシ。頭取「身共は上野下野を触う。早やくぞ」ト云。アド「尤じや。身共等も急で触う」ト云テ、楽ヤへ入。頭取シカ〳〵。「此やうな一大事は有まい」ナドヽ云テ、一ペン廻リ、触所ニテ如常。「皆々上意の趣」ヲ云テ入。 後狂言上下。クヽリテモヨシ。少刀持。脇二階堂出ル。跡ニ付テ出。笛ノ上ニ居ル。 シテ出羽過テ、二階堂呼出ス。「御前に候」。二カイシカ〳〵。「畏て候」ト云テ立。「此諸軍勢の中に壱人ゑらび出さるゝは、いかさまふしむな事じや」ト云テ、脇坐ノ方ヨリ「是は駿河の国の衆、是は甲斐の国の衆、又こなたは上野の国じや。扨々いづれもおとらぬきらびやかなことかな」と云テ、次第ト橋ガヽリノ方ヘムイテ、大夫ヲ見付ル。「是で有う」ト云テ、「いかに申候。二かい堂の承りにて急ぎ御前へ御参りあれとの御事にて候」ヲ云。大夫「人たがひにて候べし」ト云シカ〳〵有。「いや人たがひにてはなく候。御前よりの仰にはちぎれたる腹巻をき、さびたる長刀を持」ヲ云テ入。 但大蔵ニテハ「甲斐の国上野の国」ナドヽ云モナシ。是ハ初ノ語ニ有ニ依テトミヘタリ。「ちぎれたる腹巻、さびたる長刀」モナシ。大夫ホサルヽ故ナリ。只「慥そなたの事」ト斗云ベキナリ。 五十三 盛久 一 狂言上下。道行ノアタリニテ出。太コノ坐ニ居。「鎌倉どのに参りけり」ト謡過テ立。シテ柱ノ先ニテ、「扨も〳〵奇特なことかな」ヲ云。扨脇ノ前ニ行テ、下ニ居テ「いかに申上候」ヲ云。脇シカ〳〵。「畏て候」ト云テ、脇正面ノ方ヨリ大夫ノ方ヲ向テ、ツクボウテ「いかに盛久」ヲ云テ入ル。但大夫向テカラ入。隙入ラバ、勝手ニ入ベシ。 五十四 七騎落 一 狂言上下。脇ノ供シテ出ル。橋掛ニテ、脇舟ニ乗。狂言舟ノトモニ乗、カイ棹ヲ取テ櫓ヲヲスヤウニスル。但シヲサヌ物ナリ。心ハウカレ舟ノ道理也。習トス。ワキ一セイ諷。狂言二ノ句ヲ諷。但棹持ナガラ大夫脇謡ノ内無別事。脇刀ニ手ヲ掛ルトキ「是はいかな事」ト云テ留ル。棹ヲ捨テ引スヘテ抱トメル。扨ワキ舟ニアガルトキ「土肥殿〳〵ざれ事も時による物にて候ぞ」ト云テ入。太コ坐。 但脇一セイニテ出ル時、狂言カイザホヲ持テ出ルモアリ。持ヤウハ前ヲ下ゲテウシロノ上ル心ニ持テ出ル。又俄ノ能又流義ニヨリテ脇方ニ舟出サヌ事モ有ベシ。左様ノ時ハ、猶イカイ棹持テ出ル。舟出ルトキモカイ棹失念ハナキカト尋ベシ。 五十五 小督 一 女 ビナン。箔。女帯。扇サス。シテツレ出ル跡ニ付テ出、太コノ坐ニ居。作物出テ立。シテ柱ノ先ニテ云立、扨柴垣ノ戸ヲ下へ居テヒラキ、内ニ入。戸ヲ〆、笛ノ方ヨリツレノ方ヲ向、ツクボウテ「いかに申参せ候。今夜は八月十五夜」ヲ云。少シスサリ、スグニ笛ノ上ニ居。大夫一セイ過謡色々有テ「しらべはかくれよもあらじ」ト云謡過テ、女少出。ツレノ前ニツクボウテ、「のふ〳〵仲国」ヲ云。是大夫ニヨリ此シカ〳〵無キモアリ。能々云合スベシ。扨舞ノ前ニ「声すみわたる月夜かな」ト云諷過テ、女酒モル体ニ扇ヲ開持テ出ル。大夫ノキハニツクボウテ「か程めでたき折なればさゝをもまいり、仲国一さし御舞候へ」ヲ云。何レモ間ノヌケヌ様ニ云ベシ。扨元ノ坐ニ居ル。 五十六 山姥 一 狂言上下。脇次第ノ内ニ出、太コノ坐ニ居。脇案内乞。狂言下ヨリ出ル。「境川の者とお尋は」ヲ云。如常。「御乗物はかなわぬ道にて候」ト云。ワキシカ〳〵。狂「心得申て候」ト云テ立テ居。ワキシカ〳〵。「是に候」。脇シカ〳〵。「さあらば案内者申候ふずるにて候」ト云。シテ柱ノ先ヘ出ル。ワキトナラブ。「御覧候へ。殊の外のけんなん」ヲ云。シカ〳〵内別事ナシ。大夫出、橋掛ニテ「のふ〳〵お宿参らせう」ト云トキ、狂言「日本一の事。お宿参らせうと申」と云テ太コノ坐へ入。 大夫中入過テ、狂言シテ柱ノ先ニ出テ、「又夜が明けた」ヲ云テ上ヲミル。扨ワキノ前へ行、下ニ居テ、シカ〳〵語。如常。但ワキ坐ニツレ、ワキハ笛ノ上ニ居。脇ヘ心ノ付様有ベシ。居所ハ常ノ通ナリ。「どんぐりの木が山うばになると申」ト云ヨリ雑談ノ様云。 どんぐり 〇「どんぐりの木をある時大風が吹て大き成枝を吹折て御坐るが、其枝年久土に埋てかた枝が手になり、又片枝が足となつて木のふしの処が手あしの節となつて、其儘山姥になつたと申候。どんぐり目と申事あれば、是が山姥で御坐らう」。 戸 「山寺に年久い古ひ戸が有たと申が、是も大風に吹れては谷底へ落て御坐るが、古ひ戸の事なれば、板がはなれてどうになり、戸のさんが手となり、ふりがあしとなり、是が山うばになつたと申候。成程山に住木戸と申時は、是が正身の山姥で御坐らう」。 鰐口 「山寺のわに口が何としてか谷へ落て、木の葉が取付て髪となり、わに口の口が山姥の口となり、両の耳がみゝとなり、是が山姥になつたと申」。 右ノ外ニイロ〳〵有レドモ略ス。三斗ニテ吉。云様ハ面白ク云ベシ。 外ニ ウツボ クサビラ トコロ クスネ皮 桶 柴     右ハ別本ニアリ 五十七 貴舟 一 狂言上下。太刀持ヤスマサノ供シテ出ル。康政呼出ス。太刀持ナガラ下ヨリ出ル。ツクボウテ「御前に候」ト云。ヤスマサシカ〳〵。「畏て候」ト云テ、脇正面ヘヒラキ、「何と申ぞ。和泉式部の法楽の舞があるといふか」ト云テ、ヤスマサニ其通ヲ云。別ノ事ナシ。 五十八 斑((ママ))女 一 女出立如常。口開。初ニ出テ、シテ柱ノ先ニテ云立有。野上ノ長ナルニ依テ、シツポリト云物ナリ。扨左リヘヒラキ、楽ヤ向テ呼出ス。大夫出ル。但大夫橋掛ノ内ニヒタト呵ルヤウニ云。観世ナドハ好アルベシ。能々云合スベシ。尤大夫ノホサレヌヤウニスベシ。大夫舞台中程ニ下ニ居。狂言脇正面ノ方ヨリ立ナガラ「此中さい〳〵申せども、長が申事をばお聞ない」と云テツヨクシカル。「はらだちやまた此あふぎ持ていのふ」ト云テ、大夫ノ扇ヲ取テ則、大夫ノ前ニ捨ル。又其儘指サシナドシテ、「腹立や〳〵」ト云テ入。 〇後ノ間、狂言上下如常。下ヨリ出テアシラウ。但シ人数ナキトキハ、直ニ女アシライテモ不苦。大方後ノ間ハナシ。 五十九 百万 一 狂言上下如常。脇案内乞。狂言出テ、下ヨリシカ〳〵別ノ事ナシ。「先かう御通候へ」ト云。脇坐ニ着。狂言扇ヒラキ、「南無釈迦無尼仏」ト左右。地ニ取ル。角へ行。「南無釈迦〳〵 〳〵」。カザヘ大廻リ、地へ取ル。小廻リナドスル内ニ、大夫シヅカニ出ルヲ見テ、扇両手ニ持、顔ニアテルヤウニシテ「さあみさあ〳〵さ」ウキヲトル。大夫笹ニテ狂言ノ後ヨリ打。「はちがさいた」ト云テ左リヘヒラク。大夫「あらわるの念仏の拍や。左様にすじなげに申ぞ。童おんどをとり候ベし」ト云。「尤にて候。さあらばいかやうにも音(ヲン)同(ド)を御取候へ」ト云テ、太コノ坐ニ入。「南無しやかむにん仏」。地へ取リ大テイ三ベン取ル。其時ハ取ラズ。心得ベシ。 六十 三井寺 一 ユメ合。狂言上下。又ハ長上下ニテモ。大夫ニ附テ出ル。太コノ坐ニ居。大夫「あらたなる霊夢を蒙りて候」ヲ云テ、「頓て下向申さばや」ト云内ニ、狂言一ノ松へ立テ「是は清水寺の御前」ヲ云。大夫ノホサレヌ様ニ見合テ大夫モ狂言ノ名乗ヲ聞合セテ立ナリ。流義ニヨリ謡モ替アリ。能々聞合スベシ。 扨大夫立ト、狂言舞台ヘ入、「はや御下向にて候よ」ト云テ、後見坐ヨリセウギ持出、「先是へおこしを召れ候へ」ト云テ、腰カケサス。扨大夫ノ右ノ方ニ下ニ居テ、「扨いかやうなる御霊夢ばし御坐候ぞ」ト云。爰ノシカ〳〵別ノ事ナシ。大夫「おしへの告にまかせ、三井寺へ参り候はん」ト云テ立ト、狂言大夫後へ行、セウギ持太コノ坐ヘ入。  此アシライ少シナレ共仕様アリ。習トス。 〇後能力出立如常。脇ノ跡ニ出ル。太コノ坐ニ居。道行謡ノ留「月の名たのむ日かげかな〳〵」ト云時、脇坐ニ着。扨狂言立テ、「扨も〳〵毎年とは申ながら」ヲ云。扨脇ノ前へ行、下ニ居テ「いかに申上候。毎年とは申せども」ヲ云。脇シカ〳〵「舞ヘ」ト云。「畏て候」ト云テ、「いたいけしたる」ヲ舞。「はちとやみ」トグワツシナガラ、橋掛ヲ見テ、「そこもとにどゞめくは何事じや」ト云テ、立テシカ〳〵。扨シテ柱ノキワヨリ「三位殿〳〵」ト左リノ手ニテ脇ツレヲマネク。脇ツレ立テ「何事ぞ」ト云シカ〳〵。別ノ事ナシ。脇ツレ「当寺へ左様のものは無用にて有ぞ」ト云テ、坐ニ着。狂言「扨〳〵物しりだてな善しない事を」ナド云テ、シカル心。扨楽ヤ向テ「其由申てあれば」ヲ云テ、「急でこなたへ通り候へ〳〵」ト云テ、笛ノ上ニ居。 大夫一セイニテ出ル。色々謡有テ、「舟こがれて出らん舟人もこがれいづらん」ト云謡ノ内ニ、狂言立テ舞台ノ真中程ニテ「なんぼう初夜をわすれやうとした」ヲ云。「天下に三ツの鐘ぢや」ト云時、鐘ヲミル。扨鐘ノ綱ヲ持心ニテ、右ノ足ヲ作リ物ノ方へフミ出シ、スジカヘテ「ゑい〳〵 〳〵」ト云テ鐘ヲツク。「じやもん〳〵 〳〵」何ベンモツク。但鐘木ノ緒アレドモ、持ト云事ナシ。持体斗ナリ。大夫笹ニテ後ロヨリ打。「はちがさいた」ト云テチャツト身ヲヒラク。爰ノシカ〳〵別ノ事ナシ。狂言「鐘つく〳〵法師にておりやり候」ト云テ、笛坐ヘ入。 「かげはさながら霜夜にて〳〵月にや鐘はさへぬらん」ヲ謡返シテ謡時、謡ニカケテ脇ノ前ヘ行、「いかに申上候。女物狂のかねをつかふと申候」ヲ云。但早ク出モノナリ。「かげはさながら」ノ謡ニテ立事ナシ。地返ノ内ニ立ベシ。能々心得ベシ。扨太コ坐ニ入。但大夫ニ支テ入ガタキ時ハ、先笛ノ上ニ居。大夫ニ支ヌヤウニ見合、太コノ坐ヘ入ベシ。此間殊ノ外、仕ヤウアリ。習有也。 〇 六十一 土車 一 狂言袴如常。大夫次第過道行ノ末「善光寺にも着にけり」ト云謡過テ、狂言出ル。  仕舞柱ノ先ニテ名乗。大夫ヲ見付、「あらふしぎや」ヲ云。但狂言名乗ノ内、大夫ホサルヽ故、名乗ナシニ、直ニ大夫ヲ見付、「あらふしぎや。爰に常の人にかわりたる者の候」ヲ云ガヨクアルベシ。尤下ヨリ詞ヲカクル。爰ハ短ク云ガ大夫ノ為ニヨクアルベシ。「此御堂ヘはかなひ候まじ。急でいづかたへも御出候へ」ヲ云。「おふさてそち衆がよふなものは」ヲ云。大夫「何と天が下にはかなふまじいと候や」ヲ云。「中〳〵の事」を云。其儘舞台ニ立テ居。大夫「おゝそれながら、めん〳〵の秘してせき給ふベきかと」ト云テ「一天四海波を」謡テ「みかげの国なるをばた((ママ))りせかせ給ふか」ヲ云。「さればこそ狂人にて候。片原へ寄てみやうずるにて候」ト云テ、太コノ坐ヘ入。此シカ〳〵ノ内、鼓打返ス。是ヲ習トス。狂言セリフ過打上、大夫。「当国信濃路や」ト云、上ハヲ謡。此アシライ習也。大小モ一番ノ秘事トスル由。 〇ワキ次第道行ナシ。名乗斗ニテ脇坐ニツク。狂言ワキ次第ノ内ニ出テ、間ノ坐ニ居。脇坐ニ着ト、大夫ノ後見楽ヤヨリ車ヲ持出テ、三ノ松ノ下ニ置。一セイニテ子方出テ車ニノル。其次ニ大夫出テ、車ノウシロヲ通リ、車ノ前ノツナヲ持。「いかにあれなる道行人」ヲ謡出ス。「善光寺にも着にけり〳〵」ト云時、一ノ松ニテ留ル。車ヨリヲリ、子方大小ノ前向ノ方ニ立居ル。シテハシテ柱ノ先ニ居ル。引ツヾイテ狂言方、子方ノウシロヲ通リ、脇ノ下ニ立テシテト掛合。「いかに狂人面白くるふてみせ候へ」。シテ「いや狂ひたふもなく候」。「いや〳〵狂ふてみせ候へ」。「いや〳〵狂ひたうもなく候」。「狂へといふにくるわずは、天が下には叶ひ候まじ」。大夫シカ〳〵。「中〳〵の事」。「恐ながらおことの身として」ヲ謡。 「御影の国なるをばひとりせかせ給ふか」〇爰迄大夫ト向合事三度アリ。〇打切リ留〔習ノ所ナリ〕「さればこそ狂人にて候」ヲ云テ、太コノ坐ヘ入。 幸流ト大倉流ハ打方違フナリ。 右ノセリフハ 文化四卯九月二日大坂常舞台ニテ長命弥右衛門興行ノ節 片山九郎右衛門     大倉 西川七三郎 土車  中村弥三郎    小松原新助   沢 栄蔵 間    土屋猪左衛門 習ノ所、幸流トハチガフ由、大倉ハ中略常ノ打切ノ通ナリ。此時ハ打切ノ間ニ「さればこそ狂人にて候。かたはらへたをせやうずるにて候」。シヅカニ云べシ。余程長シ。幸流ヨリハ長キ由ナリ。 六十二 富士太鼓 一 狂言袴如常。脇供シテ出ル。脇名乗過テ、呼出ス。下ヨリ出テ臥シテ「御前に候」ト云。ワキシカ〳〵。「畏て候」ト云テ、笛ノ上ニ居ル。大夫次第道行過テ、案内ヲ乞。狂言立テ「案内とは誰にて渡り候ぞ」ト云。大夫シカ〳〵。狂「夫に御待候へ」ヲ云。脇ノ前ニ行、臥シテ「富士がゆかりの者とて」ヲ云。脇シカ〳〵。狂「畏て候」ト云テ、大夫ノ方へ「最前の人の渡り候か。こなたへ御通り候へ」ヲ云テ、太コノ坐へ入。 但此アシライ触ハ云ベカラズ。大夫橋掛ヨリ案内乞時ハ、初ニモ太コ坐ニ居テモヨシ。 籠太鼓 一 狂言袴如常。太刀持、脇ニ付テ出ル。太コ坐ニ太刀置。脇名乗過テ呼出ス。狂言臥シテ「御前に候」ヲ云。脇シカ〳〵。「籠の番を仕候へ」ト云。「畏て候」ト云。脇扨脇坐ニツク時、狂言直ニ立テ「扨〳〵かやうの不便なる事はござらぬ」ト云テ、舞台ノ真中、作リ物ノ少右ノ方ニ正面向テ、イカニモベツタリト下ニ居ル。但右ノ足ヲ左ノヒザノ上ヱアゲテ「なふいかに清次」ヲ云。爰ニテ心ノ付ヤウ有ベシ。「やれ清次〳〵」ト云テ不審顔シテ左リノヒザヲ立テウシロムキ、籠ヲ見ル。「是はいかな事、籠が破てある」ト云テ、扨立テ籠ノキワヘ行、肝ヲツブシ、手ヲ打テ、「清次がぬけた扨々にが〳〵敷事かな。兎角申あげいではなるまい」ト云テアハテヽ脇ノ前ヘ行。トウドニ居テ、「ぬけて御坐る」トツカウドニ云。此内仕ヤウ有ベシ。脇シカ〳〵。「いや此暁清次が籠を破つてぬけて御坐る」ト云。ワキ「汝曲事にてあるぞ」云テ、「扨親はなきか子はなきか」ト云セリフ過テ、「妻はなきか」ト云。「中〳〵妻は御ざる」ト云。ワキ「急でつれて来り候へ」ト云。「畏て候」ト云テ、右ノ方へ身ヲヒラキ、「先心がゆるりとした」ト云。扨スグニ左リヘ身ヲヒラキ、橋掛松之所迄行テ、清次ガ妻ヲ呼出ス。大夫出ル。狂「いや左様の事ではおりない。松浦殿より少御用の事候間、急で参られ候へ」ト云テ、扨大夫ノ先へ立テ、ワキノ前へ行、「清次の妻是迄来参りて候」ト云。ワキシカ〳〵。「畏て候」ト云テ、扨大夫ニ「是へおとをりやれ」と云。但金春ニハ大夫出ル。「左様の事ではおりない。少御用の事候間、急でお参やれ」ト云テ、大夫ノ袖ヲ取テ引立テ行心ニ、舞台迄ツレテ出ル。スグニ「清次が妻是迄参じて候」ト云。此時脇スグニ大夫ニウタヒカクルナリ。扨狂言太コ坐へ入。「今の女を引たてゝ」ト云謡過ルト、ワキ呼出。狂言、大夫ト作リ物トノ間へ出、「御前に候」ト云。ワキ「清次が妻を籠舎させ候らへ」ト云。狂「畏て候」ト云。此シカ〳〵ノ内、大小打切。但爰ニテ直ニ大夫ヲ引立ヌ物ナリ。「さもあらけなき」ト云時、大夫ノ後ヲカヽヘ、「たゝしませ」トツヨク云テ、扨籠へツレ行。但籠ノ戸ヲ橋掛ノ方ヨリワキ坐ノ方ヘヒラク様ニシテアリ。狂言戸ヲヒラキ、大夫ヲ入、「むくひの程ぞむざんなる」ト云時、籠ノ戸ヲベツタリトシメル。返シノ謡ノ時、太コノ坐ヨリ太刀ヲ持出、籠ノ少右ノ方ニテ正面ヘ身ヲヒラキ、左リノヒザヲ立、「清次をこそのがひたり共、おぬしをのがす事ではないぞ」ト云時、太刀ヲヌイツサイツクカタ〳〵トシテヲドス体ヲスルナリ。ワキ見付テ、「女にたいし太刀さばくりはむやく。今日より太鼓をつゝて一時替りに番を仕候らへ」ト云。「畏て候」ト云テ「是は尤の御意じや。先急で太鼓を釣う」ト云テ、太コノ坐ヨリカツコヲ持出ル。「誠にかやうに初より仰付られたらば」ヲ云。「一時替りと御坐れば、少の間と存て我人ゆだんのふ番を勤るで御坐らふ」ト云。此シカ〳〵ノ内ニカツコヲツル。脇正面ノ方正面ヨリ二本ノ位ノ竹へクヽリ付ル。但正面へカツコノ皮見ルヤウニ、脇正面ヨリハ調子ノミユル様ニ、上ノ竹へシラベヲ掛テブラツカヌヤウニ結付ル。尤籠ノ内ヘカツコノ入ヌ様ニ釣モノナリ。是ヲ習トス。併大夫ニ問テ、先ハ大夫次第ニスベシ。「やう〳〵時分じや、時を打て番を渡うと存る」ト云テ、カツコヘ左リノ手ヲ掛、扇ヲヌイテ「一ツ二ツ五ツ七ツ九ツ十」ト云テ、カツコヲ打ト云事ナシ。扇デ打テイ斗ナリ。「是はいかな事。一ツ打過いた、いや苦うない。明日のたしに仕らう」ト云テ太コノ坐へ入。扨大夫クドキノ謡過ル時分ニ狂言出テ、「あらふしぎや。籠の女が狂気仕る」ト云テ、扨脇ニ其通ノシカ〳〵ヲ云。ワキシカ〳〵。別ノ事ナシ。扨狂言ワキ正面ノ方へ身ヲヒラキ、籠ノ方ヲ向テ「頼ふだ御方の御出被成るゝ間、籠のまわりを立のき候へ」ト云テ入ル。 【図④】 但右「やれ〳〵清次〳〵」ト云テ、不審顔シテネジムキ籠ヲミテ「籠がやぶつて有」ト云テ、扨立テ「清次がぬけた」ト云。爰ヲスグニ「籠をやぶつて清次がぬけた」ト云モヨカルベシ。 六十四 籠祇王 一 狂言袴如常。脇ノ供シテ出ル。ワキ名乗過テ呼出ス。狂言下ヨリツクボウテ「御前に候」ト云。ワキシカ〳〵。「畏て候」ト云テ、少正面ヱ出、フレヲ云如常。太コノ坐へ入ル。大夫祇王次第道行過テ、ツレ案内ヲ乞。狂言上ヨリ出、「案内とは誰にて渡り候ぞ」ト云。ツレ女シカ〳〵「何と承候ぞ。是は祇王御前と申人にて候か」ヲ云テ、「囚人に対面は禁制にて候間、中〳〵かなひ申まじく」ト云。ツレ女シカ〳〵。「尤にて候。迚も対面は成申間敷候得共、去ながら祇王御前の御事は世にかくれなき」ヲ云。「先申てみやうずる間、夫にしばらく御待候へ」ト云テ、扨ワキノ前へ行、「いかに申上候」ヲ云。ワキシカ〳〵。「都より祇王と申狂女にて候が」ヲ云。ワキシカ〳〵。「中〳〵禁制の由申て候得共、祇王御前の御事は天下にかくれもなき白拍子なれば、世上の聞えを思召れ若御対面有ふずるかとぞんじ。扨かやうに申上候」ヲ云。ワキシカ〳〵。「畏て候」と云テ、「最前の人のわたり候か」ヲ云。ツレ女シカ〳〵。「日本一の御機嫌に申上て候。対面申さふずる間、こなたへ御通りあれとの御事にて候」ト云テ、太コノ坐ヘ入。扨大夫ト脇トイロ〳〵諷アリテ、脇呼出ス。狂言大夫トワキトノ間へ出、「御前に候」ト云。ワキ「此者を籠舎者に引合せ候ヘ」ト云。「畏て候」ト云。少跡ヘスサリテ居。老人「籠鳥の雲を乞」ト云諷出シ、「善所へむかへ取給へ」ト云謡過テ、狂言又少出「こなたへ御入候へ。父子に引合せ申さふずるにて候」ト云テ、籠ヘツレテ行心有。籠ノ方へ少行。大夫モ其通也。云合スベシ。「此籠の内に父子の御入候間、「能々御対面候らへや」ト云テ、又太コノ坐へ入。扨「さめ〴〵と泣居たり」ト云謡過テ、脇ヨビ出ス。狂言此時ハ脇正面へ出ベキ物ナリ。「御前に候」ト云。ワキ「時刻にて候間、老人を籠より出し候へ」ト云。「畏て候」ト云テ、籠ノ前へ行、「いかに尉殿。今こそ最期にて候へ。急で御出候へ。あらいたわしや」ト云。老人籠ヨリ出、狂言老人ノ右ノ手ヲ取テ左ノ手ニテ老人ノウシロヲカヽヘルヤウニシテ、ツレテ出、正面ノ下ニ置。仕舞心持有ベシ。能々云合スベキナリ。 但此能、祇王シテ也。応答ノ本ニハ「老人シテ」トアリ。流義ニヨリテ替リ有ベキカ。又右ニ案内ヲ乞モツレ女トミヱタリ。祇王案内乞モアリ。珍布能ナルニ依テ、分明ナラズ。尋置ベキコト也。 六十五 雲雀山 中入後、ワキ出テ後ニ間出ル。 一 狩人三人ニテモ五人ニテモ。狂言袴。同肩衣。葉ノ付タルナヨ竹ノ先ニ少葉ヲ残。面〳〵ニ持。五人ノ時ハ弐人斗竹杖モヨカルベシ。鷹師ハ狂袴ノ上ニ三尺手拭帯ニスル。ホクソ頭巾カブリテモ可然。飼フゴ提テモヨカルベシ。作リタル鷹ヲスユル。羽根ヲヒロゲタル鷹ナリ。尤弓掛シテ鷹ノ羽ヲ直ス。ブチヲ矢ナドヲ指タルヤウニ腰ニサス。犬引狂言上下肩無シ。腰帯斗巻布ニテ赤ト白ト綯マゼノ縄ヲ左ニ持。犬ヲ引心ナリ。ムチヲ物。右何レモ袴クヽル。大夫中入シテ、脇次第大臣名ノル。道行ノ跡「空にぞ雁の声はいる〳〵」ト云謡過テ出ル。 幕ヲ上サセ、狩人「ほうたか〳〵」ト云テ出ル。其跡へ鷹師犬引出ル。狩人頭取「今の鷹は何とした」ト云。鷹師「もはやすへ上たそふな」ト云。犬引「いかにもすへ上た」ト云。鷹「夫は一段ぢや。さあ〳〵皆からしませ」。「心得た」ト云テ、各左右ノ内外カル体。「いかに鳥がたつ」ナド云。 鷹「おちを見よ〳〵」ト云。是迄ハ橋ガヽリ。扨各舞台へ入。タカシ「落はどこで有た」ト云。立衆「爰じや」ト云。「夫ならば見せこを立さしませ」ト云。「心得た」ト云テ居。三人ナレバ脇正面ノサキ、シテ柱ノ先ニ立テ居。五人ナレバ脇正面ニ弐〔三〕人脇坐ニ弐人居。「さあ〳〵犬を入さしませ」ト云。犬引「心得た」ト云テ左リノサガリタル縄ニムチヲカケテ、犬ノアユム心ニ大小ノ前ヨリギヤクニ一返廻ル。其内アソコ爰ニテ犬ノカグ心持有ベシ。「夫よ〳〵」ナドヽ犬ニ詞ヲカクル間、半余リ程ヨリ、鷹ヲ合スル心ニテカマヘ、犬引ト同事ニ廻ル。元ノ所大小ノ前ヘキテ「そりやあたつた」ト云。犬引「たてよ〳〵」ト云テ「さあたつた」ト云。タカシ鷹ヲ合ス。「取たぞ〳〵」ト云。但舞台ノ真中ニテ各一所ニヨリツクボウツ抔シテ「一逸ぢや」ト云テ各鷹ヲホムル。鷹師鷹ヲスヘ上、立テ「なんとよふ取たではないか」ト云テ、ブチヲヌキ鷹ノ羽尾サキナドヲ直ス。立「扨も〳〵鳥をかけた体きさんじな事ぢや。犬も御秘蔵ほどあつて一逸じや」ナドヽ云テ各イロ〳〵云ベキ所也。タカシ「かやうに立わかつて鷹狩をするからは物数をあわせいでは無念な事じや」。犬引「おぬしがいふ通ぢや」。タカシ「今一所の落はどこぢや」。立「あれにみへたまへじや」。タカ「夫ならば今一つあわせて、あの東の山あしをかるまいか」。立「あそこは鳥の多い所ぢや。一段とよからふ」。タカ「さあらば夫へゆかしませ。皆こうおりやれ」。立「心得た〳〵」ト云テタカシヨリ入ル。 右ノ応答過テ大夫一セイナリ。 但右ノ鷹張ヌキヨキナリ。鷹合ルニ付尾羽足何レモソコネヌ様ニ強ク作リタルガヨシ。 鷹方ノ応答ハ、脇「横萩の右大臣御狩に御出被成候」トノ触斗壱人出テ云由、右通成ユヱニ大夫中入過テ応答有。当流ハワキ道行過テ出ル。出所替ナリ。 六十六 〔宝生流〕 道成寺間 〔宝永三年戌三月廿三日ニ市谷奥御舞ニテ、田中半平江被仰付、初而相勤被申。ワキ黒川又三郎、間和泉市右衛門。左ニ写留。宝生将監モ出席聊相違無之ナリ。〕 一 鳴物出ル。舞台座ニ付ト、狂言方後見弐人シテ、鐘ヲ持出ル。棒ハナシ。常ノ作リ物ヲ出スヤウニ鐘ノ両方弐人ニテ持、橋掛ノ下ヲズラシ、鐘ノ表正面ヘ向キ候様ニ成程静ニ出シ、舞台釣クワンノ下ニ鐘ヲオロシ申也。扨鍵ワリバサミ、太夫方ヨリ橋掛板付方ニ出置ヲ取ニ行。両人シテ縄ヲ鐶ニ通シ、大夫方鐘引ノ後見へ縄ヲ渡ス。宝生流ニハ狂言方ノ後見弐人シテ鐘ヲ出シ鐘ヲ釣申故狂言アドノ外道成寺狂言方後見弐人雇也。狂言方鐘持ノ後見ト申、アドノ外ニ毎トテモ弐人雇テ申也。扨能済申候テ、又狂言方ノ後見鐘持出申者弐人、右ノ鐘ニ手ヲ掛、鐘ヲ颪シ、縄ヲ竜頭ニ能ホドケヌ様ニ結付、又出申時ノヤウニシテ、鐘ヲ持入ナリ。尤棒ハナキナリ。静ニ入ルガ能アルベシ。入候テ幕ノ内鐘ノ間ニテ、太夫方ノ弟子ニテモ作リ物師ニテモ呼、右ノ鐘ヲ擔渡シ申物ナリ。狂言能力弐人常ノ出立替リナシ。弐人共ニ脇ノ供シテ出ル。脇名乗リノ内下ニ居ル。 ワキ名乗過テ立ナガラ呼出ス。狂言頭取ノ方片ヒザツキ、「御前に候」ト云。ワキ「鐘をしゆらうへ上てあるか」。狂「中〳〵上申て候」。ワキ「今日鐘の供養をなし申さふずるにて候。又供養の庭へ女人かたく禁制のよし相触候らへ」。狂「畏て候」触レ如常。「相ふれ申て候」ト云テ、笛ノ上ニ居ル。大夫「日高の寺に着にけり〳〵」ト云謡過ル時ニ、狂言其儘立。「のふそなたはいづくの人にて渡り候ぞ」ト云テ、狂言ヨリカヽル。此跡セリフ金春流ト替事ナシ。能済又脇ノ供シテ弐人共ニ入ルナリ。 六十七 俊寛 【図⑤】  舟ノ置ヤウ如此。上面ヨリ一程間置脇正面ハ二尺程間置ナリ。口伝。 【図⑥】 安永弐二月廿日竹内ニテ稽古能片山九郎右衛門相勤節如此。 『和泉流間狂言伝書』第二冊(表紙題簽なし) 能間増補五(第一丁表)(朱) 間 増補  信興ノ書入張紙等ヲ爰ニ写ス(朱) 壱 絵馬〔鬼サガリハ〕  弐 玉井〔貝ヅクシ〕  三 小鍛冶〔乱序 シヤベリ〕 四 白髭〔道者 セリフ〕  五 唐船〔舟出シ入ノ事〕  六 自然居士  七 常陸帯  〔六十二ノ所ニ中入ノ間アリ〕  八 烏頭〔語リ〕  九 望月〔宝生アシライ〕 十 芭蕉〔ワキ語 アシライ〕 十一 小袖曾我  十二 藤戸〔送リ詞〕  十三 天鼓〔同断〕  十四 弱法師  十五 満仲  十六  船弁慶〔ワキ語 アシライ〕 十七 輪蔵 十八 清重 十九 初雪  廿  殺生石  廿一 山姥  廿二 鉢木〔太刀持〕  廿三  鞍馬天狗〔小天狗 打合〕 廿四 岩舟〔シカ〳〵〕  廿五 富士山〔ハ((ママ))〕  廿六  一角仙人〔乱序 無之間〕 廿七 調伏曾我  廿八  大会〔貝尽 仕舞付 セリフ〕 廿九  右近〔乱序 乱序ニハワキセリフ〕 是ヨリ後ハ信喜続補(朱) 三十 東母((ママ))朔〔□□シカ〳〵〕  三十一 国栖  卅二 立田〔替リ間〕  卅三  藤戸 〔海士 天鼓 楽器ノ事〕  卅四 富士太コ之事  卅五 山姥  卅六 砧〔アシライ〕  卅七 逆鉾〔語〕  卅七 同〔末社〕  卅八 春日龍神〔語間〕  卅九  朝長〔ワキ語并懴法応答〕 四十 船弁慶〔ワキ語〕  四十一 村山 四十二 兼元  四十三 文学  四十四 悪源太  四十五 横山  四十六 羊  四十七 浜平直  四十八 鐘引  四十九 朝顔  五十  大六天  五十一  松山〔松山天狗トモ云〕 五十二 千引  五十三 祇王  五十四 源氏供養  五十五 花軍〔乱序 替間ハ((ママ))〕  五十六 同立間 〔乱ナシ〕  五十七 武丁〔乱序 上掛リ〕  五十八 同〔語間 下掛リ〕  五十九 鳥追舟  六十  養老〔薬水 乱序〕  六十一 草紙洗  六十二 常陸帯 〔中入間〕  六十三 嵐山〔末社〕  六十四 白髭〔末社〕  六十五  望月〔中入ノ詞 九ノ所ニアル略之 宝生流〕  六十五 山姥〔奥ノ語〕  六十六 融〔扇カザシ 替文句〕  六十七 能間〔蘭序乱序之事〕  六十八 間無之事  六十九 遠キ能間目録  七十  江の嶋 〔道者〕 此続之目録之天ニ此○(朱)印之所ニツヾク。 壱 絵馬 下リ端ニテ出ル鬼大勢。 「有がたや〳〵。〽治る御代のしるしとて、蓬莱の嶋よりも鬼こそ出て此君に、たから物を捧げん、御(み)たから物をさゝげん〽 「やれ〳〵いづれも揃ふてよふこそ出さしましたれ。先かう通らしませ」。「心得た」。「此宝来の嶋の鬼共が毎年相変らずいせ太神宮へ参籠するは目出度事ではないか」。 シカ〳〵。「扨夫に付て当年別て目出度事がある。語て聞さふ」。シカ〳〵。「先此伊勢太神におひて毎も今夜になれば斎の宮に絵馬のかゝる御神事が有。此御神事といふは昔より今に至て天照御神国土万民をあはれみ給ひ、明のとしの恵を奏し御心にうけて、絵馬の黒白を何れにても掛給ふ。衆生是を見て絵馬の色により其心得をなし、田作をいとなみ申事なり。先黒の絵馬の掛る時は、雨露の恵みあまねくして耕作に民労をなさず。白の馬の掛る時は、風枝をならさずして、思ひのまゝに五穀成就す。然ば当年は奇特なる事にて候らひけるぞ、黒白二つの絵馬を一度にしめし給ふ。是と申も弥天下泰平にして国土ゆたかに有ふずると思ふ事じや。何と目出度事ではないか」。シカ〳〵。「さていつものごとく我君に御宝物を捧げ申さふとおもふが何と有う」。シカ〳〵。「いやかやうに申うちに時刻もうつる。当年はいつ〳〵よりも目出たうじゆもんを以て、此君に御たから物を捧ふとおもふが何と有ふ」。シカ〳〵 「そふあらば是へ寄らしませ」。シカ〳〵。「蓬莱の嶋なる〳〵鬼の持たからはかくれみのかくれがさうち出の小諸行無ぜう〳〵くわし国にくはつと」、〽打出したる御宝を。手毎に持て此君に〳〵捧申ぞ有がたき〽 弐 玉の井 〈是迄ハ本書ニアリ〉「是迄罷出た。いづれもを呼出し、申聞せうと存る」。シテ柱ノキハヨリ楽ヤムキ、「皆いるか〳〵」。「何事ぢや〳〵 〳〵」。「ちやつとこい〳〵」。 「先何事じやぞいやい」。「めでたい事が有に依て、語てきかせう。先かう通らしませ」。シカ〳〵。入違、立衆ハ脇坐、ヲモハ下ザ。語ハ本書ニアリ。語ハ下ニ居テ語済テ、ヲモ「酒宴をなしてかい〳〵敷」。同各立、「〳〵も蚫貝を盃と〈蚫ヲミル。扇開サス〉定め〈ミル〉いたら貝のてうしを出し〈右ヘヒラキ扇ヲミル〉又みめよき〈扇取テ開テモ〉蛤の女郎貝にお酌をとらせ〈ワキ座ヲスクイサス〉すだれがい掛ならべ〈上ヲサシ廻シ逆ニ廻ル〉軒端の桜貝紅梅に来鳴鶯のとりがいも〈正面ヲスクイサス〉有明の〈順ニ中廻リ〉西にかたぶく月〈上ハ〉も赤がいくもらぬ〈二ツアヲギ正面ヘ出ル〉時を(●)ふ(●)く(●)〈拍子〉ほ(●)ら(●)が(●)いは天地仁〈サシ角取〉のさゞいとなりて〳〵〈□へ順廻ル〉おさまる〈左右トメ〉海中に入にけり」。 三 小鍛冶 中入シテ乱序ニテ入事アリ。流儀ニヨルベシ。観ニ金剛ハ乱序其時ハ末社ナリ。 「かやうに候者は稲荷大明神に仕ヘ申末社にて候。只今罷出る事、余の義にあらず。なんぼうめでたき事にて候らひけるぞ。今此君と申は」。此間如常。「草なぎの御つるぎと申も此剣にて候。又宗近も此度の御剣を一大事と存ぜられ、稲荷大明神へ祈誓申されければ、則御ちからを添給ふずるとの御事にて候間、明神の末社券((ママ))属に至るまで、皆〳〵其分心得候へ〳〵」。 同 乱序ナク、シヤベ((ママ))ノ時ハ狂言袴ニテ供ノヤウニシテ出。中入ニ立テ、「扨も〳〵目出度御事にて候らひけるぞ。」語如常。留「や。是はみつるぎのめでたきに、先此よし御内の者へも知らせ申さばやと存る。いかに宗近の御内の者、慥に承り候へ。此みつるぎを打御申被成ゝ間、御内を清め壇をもかざり用意仕候へ。其分心得候へ〳〵」。 四 白髭 〔同者 詞ヌキ書〕 聖「扨も〳〵今日のやうな能天気は有まい。うらゝかな体では渡海がない事は有まい。先是に舟を留て勧進を致さふと存る」。 頭取「急候程に、海津の浦に着て御坐る。扨各は是から陸をわたらうか。但舟に被成うか」。立衆「殊の外草臥て御坐る程に船に致さう」。シカ〳〵。「さあらば身共が存た舟頭が御坐る。舟を出させませう」。シカ〳〵。上ノ方ヨリ案内乞。舟頭出ル。シカ〳〵アリテ久シキ由ヲ云。「して只今は何と思召てのぼらせられた」。「毎年のごとく当年も清水講を結て若衆を同道して登つた」。「よふこそ登らせられ。先身共宅へちとよらせられい」。「いや〳〵いそぐ程によるまい。其方の船に乗たいがならうか」。「いかにも心得ました。安ひす((ママ))で御坐る。天気もよいほどに、追付舟を出しませう」。「満足致た。さあらばやがて出しておくりやれ」。「いづれものらせられい」。「此度のお登りはいつもより早いかと存る。何とて御坐る」。「其事じや。講が早う成就したに依て、急でのぼつた事ぢや」。「いや是へ同者船がみゆる。舟を寄て勧進を致さふ。いやのふ〳〵其船へ物申さふ」。船頭「何事でおりやる」。「舟頭どの其ふねは道者か」。 「中〳〵道者じやが何ぞ用が有るか」。「其事ぢや。是は白髭明神の上ぶきくわんじんじや。志次第に奉加を被成いとおせあつてたもれ」。シカ〳〵。右之趣道者ニ云。 「是は奉加を致たい事なれ共、荷物は皆陸をやつたに依て、折節持合がない。其通りをいふてお呉やれ」。右ノ通ヲ云。「尤お荷物はくがを遣さりやうずれども、凡一紙半銭によらず勧進を致ほどに、少しなり共入させられいとおせあれ」。 右ノ通ヲ云。「にが〳〵敷事なれども、ないほどによいよふにいふておくれやれ」。右ノ通ヲ云。「いや夫はそなたの取成がわるひに依ぢや。旅をも被成るゝ人が少もないといふ事が有ものか。どふぞよいやうにいふてたもれ」。「でもないと仰らるヽ物が何といわるゝ物ぢや」。「何がないといふ事が有物。是非とも先おせれいの」。「くどひ事をいふ。ない物が何と成ものぢや」。「やあら爰な者は物に角を立て云男ぢや。そちも明神のかげで渡世をするではないか。扨はおぬしが入らすまいといふ事か」。「おんでもない事。此上は有共ないとも、身共が入させぬ」。「夫は誠か」。「まことぢや」。少シ笑テ「是はざれことぢや。さあ〳〵いふておくれやれ。勧進〳〵 〳〵」。「いや〳〵何程おぬしが和らいでも、入る事はならぬ」。「すればそちは誠にいふか」。 「誠でのふてうそで有ふか」。「己目に物を見するぞよ」。「夫は誰が」。「身共が」。笑「おかしい事をいふ。おぬしが目に物を見せたらば、嘸こわからう」。「ていといふか」。「ていといふたらば何とする」。「悔まふぞよ」。「何のくやまふ」。「悔やむな男」。「くやむな道者」。 五 唐船 〔船ノ出シ入ノ事〕 天明五年巳五月十九日 仙洞御内能之節 野村八郎兵衛 間 進藤幸吉 唐船        山本勘二 右之節舟之事、八郎兵衛申ハ大蔵流ニテハ前後共、狂言方ヨリ致事也。但和泉流ニテ毎度半分〳〵ニ申合候間、出シ入何レ成共半分可致由ニテ最初大夫後見出ス。中ニテ子供、舟ヨリ上ル。板付ニ唐人舟ヲモタセ横ニ置。大夫ノ出ヨキタメナリ。扨「誠に天も納受して」ノ時、唐人舟ヲ持出、目付柱ノ方正面カケテ置。能過テ大夫方後見持入ル。 六 自然居士 喜多流浜田長十郎申合。子方「そうじぶに般若心経」ト云時迄ニ、子方一ノ松迄出ル。狂言「あらいたいけや」ヲ云テフジユヲトリ、小袖ヲトリ手ヘ掛、右ノ手ニテ子方ノ背ノ方ヲオサヘ出ル。子ヲ坐ニナヲシ、シテノソバヘ行、文ヲ右ノ手ニテ取出シ、シテへ渡ス。扨小袖ヲ正面へ直ス。\脇引立ル時、ツレ脇引立ルヲモ其跡ヨリ行時、小袖ノ向ヲ通ル程明テ置ナリ。依テ左ニ図スル。 【図⑦】 狂言「用が有ば連てゆかふ迄よと申てやりて候が、扨居士は何と思召候ぞ」。シテ「居士急と推量申事の候。最前の諷誦に身の代衣と書たるはあわれ此者は身を売たる者と推りやう申て候。只今のあらけなき人は人商人なるべし。扨是はいづかたへゆかふずるぞ」。 狂言シカ〳〵。「急ぎ追かけ申さふ」。 シテ「いや〳〵汝行ては既にけんくはに成べし。居士此小袖を持て行、かへて帰らふずるにて候」。 狂言シカ〳〵「七日の御説法が無に成ふずるかと存候」。シテ「実説法が無にならふずるよな。説法は善悪を弁ん為なり。彼女は善人、商人は悪人、善悪二つ爰に極て候はいかに」。 七 常陸帯 〔宝生流作リ物ノ図〕 【図⑧】 八 烏頭 〔間語〕 「其事にて候。此外の浜にうとふと申鳥の候が、此浜辺にて子を産み置申に浜風あらく吹て子を砂に埋み申。親鳥は餌をもて来り候へどもいづくに子ありともしらず、親鳥空にてうとふ〳〵と呼候へば子はいさごの中より安方〳〵と答申をしるべに仕候を、只今お尋被成るゝ猟師はかやうの真似をして多くの鳥を殺し一生を送り申候。彼猟師は余の人にすぐれ別て罪も深く御坐有ふずると存候間、お僧も逆縁ながら御弔らひあれかしと存候」。ワキシカ〳〵。「重て」。 九 望月 〔大夫中入ノ内語〕 延享二年三月六日市谷御能之節 望月 宝生九郎 間 大蔵弥大夫 大夫中入スルト、子方太鼓坐へヒラク。此間ニ狂言立テ「扨も目出度事哉。亭主が獅子を舞ふと申さるゝ。惣て獅子には目出度子細有と申。神前にはしゝがしらを置、神幸には獅子を先にたてる。夫のみならず、大江の貞元出家し寂照法師と名付。彼寂照は文殊の浄土を拝み給はんと則渡天し給ヘば、文殊の浄土へ至らんと思ふ。所は滝浪雲より落て数千丈、滝壺迄は霧ふかく峨々たる岩尾の上にわづかなる石の橋あり。是又人間のわざにあらず。おのれと出現したる橋なれば、其面尺よりはせまふして、苔はなはだなめらかなり。橋の長さ三丈余り、谷の深き事千丈余、見るに気も絶心きへ、いかなる寂照も是にはもてあまされたる処に、文じゆの浄土よりも獅子あらはれ来り、寂照法師の御心をかんじ、いろ〳〵秘曲をなし、なぐさめ申。此獅子寂照法師の道しるべとなりて、難なく文じゆの浄土へ至り給ふ」。凡此様ノ物ナリ。作リタル物トミヘタリ。 十 芭蕉 〔高安流ワキ語ノアシライ〕 ワキ「いかに誰か有」。狂言「御前に候」。 ワ「此程御経読誦の折節、人音の聞え候。今夜も来りて候はゞ名を尋やうずるにて候。汝も心を付て伺ひ候へ」。狂「畏て候」。 大夫中入過テ、狂言ヨリカヽル。シテ柱ノ先ニテ「扨も〳〵奇特なる事にて候。夜な〳〵御経読誦の折ふし、あたりに人のおとなひ聞え候を窺ひ申せと仰られ候程に、心をすまし承て候得ば、今夜もまた人音の聞え候。先あれへ参り、此事御雑談申さばやと存る。いかに申上候。誠に御不審成るゝ如く、今夜も人音の聞候。よく〳〵伺ひ申て候が、若芭蕉の精にては御坐有まじきかと存候」。ワキ「汝は小ざかしき者にて有間、芭蕉に付て謂さま〴〵有べし。中にも雪の中の偽れる姿とや覧申子細語て聞せ候へ」。狂「是は思ひもよらぬ事を承り候ものかな。さやうの事我らごときの存ぜうずる子細は御ざなく候。去ながら御尋成るゝを何をも存ぜぬと申も如何に御坐候間、大かた承り及たる通、御物がたり申さふずるにて候」。語。「先芭蕉と申草は、千草万木の中におひて第一例ある草に御ざありげに候。又雪のうちのばせうの偽れると申事は、昔唐の世の御時」。此間如常。「雪のうちの芭蕉のいつはれると申伝て候。最前申ごとく、芭蕉に付ていろ〳〵子細御坐ありげに候得共、まづ我等の承たる通御物語り申て候が、扨いかやうなる子細により御尋にて候ぞ」。 ワキ「不審尤にて候。則薬草喩品には、上中下の三草、大小の二木に譬にし給ひ候よ。さあらば語て聞せうずるにて候」。語。狂「言語道断、奇特なる事を承り候ものかな」。此跡如常替リナシ。 ○「最前申ごとく、芭蕉の謂我等ごときのなせうずる子細は御ざなく候。定て異る子細も御ざあらふずる間、委敷語て御聞せ候へ」ト云モアリ。ワキ「薬草喩品」ヨリ直ニ語。「なんぼう奇特なる事にてはなきか」と云。狂「是は奇特成事を承。某推量仕るに、草木心なしとは」。此跡如常。 十一 小袖曾我 初、ツレ女出ル。狂言女供シテ出。笛坐ノ上ニ居ル。箔美男如常。助成案内乞。狂言「誰にて御入候ぞや。助成の御参りにて候」。シカ〳〵。「暫夫に御待候へ」ヲ云。母へ右ノ通ヲ云。シカ〳〵。又助成へ云。「其由申て候らへば」ヲ云。助成通ル。狂言笛坐ニ居ル。助成ト母トイロ〳〵セリフ有テ、初同「高間の山の嶺の雲よそにのみ見てやみなん同じ子に、同じはゝその森めのと〳〵」ト打切ノ時分ニ脇ノ方ヘヒラキ、小袖ヲ両手ニノセテ出。助成ノ両手ヘカケテ渡ス。扨モ扇ヲヌキ助成ヘ酌ヲスル。「いろ〳〵のおもてなし」ト云アタリ、亦笛坐ニ居。尤諷ノ内、シカ〳〵ハナシ。 「打れても親の杖なつかしければ、去やらず〳〵」ト云諷過テ、助成時宗イロ〳〵セリフ有テ、母ヨリ狂言ヲ呼出。「御前に候」ト云。母シカ〳〵。狂言橋掛ノ方ヘ行、助成へ云。「時宗の事を御申あらば」ヲ云。笛ザニ居。是迄ナリ。 ○「いかに誰か御入有」。狂「案内とは誰にて渡候ぞや」。「助成どのゝ御参にて候よ」。シカ〳〵。「心得申て候。又あれに御入有るは時宗にてはなく候か」。シカ〳〵。「大かた殿の仰には、助成の御参ならば申せ、時宗の御参ならばな申そと堅く仰付られて候」。シカ〳〵。「畏て候。いかに申候。助成の御参にて候」。シカ〳〵。「心得申て候。いかに申候。其由申て候ヘば、こなたへ御通りあれとの御事にて候」。「隔有こそ悲しけれ」ト云諷過テ、時宗案内乞。「誰にて渡候ぞ」。シカ〳〵。「さん候助成の御参りならば申せ、時宗の御出ならばな申そとの御事にて候間、童申事はなり申さず候」。 如此アシライモアリ。能〳〵云合スベシ。 十二 藤戸 〔送リノ言葉〕 「其方の歎き実もとおもひやられ、親の身にては道理至極成事とおもへば、至らぬ我等ごとき迄も、よそながら落涙いたいた事じや。其方の申さるゝ所余儀もない。去ながら、何事も前生よりなす所の因縁約束事とおもへば恨みもない。又、彼者をば懇に御弔らひ被成うず。其上妻や子をも召出されて御扶持有ふずるとのお事じや。是にておもひをはらし、忝いとおもふて私宅にお帰りやれや」。 十三 天鼓 同断 「其方の歎実もとおもひやられ、いたらぬ我等までも落涙致た。誠に妙なる鼓なれば、天鼓がおしみ申たるも尤なれども、是非なく内裡に召上られて帝に被遊てさへそつともならぬ鼓の恩愛のきどくとて、其方が打申さるれば、音の出たる事きどく成と申さふか、誠に哀なる事也。去ながら、天鼓跡をも懇に御弔らひ被成、夫婦の者には数のたからを被下ふとのおことなれば、涙をとゞめ、私宅にお帰りやれや」。 十四 弱法師 ワキシカ〳〵。呼出ス。「御前に候」。シカ〳〵。「畏て候。皆々承候へ。今度高安左衛門殿、我子の為七日の施行を引るゝ。志を受んと思者は皆〳〵参候へ。其分心得候へ〳〵」。 「難波の法にもよも過じ」ト云諷過テ、「いかに弱法師。けふもまた当寺の御来暦曲舞に諷ひ候へ」。 〇観世流ワキシカ〳〵。呼出ス。「のふ〳〵弱法師。去方の志にて施行行るゝ間、けふも受られ候へ」。シテ柱ノキワニテ。 十五 満仲 謡要メノ所斗。始ニ満仲出テ脇坐ニ腰カケル。シテ「かやに((ママ))候者は多田満仲に仕へ申藤原の仲光と申者にて候。扨も頼奉る満仲殿は、御子息美女御前と申て御坐候を、当り近き中山寺にのぼせ置申されて候処に、学文をば御心にかけ玉はずして、明暮武用をのみ御たしなみ候由聞召及れ、以の外の御気色にて候。去間今日某に罷登り御供申せとの御事にて候程に、只今中山寺へと急候。是ははや中山寺に着て候。いかに幸寿、某が参りたる由申候らへ」。幸寿「畏て候」。是ヨリ美女へ取次。幸「此方へ御入候へ」。是ヨリシテ御向ヒノセリフ有テ、満仲ヘ「御下向にて候」。詞イロ〳〵有テ、美女ノ顏打アガメテ、「今更涙にむせぶ斗なり」。満仲「扨歌は」。美女「よみ得ず候」。「管絃はと問へどもいわぬ なしの」。同「こは誰為なれば」。是ヨリ謡「御身の程ぞいたはしき」。初同過テ、満仲「仲光心静めて」ノ詞「美女を討て参らせ候べし。仲光共に人手には懸まじきぞ」。段々有テ、上歌同「むくひは人の咎ならじ」。イロ〳〵アリテ、「かなしかりけれ」。幸寿詞イロ〳〵有テ、シテ「美女御所の御命にかわらふずると申か」。詞有テ、「太刀追取て我子の後に立寄ば」。美女ノ諷、幸寿懸合有テ、ロンギ「やみ打に現なき我子を夢となしにけり〳〵」。シテ「美女御所を打奉りて候」。満仲詞イロ〳〵有テ、クドキ同音過ギ、ワキ「是は比叡山恵心の僧都にて候。去子細有て只今多田の満仲の方へと急ぎ候。いかに案内申候」。シテ「誰にて渡候ぞ。や。恵心の僧都の御下向にて御坐候」。ワキ「いかに仲光」。イロ〳〵有テ、シテ「満仲御出にて候」ト云。満仲、ワキイロ〳〵有テ、「仲光が我子にかへて思ふ程の美女のかんどうゆるし玉へと」。 フシ「美女を引立満仲の御前にこそ参りけれ」。満仲ミレンノ次第。ワキト満仲ト懸合同「涙をながし二度あふぞうれしき」。シテ「親子あふむの盃の幾久しきの酒宴ぞや。いかに仲光。目出度折なれば、一さし舞候へ」。「幾久しさの酒ゑんぞや」。男舞打過和切謡ナリ。  ツレ満仲出ル。狂言太刀持供シテ出ル。満仲坐ニ付、狂言笛ノ上ニ居ル。初同「こわ為((ママ))なれば─人にみせんも何がしが。子といゝかいもなかるべし」ト云アタリ、狂言太刀ヲ満仲ノソバニ置、元ノ坐ニ居ル。シテツレイロ〳〵カケ合アリテ、ツレハ笛ノ後ヲ通、板付ニ扣ル。狂言モ同板付ヘ入後ハ太コ坐ニ居ル。 仲光太刀ヲ捨、啼居ル。狂言ハヤク子方ニ絹ヲキセル。但大夫方ヨリキセルモアリ。狂言ヨリキセルナラバ、其儘イダキ、切戸ヨリ入。但シ、シテ幸寿ヲ切仕形スルト、幸寿スグニ切戸ヘ入モアリ。直ニ狂言一ノ松へ立、「扨も〳〵只今あわれなる様体を見参らせ」ヲミヂカク云。シテ方能々云合スベシ。 シテ「美女御所をいづかた成共おとし候へ」。狂言「畏て候」ト云テ、美女ヲ藤戸ナドノヤウニウシロヨリ静ニ切幕ヘ送リ込ミ入。詞心得アルベシ。美女ト一所ニ入ルナリ。大夫へ能々云合スベシ。 後ワキノ供ハ大方ハナシ。流儀ニヨルベシ。 又「夢となしにけり」ト中入スル事モ流儀ニヨルベシ。 〇文化八年未三月八日、大坂生玉ニテ古春興行 満仲 古春左衛門 中村弥三郎 間ハ鷺流 右書物ト凡変事ナシ。満仲出ル。太刀持供シテ出ル。満仲坐ニツク。太刀持笛ノ上ニ居。子方二人。シテハ仲光ナリ。三人前ニ出ル。子方弐人直ニ太コ坐ニツク。シテ出テ詞アリ。イロ〳〵セリフ有テ、美女ハ見付柱ノ方ニ居ル。満仲イロ〳〵詞アリ。初同謡ノ内「何某が子といふもかいなかるべし」ト云アタリ、狂言太刀ヲ満仲ノソバヘ置、笛ノ上ニ居ル。シテトツレイロ〳〵アリテ、ツレハ笛ノ後ヨリ板付ニ入。狂言モ同板付ニ居。後ハ太コ坐ニ居ル。書物ニハ、仲光太刀ヲ捨ナキ居。狂言早ク絹ヲキセル。但大夫方ヨリキセルモアルカ。狂言ヨリキセル時ハ、其儘イダキ切戸ヨリ入ナドヽアレドモ、「此度は」ノ仕方ハ、シテ幸寿ヲ切ルト幸寿ツカ〳〵ト切戸ヨリ入。直ニ狂言一ノ松へ立テ、「扨も〳〵哀なる様体」ヲ云。ミジカキガヨシ。 シテ「美女御所を何方へも落し候へ」ト云。狂シカ〳〵。美女ノ後ヘ行、藤戸天鼓抔ノヤウシヅカニ送リ、切幕ヘ入。詞モシヅカニ云ベシ。ワキ恵心僧都供ハナシ。流儀ニヨルベシ。案内モ大夫受ル。 或書ニ「親心やみ打にうつゝなきわが子を夢と成にけり〳〵」ト中入トアリ。流儀ニヨルベシ。 〇野村三次郎ヨリ来ル書物 「我子をゆめとなしにけり〳〵」。シテ「いかに誰か有」。狂「御前に候」。大夫シカ〳〵。「畏て候。御歎は尤にて候。去ながら返らぬ事なれば、御死骸を退け申さふずるにて候。あゝけなげな事を御申被成。美女御前の御身替に成給いて候。乍去いまだつぼめる花の開ざる内にかやうにいたづらになり申事、なんぼういとをしき御事にて候。いかに申上候。幸寿の御死骸のけ申て候。さて美女御前の御事をば何と遊し候ぞ」。大夫シカ〳〵。「畏て候。先こなたへ御坐候へ。扨〳〵あやふき御命助かり給ふ物かな。是と申も仲光親子の人頼も敷御方にて幸寿を御身代りに立、御命をすくひ申され候へば、かまへて〳〵あだにも思召るな。又下郎にて候得共御供申せとの御事にて候ヘば、いづかた迄も御供申さふずるにて候。いや思ひ出して候。此由を恵心の僧都へ申上ふずるにて候間、只一足も御急候へ」。 右ノ通ニテ ワキニハ供ハナシ 十六 船弁慶 ワキ語 ワキ船ノ語有時、狂言ワキヘソセウ過一ノ谷合戦ノ様体所望スル。シカ〳〵アリ。ワキヒヨドリヲ語。又狂言軍ノ手立ト斗所望スレバ、梶原逆櫓ノ事ゴザル。松原讃岐ノ事語。ワキニ尋ベキ物ナリ。シカ〳〵アルベシ。 十七 輪蔵 一 作リ物出ル。台ヲ大小ノ前ニ置。其上ニ家形立ル。右家形ノ中ニ、シテ童子弐人入テ出ル。尤引廻シアリ。 輪蔵モ持出テ目付柱ノ隙ニ置。是モ引廻シアリ。輪蔵ヲ置ト引廻シトル。扨ワキ僧次第ニテ出ル。ワキツレ壱人「宰府の者」ト云。道行都ニ着北野へ参ル。呼カケニテ、シテツレ出ル。尉ナリ。右ノツレ中入スル。乱序。間出ル。シヤベリナリ。間入。ワキ諷アリ。大小ノ前ノ引廻シトル。 左リ童子 子方下向。箔着流。カクヌキ。上厚板。黒頭。 中 シテ 面。着付半切袷カリギヌ。角帽子四角ニ折、左ニジユズ。右ニシユモク杖ツク。腰ニウチハサシ。 右 童子 楽ナリ。三人ツレ舞二段目ヨリ、シテ斗。楽過、謡有テ、早笛ニテツレ出ル。天夫ナリ。舞働アリ。扨謡有テ謡ノ中、輪蔵ヲ天夫廻スト、シテワキ天夫三人トモニ輪蔵ノ脇ヲ廻ル。 【図⑨】△印之所ニ楽ノ間、童子二人共ニ居ル。 明和四年亥十月廿六日竹内ニテ片山勤ル。観世流。 【図⑩】 十八 清重 一 伊勢ノ三郎清重弐人出ル。狂言供シテ出ル。シテ宿ヲ仮リ度由。狂言宿ヲカシ切戸ヨリ入。 後梶原一セイニテ出ル。狂言供シテ出ル。 「狩場の雪の朝ぼらけ月遠見にや成ぬらん」。二ノ句狂言「鳥をもとらぬ此鷹にかふてや雉子をくるるらん」。ワキ又謡有テ、狂言「ほうたか〳〵」ト云。ワキ「いかに誰か有」。「御前に候」。「鷹の落を見て来候へ」。「畏て候」ト云テ「慥に落たと思ふたが」ト云テ、舞台へ出テ見テ「あつかふた」ト云テ、清重ヲ見テ橋掛ニ来テ、ワキへ「いかに申候。あれに判官どのゝ御内の清重が居申候」。ワキ「汝は遠見仕、清重がいづかたへ行か見候へ」。「畏て候」ト云テ太コノ坐へ入。 十九 初雪 〔金春流〕 一 シテ呼出ス。狂言女「御前に候」。シカ〳〵。「畏て候」。 大夫中入過テ シヅカニ立。 「扨も〳〵。かやうの哀なる事は御坐なく候。今は御嘆候ても其甲斐なし。此あたりの女郎達をあつめ一七日とりこもり念仏を申、初雪の跡を御弔らひ被成ずるとの御事にて候。誠に是は尤成御事にて候間さあらば女郎達を呼出し申申((ママ))さふずるにて候。いかに此当りの女郎達この暁初雪が空敷成申て候を不便に思召れ一七日の間取こめ念仏を御申御弔らひ有べきとの御事にて候間、いつも参候女郎達は壱人ものこらず御出給ふずるにて候。かまへて其分心得候へ〳〵」。 二十 殺生石 一 ワキ道行過テシテ柱ノ先ニテ「急候程に那須野の原に着て候」ト云静ニ脇へ行。狂言立テシテ柱ノ先ニテ「あれ〳〵」ヲ云。ワキ跡ヲ見ズニ「何事を申て」ト云〳〵シヅカニアルキ行。狂「空とぶ鳥」ヲ云。ワキシカ〳〵。「一目みやうずる」ト云、シヅカニワキ坐ニ行、シテ呼カケル。狂「いやあれなる何とか申候」ト云テ大コノ坐ニ入。シテ詞カケル迄、脇アドヲ見事ナシ。間心得シルシ置。 廿一 山姥 一 「鰐口がなると申」。替間ノ通ヲ云テ、「どんぐり目と申事がござる程に是が正身の山うばで御坐らふ」。 「或時何と仕たか毛靭を山に取落して御坐れば、程のふ谷へころび落て御坐る所に、くず手皮が風に吹れて山々へ散て、終に谷川へ吹落た所に根芹が取附て白ら髪となり、野老が取付て耳となり、木実が付て目はなと成り、風に吹れてころび合、彼うつぼと一つにころぶ程則靭が山うばの胴となり、木の枝が取付て手あしとなつて恐しい山姥に成と申」。 「深山の庵りの戸が朽ては谷へ落て骨が足となり松脂がかたまつて頭となり夫にすゝきが付て毛となり、山のいも手となつて山姥になると申が、山に住木戸と申時は是がうたがひもない山姥で御坐らう」。 廿二 鉢の木 〔太刀持〕 一 正面ヨリ下へ見渡ス。「扨もおびたゝしい諸軍勢かな」。〈目付柱ヨリ次第ニミル〉「是はどこの衆じや。何甲斐の国の衆ぢや。扨〳〵見事な出立哉。小桜おどし萌黄おどし、扨も〳〵きらびやかな事哉。はあ是はどこの衆じや。何駿河の国か。紫おどしうのはなおどし、どれ〳〵も見事な事かな。はゝあ緋おどしを一様に出たゝれたよ見事な事かな。是はどこ衆じや。何上総の国じや。いづれも〳〵びゝしい出立ぢや。抑出された武者はみへぬが何とした事じや。合点のゆかぬ事じや」ト云テ、シテヲ見付ル。笑テ「扨も〳〵むさい出立かな。定て此事で有う」。余リ長キハアシヽ。大夫ホサレヌヤウニスベシ。但大夫橋掛ニ居ナラバ目付ヨリ見始ル。大夫シテ柱ノ内ナラバ、正面ヨリ見ハジメル。 廿三 鞍馬天狗 一 ヲモノ天狗言立アリテ、「参会仕るまじきとの申事にて候」ト云内ニ小天狗出ル。「さあ〳〵おりやれ〳〵」。ヲモ「いやそち衆はなぜにおそかつたぞ。某は早く出たにぬかつた事事((ママ))じや。扨沙な王殿に打太刀がならふか」。「中〳〵仕付て見せうおもふは」。「そちはいつでも手柄立をいふ。そふおもはゞ身共打手にならうか」。「稽古の為でも有。してみやうぞ」。イロ〳〵仕ヤウ工風アルベシ。「夫みよ。其様にぬかつた事で打太刀がなる物か」。「又下を払ふて有か」。「夫はいかふむさとした事じや」。「其様にいふならばとつとゝいのふまでよ」ト云テ入。「やいやい〳〵先まて〳〵まづまていやい。はやとつとゆきおつた。いづれともおこう物を某壱人で打太刀はなるまい。乍去出た印に沙那王どのを呼出う」。 廿四 岩船 〔シカ〳〵〕 一 「どこ本に御坐るぞ。先急で参らふ。誠にきどくな事じや。是と申も天下泰平国土豊成故の事せあ((ママ))。いやあれに御坐る。扨〳〵存たよりは美々敷体じや。何とぞ御礼申たけれども、某の此ていでは中〳〵御礼は申されまい。此上は急ぎ住家へ帰らふとは存れども、かゝる泰平の」。 廿五 富士山 〔シカ〳〵〕 一 「我等如も罷出かゝる唐土人を見申せとの御事なれば、是迄顕れ出た。扨是はどこもとに居らるゝ事ぢやしらぬ。さればこそ、あれにいらるゝ。扨〳〵聞たよりは美々敷体じや。是と申も天下おさまり目出度折柄ゆへの事じや。此様なめで度折なれば某も目出たふ一曲仕て罷帰らふ」。 廿六 一角仙人 〔乱序無之時之仕ヤウ〕 一 一角仙人乱序無之間ト申ハ無之候。若乱序無之候ハヾ官人ニイタシ前後少シ文句取替候ハヾ可然。「夫仙人を酔伏せ御帰りあれば猶も仙人の様体を見て参れとの御事により、是まで罷出た」トイヒ、扨仙人ヲ見付、「誠に正体もないていぢや」ナドヽ云。「あの震動するは何ぢや。何龍神今岩尾より出るといふか。是は珍らしい事じや。さらば物陰に忍ふで居て見物致さふと存る」ト云テ切戸ヨリ入カ、又「急で帰此由奏聞申さふと存る」ト云テ、楽ヤへ入ルガ可然。ヨロシク工風有ベシ。  文化六年尾州元貞君ヨリ申来候儘認ル。 廿七 調伏曾我 一 寛政十二年申三月八日 大坂曾我谷舞台ニテ長命勝二興行。 調伏曾我 長命弥右衛門 間鷺流ヨリ勤ル。 中入前「只まづ帰り玉へとて、手取足とりいざないて別当の坊に帰りけり〳〵」。中入。早鼓。 能力杖ツキ出ル。云立ノ詞当流替リナシ。留ノ詞「ごまのだんをかざり申せとの事にて則かざり申て候。此由申さばやと存る」。シテ柱ノ楽ヤ向テ「いかに申上候」ごまの壇を餝り申て候。急で御成候らへや」ト云テ楽ヤヘ入。中入。間モ済テ作リ物出ル。 廿八 大会 一 「かやうに候者は愛(ママ)山太郎坊に仕へ申木の葉天狗にて候。只今罷出る事、余の儀にあらず。いづれも仲間のものを呼出し申付る事がある。皆いるか〳〵」。大勢楽ヤヨリ、「何事ぢや〳〵」。「ちやつとこい〳〵」。舞台ヘ皆入テ「何事ぢやぞいやい」。「先こう通らしませ」。シカ〳〵。皆脇坐へ通ル。ヲモ、シテ柱ノ先ニ立テ云「夫は何事じや」。「此一大事をしらぬか」。「いやしらぬ」。「是をしらぬといふ事が有か」。「でもしらぬ物が何とならふ」。「言語同断な事をいふ物じや。誠しらずは語て聞かせう」。「急で語て聞せ」。「早ふかたれ」。語。ハナシノヤウニ云。折々向合。立衆シカ〳〵返答ノヤウニ云。 ヲモ「扨おぬしは何ぞ仏になれふとおもふか。何とじや」。一「頼ふだ者の云付ならば何ぞ仏にならずは成まい」。ヲ「夫ならばお主は何にならふとおもふぞ」。一「身共か」。「中〳〵」。一「某は何に成うぞ」。皆「何がよからふぞ」。一「観音にならふか」。 ヲ「何くわん音か」。一「中〳〵」。ヲ「いや〳〵あれは六ケ敷さふな仏ぢや。あまのじやきになれいやい」。一「いや〳〵あまのじきはいかうきうくつそふでわるい。又おぬしは何にならふとおもふぞ」。 二「されば何に成ふぞ」。皆々シカ〳〵。二「吉祥天女にならふか」。 ヲ「何吉祥天女」。「中〳〵」。 皆々笑 ヲ「汝がつらで吉祥天女でも有まい」。 二「夫ならば地蔵は何と有ふ」。 ヲ「汝がなまぬるひはだ〔はら〕で地蔵もよからふが乍去そちがやうながまんではあの柔和な地蔵には得成まい。何成とも余の仏になれ」。二「又おぬしは何にならふとおもふぞ」。三「身共か」。 ヲ「中〳〵」。三「某は文殊にならふと思ふが何と有う」。ヲ「いかな〳〵そちがやうな愚かな分で何の智恵のたくましい文じゆに何とならりやう。是はよしにせい」。「夫ならば何に成うぞ」。皆シカ〳〵。三「又そちは何に成るぞ」。四「某は思ひ付た事が有」。シカ〳〵。四「二王にならふ」。 皆笑。「そちがやうな小兵な形りで仁王には中〳〵なられまい」。四「夫ならば不賢は」。ヲ「いかな〳〵毘沙門になれひやい」。 四「毘沙門はいろ〳〵道具がいる。又おぬしは何にならうと思ふぞ」。ヲモ「某も最前からいろ〳〵と思案をするに所詮某共のやうな不調法な者はよい仏には得なるまいに依てとかく早う埒の明やう堂の角にござるびんづるにならうと思ふが何と有う」。一「はあ夫は堂の角にござるびんづるか」。ヲ「中〳〵」。一「是は心あふてよからう。某もびんづるにならう」。「身共もびんづるにならう」。皆々云。 〇〽おかしき天狗は〈向合〉寄合て〳〵何仏にか成ふやなと〈向合〉談合するぞおかしけれ〽 ヲモ〽愛宕の地蔵に得なるまじ〽 同〽大峯かづら木はほうき菩薩。〈サシ廻シ逆ニ廻ル〉是また大儀の菩薩なり。〈向ヘ出ル。思案スル仕方〉よく〳〵物をかんずるに〈ワキ柱ヲヌクイサス〉堂の角なるびんづるにならんと〈立衆橋ガヽリヘ行、見ヲクル〉皆かみぎぬを拵て。〈シテ柱迄キテ〉みな紙ぎぬを着つれ引つれて。〈仕ヤウアリ〉ごそり〳〵とはいりけり〽 廿九 右近 〔宝生流 末社乱序〕 一 「かやうに候者は当社天満宮の末社にて候。只今罷出る事余の義にあらず。鹿嶋の神職初て御参詣あつて右近の馬場の華を詠玉ふを桜葉の明神、女の姿と現じ花見のていにて是迄御出被成いろ〳〵御詞をかわし玉ひ、うこんのばゝの謂御物語被成て候。誠に珍らしからざる申事にて候へども此所を」。是ヨリ替事ナシ。語済テ「や是は当社の目出度謂。先あれへ参り彼稀人に御礼申さふ」。跡如常。三段舞留。 〇乱序之出。ワキセリフアリ。語間ニナル時ハ社人出立ニテ「神職の者」ト名ノル。末社ノ通ヲ云テ「鹿嶋の神職初て御参詣にて候得共誰有て罷出、右近馬場のいはれ当社のめでたき子細御物語申べき事も御ざなく候間罷出御物語申さばやと存る。是は当社に仕へ申神職の者にて候。先以此度の御参詣目出度存る」。跡ハワキト云合スベシ。常ノ語間ノ通ナリ。 三十 東方朔 〔シカ〳〵〕 一 仙人「是へ出られたはいかやうなる人ぞ」。 桃仁「是は西王母寵愛の桃の精じや。おの〳〵是へ御出なり、其上目出度折なれば是迄罷出た。「近比奇特を承る。さあらば我等ごときもいよ〳〵寿命をたもつやうにちとねぶりたいが何と有う」。「いや夫はめいわくじや」。「今此時に生れ逢こそ幸なれ。是非ねぶりたい」。二「ねぶられてたもるならばまはせふ」。「夫程迄に望に思はしますならばともかくも」ト云。「近比満足した。先こうよらしませ」。 三十一 国栖 一 太夫船ヲフセルト出。弐人、ヲモ鑓。アド弓矢、左ノ肩ヌグ。出立、山立ノ通リ。ヲモ右ノ肩ヌグ。クヽリ袴。ホクソ頭巾。二人トモ早ツヾミ。「やるまいぞ〳〵」。 ヲモ「只今まで人かげが見得た様に有たが、いな事じや。や。あそこに祖父が壱人居るを見たか」。シカ〳〵。「あれが知らぬ事は有まい。ゐざ問う」。シカ〳〵。「やいそこなおゝぢに物とわふ。此所へ清見原の天皇はわせぬか」。太夫シカ〳〵。「いやきやつはつんぼうじやとみへた。むさとした事を。此所へ清御原の天皇はわせぬかといふ事じやはいやい」。太夫シカ〳〵。「いのふといぬまいとかもふてのやうはあの船のうつむけて有が不審な」。アドシカ〳〵。「いざさがいてみやう」。シカ〳〵。「おゝぢ。此船のうつむけて有がふしんな。さがいてみやう」。大夫シカ〳〵。「何のほすふねで有うとまゝよ。さがいてみやう」。大夫シカ〳〵。「はづぢや。こわもの皆折あふて打留たらばなるまい。只足もとのあかいうち引ませ」。アド「夫がよからう〳〵」。「ちやつとこひ〳〵」。「心得た〳〵」。 卅二 立田 〔替間〕 「先此御神と申は広瀬立田の明神と申て二社ともに風水の難をのぞき人民豊年をいのり此此((ママ))御神を祭り奉る。しかるに天武の御宇に神勅を立られ風神を龍田のたつのにまつらしめ給ふ。または級(シナ)戸辺(カドベ)の尊是風神なりと申子細、尤神秘の御事なり。今龍田姫と申は此御神とかや。又滝祭の御神と申は水神の宮なり。沢女の御神共ももふし、或は美都波の御神共申奉る。されば立田の明神と滝祭りの御神とは御同一体にて渡らせ玉ふ。あまつみはしら、くにつ御柱と申て天のさかほこをしゆごしたまふ共も申。此御神宇賀の神とて五穀成就を司り給ふ共申候。又古老伝と申物には雷神の子細を書のせ玉ひたるよし申候。いづれも目出度由来たぐひなき御神にて御坐候。去程に当社におひて紅葉を御神木とあがめ申事たつた山のもみじは古しへより名木のやうに歌人も詠じ今に至て名高き名木にて候。此御神女神にて渡らせ玉ふ故、楓より紅葉の色うつくしき物なれば御神木とあがめ申げに候。此外奥深き事共御坐あるなどゝ承り及て候。最前申如く当社の御事は神秘至極我等如きの存る事では御坐なく候。かやうに申も恐有とは申せどもお尋有を何をも何(()を(ママ)も())存ぜぬと申もいかゞなれば我等承り伝たる通御物語申て候が扨尋は」。 卅三 楽器ノ事 楽器ノシカ〳〵。福王流ニテハ藤戸ハナシ。海人天鼓ニアルヨシ。宝生ニハ三番共ニナキヨシ。 卅四 富士太鼓 寛政五年丑ノ五月十四日小松原稽古能之節、大夫喜多流。大夫「是は摂津の国住吉の楽人富士に逢せて玉り候へ」ト云。「由縁の者」トハ云ヌナリ。狂言ヨリ云時、「富士のゆかりとみへて女の弐人来り候」ト云セシナリ。脇モ其心ニテウケタルナリ。宝生流ナリ。脇シテト出会タル時、「冨士のゆかりの者候やらん。いづくに」ト云、「やらん」ト云セリフ、前ノ狂言ノセリフ都合シテ面白シ。前後シラシ合ミルト為心得認置。 卅五 山姥 〔明和九辰八月七日仙洞御祈ニテ観世大夫ヨリ出ル〕 ワキシカ〳〵。「所の者とお尋はいかやうなる御用にて候ぞ」。シカ〳〵。「さん候。善光寺への道は上ミ道下モ道あげろ越と申て御坐候が、中にもあげろ越と申は殊の外さがしき道にて候。此道を参る人はことに如来の御内證に御叶有と申ならはして候。見申せば女性を御伴ひ候が乗物などは中〳〵かなひ申さず候間、上道下道の内を御通りあれかしと存候」。シカ〳〵。「心得申て候」。シカ〳〵。「是に候」。シカ〳〵。「是は御信心なる御事にて候。さらばあげろ越の御道しるべ申候べし。我等につゞいて御出候へ。御覧候へ岩石そばだちけはしきみちにては御坐候はぬか」。「いや雨雲でも覆ふかくらふなり」。シカ〳〵。「いかさま日の暮るゝやうに御坐る。いや何かと申うちはや東西も見ヘわかず候。此あたりにはやどりもなし。扨々難儀な事哉」。中入。 「扨〳〵も不思議成事かな。みれば今が暮方ぢや。先あれへ参らふ。いかに申候。我等此道をばたび〳〵通りて候へどもかやうの事は始てゞ御坐る。惣じて此山にやどりはなく候に只今の女性お宿を申せし事何ともふしぎに存て候が、果してかきけすやうに失しより元の如く宿りもなく夜もあけて候」。シカ〳〵。「何事のお尋にて候ぞ」。シカ〳〵。「中〳〵昔より申伝たる事の候間物語申さふずるにて候。先此山にかぎらずすべて深きやまには山姥の住居すると申伝て候。去ながら其姿はいかやうなる者にや、見たるものはなく候が、此山にて薪をとりいかふつかれたるものゝしばし休らひて木かげにいこひ今は帰らんと件の薪をもとむるにみへず。せんかたなければ我家に帰るに扉の内に件の薪を積置事の候。是を山姥の仕業と申ならはし候。又賤の女のいとなみに糸とりきぬうちなどし候事の候が、叶はざる用有て仕さして置候うち目出たくとゝのへおゑて有事の候。是も山姥のしはざと申候。かやうの事は折〳〵候が必こゝろ直成者にのみありてひがめる者にはなく候。山姥は昔より鬼女とは申候へども人間に害をなし候事なく却て直成る人の助を致とみれば山神などの類にて有べきと皆〳〵申合候」。シカ〳〵。「扨只今の女は疑もなき山姥の化現と存候。かやうに御歌の一節を所望仕り候に御うたひ候はゞ御行末目出たからんと存候。はや月も出て候程に御約束のとをりうたはせ御申あれかしと存る」。シカ〳〵。「さあらばあれにて見申候べし」。 三十六 きぬた 〔元貞家之うつし〕 「是は芦家の〔何某に〕仕へ申者にて候。扨も頼奉たる御方は訴訟の子細有て都へ御登り被成、かり初ながらばや当年三年に成申候程に余りに古郷なつかしく思召れ御下り有度様に思召れ候へども、御訴訟半の御事なれば何卒思召すまゝに御叶ひあつて御下向有べくとて夕霧と申はしたの女房を御下しあり、今年の暮程には必御下向有べしとの御事にて御座候程にこなたにも殊の外の御悦にて御坐候。誠に三とせまで御留守の事なれば御待成るゝは御尤にて候。さて年の暮と申せば程なき御事なれ共跡御待かね有、少しのうちも都の御事御忘れ被成るゝ間も御坐なければ、里にて賤の女のいとなむ砧の音を御聞被成、もろこしの故(フル)事など思出され身づからも御慰に遊ばされうずとて、更行月に都の空を思しめしやられ夕霧を御相手にて夜もすがら打遊させ給ふを、夕ぎりも御いたはしくおもひ参らせいろ〳〵御心をなぐさめ申され候。しかるにまた都より此暮にも御下向有まじきよし申参ければ、女性の御身のはかなさは御こゝろ替り御下向もなき様に思召れ御こゝろも空になりはて玉ひ、現なき御事のみ仰られ終にはかなく成給ひて候。誠にかやうのあわれなる御事は御坐有まじく候。御内の者は申におよはず此御有様を見聞人毎に落涙仕らぬは御坐なく候。さるほどに芦屋殿にも此よし聞し召れ急ぎ御下り有て御なげきはかぎりなく候へども其甲斐なくせめて梓に御懸なされ其後法花経を以御とぶらひ有べしとの御事にて候。然に所の者共にも罷出かゝる有がたき御法事を拝み申せとの御事にて候間皆々其分心得候〳〵」。「被仰たる通相触申て候」。 三十七 逆鉾  〔宝暦九年十二月十五日 禁中 逆鉾 沢井助三郎 鈴木勘七 間北尾幸助〕 シカ〳〵。「所の者とお尋はいかやうなる御事にて候ぞ」。 シカ〳〵。「心得申て候。所のものにて候が、いかやうなる御事にて候ぞ」。 シカ〳〵。「是は存もよらぬ事を承り候ものかな。左様の御事は上々の御沙汰なれば我等ごときいやしきものゝ存ぜうずる子細は御ざなく候。去ながらかつて存ぜぬと申もいかゞあれば所に申伝たる通御物がたり申さふずるにて候。先当社明神と申は広瀬立田の明神と申は二社共に風水ののぞき人民豊年をいのり此御神を祭り奉る。然るに天武の御宇に神勅を立られ、風神を龍田の立野に祭らしめ玉ふ。今龍田姫と申は此御神とかや。又滝まつりの御神と申は水神の宮なり。むかし天神七代にあたつてあらはれ玉ふをいざなみと申。時に国常たちいざなみに託してのたまわく豊芦原に千五百(チイヲ)衆の国有。汝よく知るべしとて則天の御鉾を授給ふ。いざなぎいざなみの尊天祖の御おしえ直なる道をあらためんと天の浮はしに二神たゝずみ給ひて此御鉾を海中に指おろし玉ひしかば、御鉾をあらためあまの逆ほこと名付そめ国 民も調得て二神ンの初より今の世までも宝(ホヲ)物にて国土おさまり御代平かに成しかば、滝祭の明神此御鉾を預り玉ひこの御山におさめ玉ひ宝の山と申も則あれに見えたる山にて世の人是を宝山と申ならはし候。最前申ごとく賤しき我等の申事なればむさとしたる御事なれども荒増御物語り申て候が、扨お尋はいかやうなる御事にて候ぞ」。シカ〳〵。「是は奇特成事を承候もの哉。某推量仕るに当社へ初て御参詣なされ此明神を御信仰被成るゝ事を明神は嬉しく思召れ、かりに里人の姿と御身を現し御出なされ、夜祭の参詣人とひとしく御道しるべ有たるとぞんじ候間此上は神前にて弥信心をなし玉ひ、かさねて奇特を御覧あれかしと存候」。シカ〳〵。「重て御用もあらば承り候べし」。シカ〳〵。「心得申て候」。 同 〔末社〕 「かやうに候ものは当社立田の明神に仕へ申末社にて候。只今罷出る事余の儀にあらず。都よりまへつきむだち殿当社へ御参詣ありたるをたつたの明神は殊に神感のあまり仮に翁の姿と現じ御言葉をかはし当社の目出度謂御物語被成て候。誠に珍からぬ申事にては候へども当社の御事は広瀬立田の明神と申て」。是ヨリ前ノノ((ママ))通ヲ語。「世人是を宝山と申ならはし候。や。是は当社のめでたき子細、又明神はまことの御姿をあらはし申さふずるとの御事にて候。かゝる目出度折からなれば我等ごときも目出度一曲かなで罷帰らふ。フシ〽目出かりけるける時とかや〽 三段舞、如常留ル。 卅八 春日龍神  〔語間。社人、来序ニテ出ル。着付、厚板、下袴、クヽリ袴ニテモ。水衣、腰帯、前折烏帽子、上頭掛〕 「か様に候者は春日明神に仕へ申社人にて候。只今罷出る事余の儀にあらず。今夜大明神より不思義なる御告の御坐候。栂尾の明恵上人入唐渡天あらふずるとて御暇乞のため御参有べきが、何とぞ御とゞめ被成度思召候へども中〳〵御とまり有まじきほどに、三笠の山に五天竺をうつし拝せ御申ありとゞめ玉はうずるとの御事なり。それ〴〵壱人にてもなく社人共悉くおなじ御告にて御坐候。承ればもはや上人御参詣のよし申候間急参り此よし申さばやと存る。さればこそ御参詣にて候よ。是に御坐候は明恵上人にて御坐候か。御礼申上候」。シカ〳〵。「中〳〵。神職のものにて御坐候」。 シカ〳〵。「畏て候。頓て語り申さふずるにて候。先当社一のみやと申はたけみかづちの尊、又二の宮は下総かんとりよりうつり玉ひ、三の宮をも春日大明神とあがめ申候。是はあまつこやねのみことゝ申て下界の神道の御神にてましますが、かしまより此所へ称徳天皇の御宇神護景雲二年に飛移り玉ふ。其折ふしは端山にて御坐有たるが、明神御託宣に吾を祈らむ者は木を植て得させよ、何事も思ふ所望叶へ玉はふずるとの御事により、われも〳〵と木をうゑいのりをかけ申て候へば近比きどく成る事にて候ひけるぞ、こと〴〵く諸願成就仕、みな人難有おもひ猶も木を植参らせ、程なくか様に深(ミ)山とは成たるよし申伝て候。其外霊験あらたなる事は中〳〵申もおろかにて御坐候。只今我等ごときの罷出も余の儀にあらず。今夜明神より不審((ママ))儀なる御告の御坐候。其子細は栂尾の明恵上人入唐渡天あらふずるとて御暇乞に御参詣あるべきが、何卒御とゞめなされ度思召候得共大儀をおこし給ふ御事なれば、中〳〵御とまりあるまじきほどに神勅を以て御とゞめ被成、三笠の山に五天台をうつしおがませ御申あり、とゞめ玉はふずるとの御事なり。上人入唐渡天の御志も仏跡をおがまむとの御望なり。去ながら仏在世の時ならば渡天の御望も尤なれども今の折から渡天もいかゞあるべきとなり。入唐渡天を御とまり有におひては今夜一夜の中に三笠山に五天竺をうつし、摩耶の誕生伽耶の成道鷲峯の説法双林の入滅迄悉く御仏在世の様体おがませ玉はふずるとの御事なり。兎角上人を大切に思召故御とゞめ被成候。大唐長安の都より摩竭陀国王舎城のりうささうれひてつもむしくすいとて越がたき難所御坐有と申。古しへの玄奘三蔵法師もりうさ川にて七度迄真蛇に生をうばゝれたるとは申せども、王舎城にいたり大般若の妙軸をわたし来世の宝となし玉ひたると申程に、上人も入唐渡天有り末代まで名をのこされ度思召は尤なれども、早上人の御事は来世までもかくれ御坐有まじかと存候。某壱人にても御坐なく我等ごときの社人共皆おなじ御告にて御坐候間入唐渡天の思召立におひてはとかく御とまりあれかしと存候」。 シカ〳〵。「さればこそ奇特成事を承候物かな。其時風秀行と申は常陸の国かしまより此所へ飛移り玉ひし以来明神へ仕へ御申あり。直に御言葉をかはされたるほどの御方にて御坐候により秀行を以御とゞめあり、五天竺をうつし拝ませ御申有たるとの御事。かほどまで神意に叶ひ玉ふ事は御坐あるまじく候。只〳〵渡天を御とまりあれかしと存候」。 シカ〳〵。「夫は近比めでたふ存る。御覧候へ、漸五天竺もうつり候やらん、深山も大地もしんどう仕候間御心をしづめ玉ひ御おがみ有うずる出にて候。我等ごときも御蔭を以かゝる有がたき事をおがみ申さふずるにて候」。シカ〳〵。 「さあらば我らは先御いとま申。さて御用を承ふずるにて候」。シカ〳〵。「心得申て候」。本幕ニテ入。 三十九 朝長 〔ワキ語 懴法アシライ〕 ワキ「最前御おしへにより朝長の御廟所へ参り候処にあるじの御目にかゝり候へば此所に暫逗留申、猶々御跡を弔らひ候へとの御事にて候間是迄御供申て候」。狂言シカ〳〵。ワキ「さん候。是は朝長の御宛((ママ))人何某と申者にて候が、去子細あつて出家仕。此度の合戦の御供にはづれ無念口惜次第にて候」。狂言シカ〳〵。ワキ「元来出家の身にて候間委敷はしらず候へどもあら〳〵語て聞せ申候べし」。狂言シカ〳〵。 ワキ語「抑大崩のおこりと申は少納言入道信成、右衛門頭信頼両人のあいだ不快に成玉ふ故なり。信成去子細有て平家方と一所にて候間信頼義朝をたのみ互に時節を待れ候処に折節清盛重盛熊野へ参せられ候間、信頼は能時分とおもひ、源氏の兵をかたらひ数百余騎にて院の御所三条殿えおしよせ上皇は御車にて内裏へ移し奉り、御殿に火をかけ念なふ信成を誅せられて候。其後平家熊野より下向のよし帝聞し召、内裏を御忍び候て六条へ行幸有。上皇も仁和寺へ御幸被成候間、平家是に力を得、三千余騎にて寄奉る。其比平治元年十二月廿七日辰ノ刻に源氏一騎当千の兵二百余白旗をたてゝ待かけ玉ふ。始は源氏打勝玉ひ平家の方の打るゝ事数をしらず。六条迄追懸門不一駒を入られず。爰に源氏末孫兵庫守頼政心替りし、河原表に陣取てひかへしば悪源太安〳〵とおもひにつらき頼政が振舞かなとて散〳〵に責戦。頼政頓て平家に加はり却て源氏と戦ひしかば義朝父子の御跡左右へわかる。敵はもふ勢、味方は無勢にて候間叶ひ給はず都を御開き有て此所まで落玉ひ、爰にて御自害ある。又義朝は野間の内海の城にて現在の下人長田に打れ給ふよしを承る。懐旧の泪袖にあまる。責ては御菩提をとぶらひ申さん為是迄参りて候。なんぼう浅間敷世の中候よ」。狂言シカ〳〵。「朝長は常々観音懴法を尊み玉ひ候ひし程に、せんぼうを行ひ申さふずるにて候。此所の面々へ触て給り候へ」。 懴法応答事 朝長ノ話如常。脇ニ大崩語ル故狂言ミジカク語ル。此語ノ習ハ現在見タル事故言葉云ヤウ口伝アリ。但維盛同事ナリ。咄ノ様ニ語ル。 〇此能太鼓ノ習大事故語済テ笛ノ上ニ居ルヲ秘事トスル事ナリ。今ノ朝長ノ間語ル。ワキ待諷頭取壱人ニテ諷フ。懴法ハ太鼓習大事ナル故ニワキ大小笛共ニ控ル習アリ。「うかむばかりの気色かな」ト云謡過テ太鼓テン〳〵ト打出スナリ。 〇狂言シカ〳〵。「最前朝長の御墓所を尋玉ひたるお僧にて候」。ワキシカ〳〵。「某は此家の長に仕へ申者にて候が、あるじの申され候は旅人の御着にて候間、罷出随分御用を承れと申付られて候間、何にても御用を承候べし」。此間ノシカ〳〵別儀ナシ。狂言語済テ「何とてかやうに朝長の御事をしたしく御弔らひ被成ぞ。不審に存候」。此間ノシカ〳〵ニワキ〈ニ〉大崩ヲ所望スルト見ヱタリ。又ワキ語過テ、シカ〳〵アリテ、ワキヨリ朝長ノ最期ヲ語レト所望スルガ、其時ハ「御嫡子悪源太」ヨリ「六条川原へ引渡され、終に誅し申されたると承て候」迄ヲ抜ト見ヘタリ。 〇ワキ語ノ趣ニテハ狂言ノ語先ヘ語ルトミヘタリ。能々問合スベシ。 四十 船弁慶 〔ワキノ話〕 狂言ヨリカヽル。尤舟ノ中ナリ。 ワキ「何と軍の方便と候や」。狂言シカ〳〵。「おことぞんじのごとくつはもの都を去てあの一谷に城くわくをかまゆといへども皆東国へ心をかへし源氏対しぬ。去程に鎌倉殿の御諚には三河守範頼、九郎大夫判官義経に今度大将を仰付らるゝ。範頼は大手生田の森の大将五万余騎にて向ひ給ふ。義経は一万余騎にて丹波路へ赴き三草山よりひよどり越にかゝりてつかいが峰を落し玉ふ事人間の業ならず。大手搦手相つらなつて一チ時がほどに責落す。一人の高名其沙汰世にかくれなし。又平家は先帝を初め奉り一門の人々船に取乗、寿永の秋の紅葉の如くちり〴〵に成給ひて候。我君の御手柄中〳〵申も愚に候。や。よしなき長物語船のさはり、急で漕候らへ」。シカ〳〵。 四十一 村山 狂言「是は讃州村山殿の御内に仕へ申者にて候。去程に上野殿の北の御方同御子息松若どのは当り近き朱釈堂と申寺に一七日御籠り被成るが、村山殿御めのと成により御供に参られて候。又只今都より注進状の下りて候間急ぎ御目に懸申さばやと存候。いかに申上候。只今都牧の次郎よりちうしん状の参りて候。急ぎ御覧有ふずるにて候」。村山シカ〳〵。「中〳〵只今参りて候」。村山「いかに誰かある」。「御前に候」。 村「御所に当て人音あまた聞へ候。いかなる事ぞ聞て来り候へ」。「畏て候」。シカ〳〵云テ「何と申ぞ。夫は誠か」。「いかに申上候。西方の御代官長尾が鷹野出ると申て物の具をし此門前に来ると申候」。シカ〳〵。「中〳〵の事」。 四十二 兼元 「御前に候」。シカ〳〵。「畏て候」。「いかに花若どの。御坊様の御出被成れと仰られて候。急ぎ御出被成候え。兼元殿の今明日のうちに此所へ御着のよし申候間、学文など御問ひ被成れうずるとの御事にて候御座有げに候。御返答をたくませられ候へや」。「花若どのを御伴申て候」。「立時に夫身に申さぬか」。「や。何と申ぞ、花若殿の御堂の前へ身をお投やつと申か。扨〳〵是はもつ共な事ぢや。御坊様の余りきつくせつかんを召れた所で身をなげさせられた申((ママ))か」。シカ〳〵。「中〳〵の事」。シカ〳〵。 「尤にて候」。「是はもつたいなき事にて候。扨今明日兼元どのゝ此所へ御着と申に。左様の事をば誰が申さふずるぞ。こなたに御ざつてこそ此次第をも仰せられわけ有ふずれ」。シカ〳〵。「尤にて候」。 四十三 文学 「たれにて渡り候ぞ」。シカ〳〵。「何と承り候ぞ。小松の三位維盛の御子六代子の御めのとにて御坐有が、文学上人様を教へ申せとの御事にて候か」。シカ〳〵。「寺中あまた候間おしへ申たり共御存知有まじく候。我等思ひ出したる事の候。文学上人様毎日御堂へ御入堂候間御待候ひて御対面有ふずるにて候」。 四十四 悪源太 「たゞつゞけ〳〵。壱人もつゞかぬよ」。「去程にかの悪源太と申候は義朝の御嫡子にて候と申候。爰かしこにて打もらされ給ひて当寺石山を御頼被成候所に、都より飛脚立て急ぎ悪源太義平をからめ取て参らせよ、しからずは当寺の大事との御事にて、種々いろ〳〵の御談合有て、山寺多き中に当寺を頼御坐候を何として心替り有べきぞと若き衆は御申候得共、又宿老衆の御申候は、いかやうにも寺家あんおんにとこそ存候得。都と同心有べしとて御りやうしやうにて候程に、只今打手が向ひ候を堂守はさきがけして彼手并を見よ御((ママ))申候得どもつゞくものはなし。私壱人にていか成てんまのわざも成まい。先某は是よりはづして私の家をも堅めふずるぞ。たゞつぼめ〳〵」。 四十五 横山 ワキ「いかに誰か有」。「御前に候」。ワキ「某下りたるよし申候得」。「畏て候」ト云テ舞台へ入テ、舞台ヲ見テ、「是はいかな事存の外の御機嫌じや。此由申上う。いかに申上候。参て候へば横山どのは御酒宴にて何とも申入れうずるやうもなく候」。 ワキ「夫は誠か」。「さん候」。ワキ「あら思ひ寄らずや。先某直に参らふずるにて候」。 「尤にて候」ト云テ切戸ヨリ入。但ワキ舞台ヘ入見合。橋ガヽリヨリ入モヨカルベシ。右ノアシライ前後舞ノ内ニ有也。 四十六 羊  〔官人出立。脇ニツキ出ル。名乗過テ呼出。後ハコウハク出、奏聞過テ呼出ス。〕 ワキ「いかに誰か有」。「御前に候」。ワキ「秘蔵羊を盗たる者をぞんじ奏聞申者あらばくんこうは切に寄るべきとの御事にて候間、国の境に立札を建候え」。「畏て候。扨も〳〵。いかやうな者が此ひつじを盗み取て、かやうに御機嫌以の外にて我人迷惑致し国のさわぎとも成申す。まづ高札を打ばやと存る」。札ノ立所、子コウハクニ問ベシ。札ヲ打テカラ「高札の者につき参内申たる者あらばこなたへ申候えや」。 後。ワキ呼出ス。「御前に候」。ワキ「此国のかたはらにこうしやうと申夫婦の民有べし。土の車を作り姥をのせおゝぢに引せ仕丁官人追立参内申させよと申候え」。「畏て候」。楽ヤ向テ「皆々承候え。此国のかたはらにこうしやうと申夫婦の民あるべし。土の車を作り姥を車に乗、則祖父に引せ仕丁官人に追立参内申させとの御事にて候間皆々其分心得候へ〳〵」。 四十七 浜平直 「さん候おさなき人の渡候が清水に御参籠候。其御方より御文の候を深草の右衛門之尉殿へ届申せと仰られ候間只今持て参候」。シカ〳〵。ハマナラシヽテ出時見テ、「あゝ草臥やさし申さふ。扨京物語をわらんべ共が聞たがり候。ちよと語候」。「いや物語してお主にしかられ候」。「や。其間は時分を見ておませうぞ」。「さらば語候」。 「どれ主君の御下り候はゞ何事か申候てなぐさめ参らせう。爰に新座の者が是非もなふ面白く諷ひ候。是をうたはせられ候へ。 いぜん乞たる程に、夫は大事もなき事にて候」。 四十八 鐘引 「是は江州水海に住なまずにて候。扨も当国瀬田の橋と申は、じや池にて候。龍女子を産んとし給ふ時三上山より大成る蜈蚣来りて子を喰ころし候程に一つもそだち申さず候。或時秀さとゝ申人御通り候を彼龍女出会給ひ美しき女と化給ひて申され候は、蜈蚣の命を取て給り候へ、いかやうの事なりとも叶へ申さふずると申ければ、子細なく頼れ給ひて、天下一の弓の上手ではあり、神通の矢を以むかでの真中を遊し候。其恩賞にしゆまんのたからを持申され候中にも、つきがねを参らせられ候。只今大龍王を始めとして百千けんぞく悉く守護し、此鐘を引せられうずるとの御事にて候。秀里此鐘を引は三井寺に御寄進にて候間、三井寺へ直に引せられうずるとの御事にて候。目出度御事と申、又御太儀と申せば湖のあらゆるうろくず共、皆罷出候ひて御用を承候へ。心得候へ〳〵」。 四十九 朝顔 「是は都一条大宮辺に住居する者にて候。今日は志す日に相当て候程に御堂へ参らばやと存る。や。是成お僧は此当りにては見なれ申さぬお僧成が、いづかたよりの御参りにて候ぞ」。シカ〳〵。「中〳〵此当の者にて候」。シカ〳〵。「心得申て候。扨お尋有たきとはいかやうなる御事にて候そ。△何と承候ぞ。是は諸国修行の御方なるが、此御寺の謂又朝顔の斎院の御事に付て子細有べし、存たにおひては語り申せとの御事にて候か。▽我等も此当りには住居仕れ共、左様の御事は委敷存も致さず候。去ながら、お僧の御尋有を何をも存ぜぬと申もいかゞに候間、此所に申伝たる通御物語しさふずるにて候」。「先此御寺と申は、都のうちにおき候ひても一条大宮仏真寺と申て隠れもなき御寺にて御坐候。去程にむかし桐壺の帝の御弟に桃園の式部卿と申て御坐有候が、此所に住給ひしに依て今に至る迄此所を桃園のみやと申も此謂にて御坐有げに候。然ば彼桃園の式部卿に姫宮の渡らせ給ふに、光源氏御心を掛たまひ、色々御文玉章を参らせられけれ共、彼姫宮は光源氏の御心のあだなる事をよくしろしめし候て、なびき給はず候所に、又中比加茂の斎のみやに備り給ひ奉((ママ))にそのかみ朝顔とある御歌を遊されしによつて、彼姫宮を朝がほの斎院とは申たるげに候。其後父の御ぶくによりおり居させたまひ、此桃園の宮に移り御坐有候に、源氏の御心猶やみ給はず、又御ふみを参らせらるゝ。其御歌に、見し折の露わすられぬ朝顔の花の咲りは過やしぬらんとかやうによみて参らせられければ、斎院の御返歌に、秋はてゝ霧のまがきにむすぼふれあるかなきかに見ゆるあさがほとかやうに詠じ御返歌あり。余りつれのふて呆給ひたると承り及て候。彼斎院は生死無常のはかなき断を能しろしめしたるによつて、朝皃に好給ひ御庭に植おかせ給ひ是を詠させたまひたると申。此所に女御の宮の住給ひ候に、斎院も彼宮と一所に御坐候らひて是にて終に果給ひたると承り及て候。御覧被成るゝごとく今はかやうに寺となるも昔の宮のかたちは御坐なけれ共、是成まがきのあさがほ毎年時折をわすれずいろうつくしく咲乱れ候ほどに、心有人は是を詠め無常の悟りとはし給ふ。朝顔をはかなきものとおもふなよ人をも花はさぞ思ふらんと是も斎院の御歌とやら承り及て候。最早((ママ))申如くかやうの御事委敷は存も致さず候へ共、先我等の承たる通御物語申て候が、扨お尋はいかやう成御事にて候ぞ」。シカ〳〵。「是は奇特成事を承り候物かな。某推量仕るに、其方の御心中貴ふましますにより、殊に此寺に御参りあつて花をもながめ給ふ事を斎院は御心に嬉しく思召れ、仮に朝顔の精とまみへ顕れたまひたると存候間、此上は暫此所に御坐候らひて弥信心をなし給はゞ重て奇特の有うずるかと存候」。シカ〳〵。「重て御用もあらば承候べし」。シカ〳〵。「心得申て候」。 五十  大六天 「是は伊勢太神宮に仕申末社にて候。去程に大和の国奈良の都に御座候解脱聖人と申貴きお僧の御坐候が、此太神宮へ御参詣被成候所に、大六天の魔王を初としてあまたげどう集りて魔道へ引入れ仏法を妨げ申さんとて只今魔王共来候を、太神宮仮にかんなぎとあらわれ、解脱聖人に正敷御告御坐候。去程に此解脱上人と申は、桜本の中納言と申御方の御子にて御坐候が、世にたぐひなき智識にて御坐候ひしにより、太神宮かりに人間と現じ、此事を告知らせ給ひ候。去程に外宮内宮の御神は申に不及、住吉出雲の大社迄解脱上人に力を付申さんとの御事にて候。当宮の末社門守の神迄解脱上人に力を付申せとの御事にて候間、其分心得候へ〳〵」。 五十一 松山   松山天狗共〔脇西行。次第道行過、シテ尉ハシカ〳〵アリ。「立寄と見えしが案のごとくに失にけり」ト云。中入過テ出ル。乱序。〕 「かやうに候者は白嶺(シロミネ)相模坊に仕へ申木の葉天狗にて候。去程に保源((ママ))平氏((ママ))の御時、新院本院御位を争ひ給ひ、新院打負させ讃岐の国此松山に流され給ひ候に、誰有て此所へ罷出御伽申ものもなく候所に、某の親かたのさがみ坊参り御とぎ申されて候。又都より西行法師新院の崩御ならせ給ふ事を御いたはしく存ぜられ、此所へ御下り被成て候得ば、新院の御ぼうこん顕れ給ひて候。西行と申は隠れなき御人にて渡らせ給ひ候へば、其時御歌を遊されて候。其御歌は、よしや君昔の玉の床とてもなからん跡は何にかわらんと遊され候得ば、新院悦び玉ひ誠の姿を顕して舞楽奏して御慰めを被成れうずるとの御事にて候。其間に我等如きのやうな小天狗も罷出、お伽をも仕れとの御事にて候得ども、何にても左様の事は成申間敷候間、兎角相模坊を呼出し申、我等も跡より参らふずるにて候。いかにさがみ坊〳〵」。 五十二 千引 作リ物大小ノ前、一畳台、殺生石ノ通。〔ツレ出テ〕ワキニ付テ出、太コノ座ニ居ル。○ワキシカ〳〵アリ。太コ座ヘクツログ。狂言ハ入チガイシテ柱ノ次ニテ触アリテスグニ正面出テ、ツレノ女ニ向立ナガラシカ〳〵済テ太コ座ヘ入。○中入過テ名乗場へ立。「漸人数も集り候間石を引せ申さばやと存る」ト云テ〔ハシ〕掛ヘ来テ呼出ス〔ツナヲ後見左ヨリ持出ル〕〔石ニツナヲカケ正面之方へ綱ヲヤル〕。立衆五六人出ル。「さあさあいづれも来て石を引しませ」。立衆「心得た〳〵」。入チガイ地謡ノ方ヘナラブ。ヲモ「さあ〳〵引しませ」。シカ〳〵。ヲモハ右ノ方、立衆ハ左ノ方ニナラビ縄ヲ持「ゑいや〳〵」ト引。 ヲモ「是ほど多勢にて引に地ばなれも」。立衆「シカ〳〵」。ヲモ「ふしぎな事じや。此上は拍子にかゝつて引ふほどに勢を出して引しませ」。シカ〳〵。モテ扇ヒラキ、ウキテ「ゑいさら〳〵ゑいさら〳〵 〳〵ゑいさらさ」。小廻リナドス。立衆「ゑいさら〳〵」。ヲモ又ハヤシ廻リ返シナドス。二三返スル内ニ、ツレ女詞カクル。ヲモシカ〳〵。立衆ハツナヲハナシ正面向見テ居。ナ((ママ))モ「先此由申上う」。立頭「急で申上さしませ」。ヲモハ橋ガヽリへ行。立衆跡ニ付テ太コ座ヨリ切戸ヨリ入。ワキ此前ニ切幕隙へ行、狂言一ノ松ニテ下ニ居テシカ〳〵アリテ、ワキト入チガイ太コ座居。シテ作リ物ヨリ出テ入。 五十三 祇王  〔狂言上下。ワキワキツレ太刀持出ル。其跡ニツキ出ル。太コ座ニ居。〕 ツレワキ「いかに誰か有」。「御前に候」。シカ〳〵。「畏て候」。ツレ下ニ居ルト名乗座ニテ、「扨も〳〵うつれば替る世の習ひ、いまめかしき申事に候得ども、彼祇王御前と申は双なき御方にて御坐候により、平相国清盛公御てうあい甚敷、昼夜御前を立さらず誰ならびなき御事なりしに、今度加賀の国より仏御前と申白拍子都にのぼり、清盛公に仕申さんとて便りを求め、其由申入させ給へども、元来相国の御事は祇王御前を御てうあいの御事なれば、仏御前を召出さるべき御沙汰もなく候程に、仏御前は聞し召て本意なく思ひ給ひ、此上は押て参、何卒見参に入らんとおもひつめ、仏御前は車に打乗、西八条殿に参りいろ〳〵申上させ給ふを、清盛は是を聞し召れ、めさゞりし所へ押て参る事かゝる推参世にまれなり。たとへ神にもあれ仏にてもあれ祇王があらん限りは中〳〵御対面は叶まじき由申さるゝ。其時祇王は御前に有りて申さるゝは、推参は遊女のならひ、其上年もいまだいとけなければ、よし舞は御覧なされずとも、せめて〔一度の〕御対面あれかしとひたすらに申上させ給ふ。清盛は聞し召れ祇王の志をかんじ給ひさあらば只一度御対面有べきとて召れしに、仏御前一目御覧じて、はや御心うつり祇王をうとみ給ふ御気色にて、両人に連舞を御所望にて候。然ば祇王の御心の内押斗、我等ごときの者迄も御いたはしく存る事にて候。や。是は某が由なき独り言。先急ぎ只今のよし申さばやと存る」、ト云テガクヤ向テ、「いかに此内へ申候。瀬尾殿仰出され候。祇王御前にも仏御前にも舞の装束を御着被成候はゞ、急ぎ御出有べきとの御事にて候。かまへて其分相心得られ候へや」ト云テ間座ニイル。シテツレ出ル切戸ヨリ入。 五十四 源氏供養 「案内とは誰にて渡候ぞ」。「いや法印様にて御坐候。何の御用にて候ぞ」。「心得申て候。扨お尋はいかやうなる御事にて候ぞ」。「去程に紫式部と申は、越前守藤原の為時の御娘藤式部と申て上東門院の上童にて御坐有たるが、斎院の御所より御使立て、何にても面白き事の物語や候覧、つれ〴〵の御慰にての御事にて、則上東門院藤式部をめして珍敷物語を作りて斎院へ参らせよとの御事にて、仰にしたがひ石山寺へ御参籠有たると申。惣じて此石山寺と申は聖武皇帝の勅願所にて、開山は了遍僧正と申たる由に候。山の姿ふだらくせんに似たるとて、御本尊は観世音を安置し給ふ。誠に観世音の御ちかひ、なんぼう難有き御事にて候。内伝外伝天台六拾巻けんみつ二法まで悉く書顕し給ひたると申。然るに源氏御遊覧の御事、又ぼんのふそくぼたい、或は生死ぞねはんと唱へ申せば、人の耳へも入安きやうにうゐ転変までくわんじ給ひ、飛花落葉の移り替りも夢まぼろしのごとく、扨こそ夢のうきはしと書留給ひ、斎院御詠覧あり、面白き物語かな、中にも第三若紫の言葉のつゞき一入面白し、藤は紫のゆかりなればとて、其名を紫式部と付させ給ひたると承て候。惣て源氏物語の御事我等ごときの申上る事にては御坐なく候へども、凡承及たるは如此御坐候」。「言語同断ふしぎ成御事かな。夫こそ疑ふ所もなく紫式部にて御坐有ふずると存候。今宵仏前に御通夜被成、重てきどくを御覧あれかしと存候」。 五十五 花軍 「か様に候者は山城の国伏見の里に住薄の精にて候」。「是は何として出たぞ」。「されば風に吹れてあちらへはたはみ、こちへはねじれ、余念ものふ居れば、其方御用有さふに出たによつて、夫故某も出ておりやる」。「夫ならば様子を語て聞さふ。惣じて此伏見の里と申は、忝もいざなぎいざなみの尊天のいわくらにて伏て見回((ママ))し給ふ国なれば、伏見のさとゝは申。又此野辺に草花あまた有中にも、白菊はかくれもなき名草にて、則白菊を翁草とも申候。其子細は、仁王五十代桓武天王此伏見の里に大宮造御申有時、いづくともしらず翁壱人来り、是はいせの国あこねの浦の者なり。王法を尊み是迄参たり。此度大宮作り有〔御〕事なんぼうめでたき子細にて候とて、一首の歌をよみ給ふ。露ながら折てぞゆかむ菊の花老せぬ秋の久しかるべきとかやうに詠じさせ給ふ。皆人ふしんをなし、扨彼翁の立給ふ跡をみれば、白菊壱本生出たり。夫より此所に御社をかまへ、白菊の明神とあがめ奉る。則伊勢の太(フト)玉明神と同一体の御神なり。さるに依て白菊を翁草と申なり。扨又都の御方此野辺の花御覧有べきとて、皆々伴有所に、女郎花の精仮に顕はれ出、人々に向ひ此野辺の女郎花を御賞翫あれかしのやうに申、手折て参らせうずるよし申候得共、いや白菊をこそ名花なれども、中〳〵承引なき事を女郎花は白菊に恨みをなし、花に縁有草花をかたらひ花軍有べきとの御事じやが我等かやうなる草の精も罷出、共に小刀を打申さふずると思ふが何と有う」。「一段とよからう。やあ〳〵此野辺の草花共承れ、白菊と女郎花と花軍有間、いづれも早々罷出縁有かたへ力を付候へ。其分心得候へ〳〵」。 五十六 同 〔長上下ニテ是ハ乱序無キ時ノ間〕 「是は伏見の里に住居する者にて候。只今罷出る事余の義にあらず。誠に目出度御代のしるしには、洛陽におひて琴棋書画の楽しみ尽せぬ中に此比皆人もて遊び候は立花にて、然ば此度都方の人々洛外の山に分入中にも、深草山にて見事なる真又は下草共を折取、夫より此伏見の里に来り、猶下草などを尋給ふ所に、いづくともなく女性壱人来り、彼都人に言葉をかけ、都人の草花を尋給ふ事を早存ぜられ、此伏見の里の菊のはなを翁草とて名草なる子細共いろ〳〵物語あり。御身草花に好き給はゞ此草花の内にも女郎花の花を賞翫して手折給へと有しかば、都人答て曰、此所の名草白菊をこそ手折べきを左はなくして女郎花を折とれとは思ひもよらぬ事なりと申されければ、彼女姓((ママ))申やう、左様に承引し給はずは、女郎花千草共をかたらひ夢中にまみえ白菊を打ちらし恨をはらさんといかりをなし、女郎花仮に顕れたりと云捨、花の蔭にて失て候。此上は牡丹花を大将にて花軍の掛引有げに候。寔に草木心なしとは申せども、昔よりかゝるためしは有と申す。夫をいかにと申に、桜町の中納言成(シゲ)憲(ノリ)と申は、花にめで給ひ、春にもなれば花を愛し給ふ。去ながらかゝる面白き花を三旬にたえず漸七日の盛りなれば、しげのり卿は花に名残をおしみ泰山府君の祭事をなし給へば、かゝるやさしき成憲の志を神も納受たれ給ひ、花の寿命を三七日までのばし給ふ。又夫のみならず、陶淵明は菊を友として自愛し給ふ事世に名高き也。さあるによつて都人の菊を賞翫し給ふもことわりにて候。や。何と申ぞ。早花いくさの始ると申か。皆々承り候へ。此度所の草花共花の位争ひの候が、女郎花負がたに成しを無念におもひ、則女郎花の精千草の花をかたらひ、はないくさを語候。かゝる奇特成事は有まじく候間、いづれも罷出花軍の体を見物せられ候へ。其分心得候へ〳〵」。 五十七 武干 〔仙人出立。乱序。上掛〕  「かやうに候ものは、豊干禅師に仕へ申者にて候。只今罷出る事余の儀にあらず。寒山寺より貴沙門の御出有、此寺の古跡を尋給ふ志を菩薩達は奇特に思し召れ、仮に賤しき者と現じ出給ひ、此寺の謂御物語被成て候。誠に申迄は御坐なけれども、此寺と申は、古しへ天台大師の旧跡国正寺と申、則豊干禅師寒山捨((ママ))得の住給ひし所なりしが、其捨得と申御方は、豊干或時市に出て捨子をひろひ得給ふとて、其名を捨得と呼給ふ。又或時捨得の如なる童子来りて帚を以て庭をたび〳〵はくを見給ひ、何国の者ぞと問給へば、我は寒山より来る者也と答ふ。寒山既に七百里を隔し山成に、夫を遠しともせずしてあしたに来て夕日に帰、不思儀のおもひをなす所に、りよきうと申人来り豊干に仰らるゝは、あの弐人はいかやうなる者とおもひ給ふ。豊干の仰には寒山は文殊捨得は普賢なりと仰られ候程に、りよきう二人を拝み給ふ。其時弐人肝をけし何とて我を拝み玉ふぞと御申あれば、豊干の仰に任せかくのごとく礼をなし申すと御答有る。左やうに我等が本地を顕し玉ふ豊干の本地も申べし。あれこそ弥陀の化身成とて塔屈の内に入給ふ。夫より三人の本地顕しなり。豊干禅師は常に虎に乗りて往来し玉ふ。また寒山帚を持玉ひし事、人は六ぢんの境にまよひ鈍欲身意愚智の三毒不絶是をはらひ捨たるとの御心にて有りしとの申事にて候。去間彼沙門貴くましますにより、豊干は虎に乗じ、寒山捨得は仏体を顕し、二度まみへ玉ふずるとの御事にて候程に、先あれへ参り貴僧に此由申知らせばやと存る。いかにお僧へ申候。御身の御心中貴ふましますにより、先にようがうなし詞をかはし玉ふ人々は仏体を顕し、ふた度まみへ玉ふずるとの御事にて候間、なを〳〵心を御すまし有て、難有様体をおがみ玉へ。其分心得候へ〳〵」。 五十八 同 〔語間セリフ〕 「是は国正寺の門前に住居する者にて候。今日は志ざす日にて候間、仏参仕らばやと存る。や。是成御僧は此当りにては見馴れ申さぬが何方よりの御出にて候ぞ」。「何と承候ぞ。寒山寺より御出有たるお僧成が、古しへ此所にて豊干禅師寒山捨徳の事存たらば語申せとの御事にて候か」。「我等も此あたりには住居申せ共、左様の御事委敷は存も致さぬ。去ながらはる〴〵の海やまを隔御出被成お尋御坐候を、何をも存ぜぬと申もいかゞに候間、昔より申伝たる通申上ふずるにて候」。 「去程に此寺古しへ天台大師の御跡国正寺と申、則豊干禅師寒山捨得の住玉ひし所なりしが、其捨得と申御方は豊干或時市に出て捨子をひろひ得玉ふとて、其名を捨得と呼玉ふ」。跡前ト同断。「夫より三人の本地顕しなり。亦一説には尺迦の化身共申、不断虎に乗りてゆき玉ひし人なり。則豊干の御旧跡はあの宝蔵のうしろに御坐候。定て御存有べけれども、寒山帚を持給ひしことは、人間六ぢん」。此跡モ前ト同断。「御心にて有りしとの申事にて候。最前申ごとく、委敷事は不存候へども、御尋にて候間、承り及たる通あら〳〵御物語申て候が、扨御尋はいかやう成御事にて候ぞ」。「是は奇特成事を承候物かな。某推量仕るに、お僧の御心中貴きにより、殊に寒山寺より御出有たる御事なれば、古しへを思めし出され寒山捨得顕れ玉ひ、豊干禅師の御物語も御坐有たると存候間、此上はしばらく此所に御逗留有り、夜ともに有難御経をも御読誦あり、重て様子を御覧あれかしと存候」。「重て御用もあらば承候べし」。「心得申て候」。 五十九 鳥追舟 〔太刀持。ワキノ供シテ出〕 ワキシカ〳〵。「御前ニ候」。ワキシカ〳〵。「誠にかやうの目出度事は有まじく候」。ワキシカ〳〵。「畏て候」。「心得申て候」。シカ〳〵有ベシ。「尋申て候得ば鳥追船にて候が、おさなき者共太鼓にてはやしもの仕るよし申候」。「先ヘ行け」ト云。シカ〳〵アリ。「畏て候」。太刀ヲ舞台ニ置入ル。 六十 養老 〔薬水〕 祖父出立ニテ杖ツキ腰メテ出ル。尤乱序ニテ出ル。 「かやうに候者は、美濃ゝ国本巣の郡〔養老の里〕に住居する者で御坐る」。名乗ノ内立衆二三人出ル。出立イヅレモ同事。小袖ツボ折テモ吉。「ゑい〳〵〳〵」ト云テ出ル。「皆来さしませ」ナドシカ〳〵云テ出ル。ワキ座ノ方ヘナラブ。立頭「ゑい出さしましたか」。二三シカ〳〵。シテ「ゑいいづくもよふ出さしまた((ママ))」。立頭「何やら目出度事が有と聞たによつて、いづれもさそふて来ました」。二三シカ〳〵。シテ「やれ〳〵夫はよふこそ出さしましたれ。扨此めでたい子細を聞しましたか」。立頭「何をも知ませぬ」。二三シカ〳〵。シテ「夫ならば追付語て聞せませう」。立頭「早ふ語らしませ」。シカ〳〵。「先此所におひて養老の滝とて不老不死の薬の水涌出るを何者か奏聞しける。君聞し召れ、忝も勅使此所へ御下向成候が、是は聞しましたか」。立頭「いかにも夫は」。シカ〳〵。シテ「され((ママ))此泉を養老と名付られたる」。語言替事ナシ。折々向合咄ノヤウニ語ル。「かゝる奇特の薬の水の涌出る事、偏に天下泰平のしるし王位目出度ゆへではないか」。立頭「おしやる通、目出たいゆへでおりやる」。二「扨〳〵めでたい事を聞ておりやる」。三「某は初て聞た」。シテ「扨何とおもはします。是程年寄て水をのふでもいらぬ事じやと思へ共、今此御代に生れあふてのまぬもいかゞじや。いざのまふでは有まいか」。立頭「いや〳〵此年になつて何の望が有う。身共は呑まい」。シテ「いやそふではない、此目出たい水をのまぬといふ事は有まいほどに、先そつとのまふ」。二「いかさまおしやれば尤じや。身共も呑ふ。おぬしものましませ」。三「何が扨のまいでは」。シテ「夫ならばさあ〳〵来ましませ」。シカ〳〵。廻リ橋掛へ行。「扨何とおもはします。此水をのふだらいづれも若やぐで有ふのう」。立頭「其通じや。乍去身共等斗若ふなつては済ぬものじや。姥等にも呑せずはなるまい」。シカ〳〵。シテ「いや〳〵身共はまだ姥等は其儘おひて、廿(ハタチ)斗なみめのよい後添を持ふとおもふ事じや」。立頭「是も尤じや」。皆笑。シテ「何かといふ内に滝壺へ来た」。シカ〳〵。「いざのもふでは有まいか」。シカ〳〵。〔杖ヲステヒヨロ〳〵トシテ出ル。正面ヘナラブ。片ヒザツキ〕 シテ〽いで〳〵水を呑んとて〽。同〽〳〵滝壺に立寄一ぱいうけて呑ぬれば〔扇ヒラキ諷ニ合セ呑〕髭のあたりがぞゝめきわたりて本の黒ひげとなりにけり〽。シテ「是はいかな事。おぬしのひげは黒うなつた」。立頭「そなたの髭も黒うなつた」。二「扨〳〵ふしぎな事じや」。三「是はきどくな事じや」。シテ「迚の事にもそつとのまふ」。シカ〳〵。〽猶〳〵水を呑んとて、二はいうけてのみぬれば〔首ヲフリテミル〕かみの辺りがぞゝめ〔き〕わたりて、本の黒髪となりにけり。三ばいのめばふしぎやな〔腰ヲノバス〕かゞめる腰も直になり、余りに多く〔立衆入〕呑ならば本の赤子になりやせん。本の赤子になりてはいかゞと〔シテ角トリカザヘ順ニ廻リ左右止テ入〕よつぽどのふでぞ帰りける〽 六十一 双紙洗 ワキシカ〳〵。「御前に候」。シカ〳〵。「尤の御意にて候。頓て御出有ふずるにて候」。〔ワキクツログ。シテ出テ歌ヲギンズル〕 ワキ橋掛ニテ聞。狂言同立聞、橋掛下ニ立ツ。シテ中入スル。ワキシカ〳〵。「中〳〵承て候が、一段と面白歌かと存候」。シカ〳〵。「物と承て候。まかなくに何を種とて瓜づるのはたのうね〳〵まろびあるくらんとか様に承て候」。シカ〳〵。「是は御尤の御意〔タクミ〕にて候。左様に被成候はゞ、明日の御寄合には必御勝有ふずるかと存候」。シカ〳〵。「尤にて候」。〔ワキ中入スル。一ノ松迄送リ、立戻リ、シテ柱ノ先ニテ云立アリ。〕 六十二 常陸帯  〔「ひたち帯かへし給へ」ト中入有。社人出立。〕 「是は常陸の国鹿嶋の明神仕申神職の者にて候。誠に申迄は御坐なけれども、我朝におひて霊神数多御坐候中にも、此鹿嶋の明神は殊更霊験あらたなる御事にて候。何ごとも祈りを懸申程の御事は成就仕、目出度御神にて御坐候。左あるに依て、大和の国にては春日大明神と顕れ、河内の国にては平岡の明神と現じ、筑前の国にては鹿(カ)の嶋明神とあらはれ、爰にては鹿嶋の明神と光を和らげ給ひ候。是皆一体分身の御事にて候。去程に当社におひて御神事数多御坐候中にも、正月十一日則今日の御神事をば常陸帯の御神事と申候。其様躰は若シ妻などをほしく思召かたは、上下によらず帯に歌をかきて神前に懸置れ候を、いかやうなる御方にても候へ、其歌を読なす御方を妻にかたらひ御申有。是は御神拝の儀式にて御坐候。なんぼう難有御事にて御坐候ひけるぞ。先々今日の御神事は、天気もよく貴賤群集をなして夥敷参にて候ひつるが、六ケ敷申事もなく驚き騒ぎもなし。行(スル)々として神拝納り近比目出たふ存る。皆々社人達御入候か」。〔同姿ニテ四人出ル。〕シカ〳〵。出ル。「扨も〳〵御神事する〳〵と納て目出たふ存るが何と思召候ぞ」。シカ〳〵。「漸御輿を還御なしさらふずるか」。シカ〳〵。「中〳〵能時分にて候」。シカ〳〵。「さらば還御成し申さふ」。アド「いかに聞しますか」。二アド「何事にて候ぞ」。「扨も〳〵今日の御神事は天気もよく物云もなくめでたふはおりないか」。「されば其事じや。今日の御神事は何事もなくする〳〵と成就仕目出たふ候よ」。「さらば時分もよきうちに、いざ神輿を還御なし申さう」。「尤急で還御なし申さふ」。「さあ寄しませ」。シカ〳〵。イロニテ「曳共(ヱイトモ)〳〵曳(ヱイ)よふさ〳〵」。「祭遣(サイヤレ)〳〵 〳〵 〳〵ゑい〳〵ゑともゑい」。「さいやれ〳〵」。「一里ほどさいやれ」。「万歳らく」。「千歳楽」。二人「千歳楽ゑい〳〵 〳〵 〳〵」。「やあふしぎ此輿の御上りない。先は奇特なる事哉」。「先々此由を申上う」。「急で申上さしめ」。「いかに申候。御輿を還御成申さふと仕候得共、少も御上りなく候」。ワキ「シカ〳〵」。「げに今思ひ出して候。最前若き男候ひしが、緗縹(ハナダ)の帯に歌を書付神前に懸候を、うつくしき女郎の寄りて詠じ候内(ウチ)に、扨は早契を結ぶなどゝ申せば、何の彼のと問答致しつるが、二人ながら人蔭にかくれて候。其時男申やう、御神の御誓ひもむなしくなりゆくなどゝ恨み申立かくれて候が、若左様の御事にて神輿の御上りなるかと今思ひ当りて候」。ワキ「シカ〳〵」。「尤にて候。頓て御触有ふずるにて候」ト云、立衆神輿ヲ持入。 嵐山 〔末社 乱序 出立如常〕 「かやうに候者は大和の国吉野山の鎮守木守勝手の明神に仕へ申末社にて候。唯今此所へ罷出候事余の義にあらず。嵯峨の天皇に仕へ御申被成るゝ臣下、勅使として此嵐山に御出にて候。其子細は、和州三よしのゝ花は天下に并びなき名花なれは(この四文字を見セ消チ)木にて候へば、御覧有度思召れ候も、遠方十里の外なれば行幸有べき様はなし。所詮此嵐山に芳野ゝ桜をうつし御申被成ずるとて、名にあふ千もとの桜を植おかれて候。今の折から花も盛りなれば急ぎ見て参れとの宣旨により、勅使此所へ御出成て候。然ば誰有て罷出、此花の神木なる謂申べき者も御坐なきと思召れ、木守勝手の明神は仮に花守の姿に御身を現し木陰を清め給ひ、勅使に御対面あり、此花の謂御物語被成て候。誠に珍しからざる申事にて候得ども、吉野山と申は、其古しへ天竺五台山より此国に飛来たる山にて候。されば金峯山(ブセン)と申て正敷金峯山にて候。其後蔵王権現出現し給ひ、霊験あらたなる事申も中〳〵愚なる御事にて候。然ば木守勝手の明神と申も、蔵王権現と一体分身同体異名の御神にて御坐候。されば其山より写し植たる花にて候程に、このあらし山も吉野山とひとしくいづれも守護ある御事にて候。や。是は両山の目出度子細、我等如きもあれに参り彼稀人に御礼申さばやと存る。是は最前に御目にかゝりたる木守勝手の両神に仕へ申末社にて候。然ば我等如きにも罷出、何にてもお慰に一曲仕れとの御事に依、是迄罷出て御坐候が、何と一曲仕ふか、仕るまいか」。跡シカ〳〵如常。舞三段アリ。 六十四 白髭 〔末社 乱序〕 「か様に候者は江州白髭明神に仕へ申末社にて候。唯今罷出る事余の儀にあらず。当今に仕へ御申被成る臣下君に御霊夢の御告有により、勅使として此所へ御参詣にて候。然れども誰有て罷出、当社の目出度子細申上べきものもなきと思召れ、明神は仮に賤しき漁父と御身を現し御出被成、勅使に逢ひ参らせられ、則当社の由来あら〳〵御物語被成て候。実に珍しからざる申事にて候得共、我朝と申は神国にて在々所々に霊神数多地をしめ給ふとは申せども、中にも当社と申は、人寿六十歳のはじめより此湖水のほとりに住給ひ、此水海の七度迄あしわらに成たるを見給ひたる程の齢久しき御神にて渡らせ給ふ。然るに今度勅使の御参詣被成る事明神も嬉しく思召れ、舞楽をなして慰め申さふず。殊に今宵は天燈龍燈の神前に来現の時節なれば、是又勅使に拝み給へとの御事にて候。夫につき我等ごとき末社も罷出、彼稀人にお礼を申、また何にてもお慰に一曲仕れとの神託により是まで罷出た。先あれへ参りお礼申さばやと存る」。シカ〳〵。「是は当社明神に仕へ申末社にて候。先以此度の御参詣目出たふ存る。夫に付明神は舞楽を奏し慰め申さふずるとの御事にて候。其間に我等如きにも罷出、何にてもおなぐさみに一曲仕れとの御事により、是迄罷出て御坐候が、何と一曲仕ふか、但仕るまいか」。跡如常三段。 六十五 望月 〔中入ノ云立。宝生流九ノ所ニ文句アリ〕 六十五 山姥 〔奥ノ語。イロ〳〵云テ〕 「慥に左様に承ては御坐れども、左もあるまいと仰らるれば是非もない。又或智識の物語を承るに、卵胎湿化四生とて、生類の品々を法花経にも説給へり。中にも化生の類を尋るに、百歳の狐は美女と化し、千年の松は青羊(ヤウ)と変じ、万年の樹(キ)は青午となると申す。思ひの女の石となり、老たる狐の人と成たる例もあり。惣じて水中にはみづちみづはとて霊物有。深山にはこだますだまといふもの有。又鳥くう獣(キン)類抔と申て、或は一足の小児と現じ、あるひは其たけ九尺斗の人と顕れ、または鼓のやうにみゆる時も有。是皆山の精也と山海経にも有げに候。其外いろ〳〵の姿をなし、形は有れど実体はなしと申時は、山姥もかゝる類(タグヒ)にても候らん。惣じて迷ひの眼より見る時は無キ物も有とみへ、又悟(サトリ)て見れは一切になしとみゆ。有りといはんとすればなし、無しといわんとすればあり。有ともなし共一説に定がたし。去(サル)によつて怪しきを見てあやしむときは怪しく、あやしまざれば怪しからずとも有げに候。然れども夫は智者のうへの事。我等ごときの合点の参ぬ事にて候。扨あれに御坐候はいかやうなる御方にて候ぞ」。ワキシカ〳〵。此跡ハ如常。 六十六 融  〔禁裏様ニテカザシ。「君まさで」。上掛リハ「立のぼる」。下掛リハ「跡ふりて」。〕 六十七 能間来序之分 嵐山〔末社〕 白髭 白楽天 九世戸 真無原 志賀 源太夫 松尾 熱田 寝覚 七夕 加茂〔末社〕 難波〔乱カ〕 道明寺 鵜祭 富士山 呉服 雨月 鵜羽 信夫山 咸陽宮 小鍛冶 春日龍神 大六天 飛雲 乱序之分 嵐山〔猿〕 白髭〔道者〕 加茂〔御田〕 養老 江嶋 生贄 氷室 和布刈 孫思伯 難波 竹生嶋 放生川 浦嶋 大会 金札 愛宕空也 車僧 △鶴亀 絃上 鞍馬天狗 西王母 大蛇 △小鍛冶〔猿〕 大施太子 護摩 △春日龍神〔猿〕 大般若 松山 是界 常陸帯 一角仙人   紅葉狩 間ノ出端真ノ来序。太鼓口伝有。狂言ニ真ノ来序此一番ナリ。 石橋 間ノ出ハ草ノ来序。狂言草ノ来序是一番ナリ。此アイ近江国佐々木六角殿ニテ石橋有シ時ヨリ早鼓ニナル。 六十八 間無之分 蟻通 清経 生田敦盛 景清 経政 熊野 千寿 杜若 鸚鵡小町 関寺 卒都婆 通小町 隅田川 舞車 照君〔金春ニアリ〕 柏崎 桜川 花筐 歌占 三笑〔宝生ニ口明〕 羽衣 松山鏡 谷行 飛鳥川 六十九 遠キ能間  〔ラウジ紙片カナ本ニアリ。木火土金水相生慶、七冊ナリ〕 刀〔慶〕 濡(ヌレ)衣〔慶〕 現在熊坂〔慶〕 縄鈴木〔慶〕 子守〔木十九〕 箱崎〔木十〕 熱田〔火二十一〕 貞任〔土十六〕 野口〔土十四〕 河原太郎〔土十五〕 橋姫〔金二十五〕 浜川〔水九十三〕 桜葉〔水九十五〕 玉取〔水九十八〕 守屋〔水八十一〕 会盟〔水七十七〕 斎藤五〔水九十〕 身売〔水五十二〕 樒塚〔水五十八〕 長兵衛〔水八十六〕 太木〔水八十九〕 局六代〔水五十〕 浦壁〔水百壱〕 寒山〔水八十二〕 植田〔水八十四〕 楯〔建カ〕尾〔菊池共〕〔相生三十八〕 馬乞佐々木〔相生三十一〕 菅丞相〔相生五十一〕 巌洞〔相生三十九〕 岡崎〔相生四十一〕 桜間〔相生三十五〕 半蔀〔アシライ 立花供養〕 七十 江ノ嶋道者 〔乱序〕 能力「か様に候者は、相模の国江の嶋の天女に仕へ申者にて候。只今罷出る事余の義にあらず。今の折柄天下安全の御代なれば、国〳〵よりも御信仰あり、参り下向の人々は夥敷御事にて候。今日は某の番にて候ゆへ勧進に罷出て候。誠に申もおろか成御事なれども、当嶋の子細と申は、昔天地俄に震働して雲霧棚引何共見えわかず、童子の如きの人弐人こくうを飛かける。漸空を見れば海上に一つの嶋出来たり。則江のしまといへり。其後諸神御影向有。取分天女跡をたれ給ひ、龍の口の明神をいさめ給ひ国家の守りと成給へと有て、御心をあわせ天下を守り給ふに依て、一たび御参詣の輩は何事につけても諸願成就する事うたがひもなき御事にて候。や。是は当嶋のめでたき子細今日は空も晴れ申て候。定て参詣の人も数多御坐ふず。まづ是に休らふて勧進を致ばやと存る」。笛ノ上ニ居。次第。〔道者大勢出ル。此類同事〕結びし講の末とげて〳〵江のしままふで急がん」。「是は西国がたの者にて候。年月弁天講をむすび願成就致し、いつくしま竹生嶋へ参り、是より直に江のしま参詣仕り候」。道行。「住なれし宿はいつしかわすれはて〳〵足にまかせて行程に名のみ聞し相模成嶋の辺りに着にけり」。立頭「急ほどに江のしま近くについた」。立頭「のふ〳〵いづれもはじめて不案内な。是から案内者を頼ふでゆるりと参詣致さふ」。「夫がよふ御坐らふ」。「是に家居が有。尋てみませふ」。「よふ御坐らふ」。〔案内乞。船頭楽ヤヨリ出ル〕 船頭「案内とはどなたで御坐る」。「是は江のしまへ初て参詣の者で御坐る。案内者を頼たふ御坐る」。「夫はあひよく御坐る。某は此所の舟頭で御坐る。船に召れまいか。但し陸がよふ御坐るか」。「いづれもへ談合致さふ。しばらく待て下され」。「心得ました」。「のふ〳〵案内者を頼ましたが、いづれも船にめされるか、陸をゆかせらるるか」。「けふは天気もよふ御坐る。其上草臥ました。舟がよふ御坐らふ」。「夫ならば船を出させませう」。シカ〳〵。「夫ならば舟を出して下され」。舟頭「心得ました」。〔楽ヤヘ入舟ヲ持出ル〕「良所へ尋まして一段と御坐る」。「是は幸の事で御坐つた」。舟頭「さあ〳〵船に乗らせられ」。シカ〳〵「いづれも乗らせられ」。立衆シカ〳〵乗ル。船頭「追付船を出しまする。ゆるりと御坐れ」。シカ〳〵「扨いづれもはどれから参らせらるゝ」。立頭「西国がたの者で御坐る」。セン「扨〳〵夫は遠ひ所を奇特によふ参らせられた。此所には八景が御坐る。ゆるりと逗留して見物させられ」。立頭「いづれ見渡した所はよい風けいで御坐る」。セン「みな名所で御坐る」。立衆「扨〳〵よい気色で御坐るのふ」。立衆「けふは天気もよふて一入面白ひ事で御坐る」。「何かといふ内船が着た。是が江のしまで御坐る。上らせられ」。シカ〳〵皆上ル。「是からは程近ひ。宮守達を頼ふでゆるりと参詣させられ」。「忝ふ御坐る」。「戻りにも某のふねに乗らせられ」。「又戻りにも頼ます」。「さらば〳〵 〳〵」。「扨〳〵よい舟頭に逢まして仕合で御ざつた」。「よい案内者にあひました」。能力「殊の外参詣の音がする。のふ〳〵いづれもはどれからの参詣で御坐る」。「西国がたの者で御坐る。初てゞ御坐るほどに案内を頼みます」。「先こふ御坐れ」。シカ〳〵廻ル。〔「遠国より奇特に参らせられた」。「講を結びいつくしま竹生嶋へ参けい致し、今日は当嶋へ参り悦ばしひ事で御坐((ママ))」〕「いや何かと云うちお前で御座る。いづれも天部のお姿を拝みたふは御坐らぬか」。「ならふ事ならばおがみたふ御坐る」。「夫ならばまづ下に御坐れ」。〔印ムスビ戸開ク〕「是が天部のお姿で御坐る。心静に拝せられ」。「扨も〳〵有がたひ事で御坐る」。「お姿を拝みまして一入信心も弥増事で御坐るのふ」。シカ〳〵皆立テ「是は面白ひ所で御坐る」。「よい風景で御坐る」。「此当りには鵜が夥敷おります」。「誠におびたゝしい鵜で御坐る」。能力「是に付て不思義が御坐る」。「夫はいかやうな事で御坐る」。「志の信者が参らせらるれば、末社のまとりが出させらるゝ事で御坐る」。「夫には子細が御坐るか」。「則鵜の事で御坐る。鵜と申物は目出たい物でむかし神代の時ほゝでみの尊の尊((マ)の(マ))皇子生れさせ給ふ時、御うぶやを鵜の羽にてふき給へば、忽皇子生れ給ふ。うぶやふき合せずの尊と申。左あるに依て、鵜は当嶋のつかはしめで御坐る。いづれも信をあかせられ」。「夫は難有事で御坐る」。「か様に申内に異香くんじ只ならぬ気色で御坐る。是は各の信心が深ひゆへ慥にまとりの出させらるゝけしきぢや。是へ寄て御坐れ」。シカ〳〵下ニ居。〔シテ一セイニテ出ル〕一セイ「抑是は江のしまの天夫に仕へ申まとりの精にておりやります」。立頭「是へ御出被成たはいか成御方で御坐る」。「鵜の精成が則末社の神にて有ぞとよ」。立頭「あら有がたや。先こう御来臨被成ませう」。シテ「心得た」。「迚の事に御徳のありがたひ謂を承りたふ存ます」。シカ〳〵。シテ「語て聞せふ。よう聞け」。「はあ」。シテ「いで〳〵さらば鵜の徳をかたらん」。働打上テ、地「いで〳〵さらば」。跡ハ末社通。 放下僧 〔呼出シ。春藤流、高安流ニテモ有之〕 放下僧 ワキ「いかに誰か有」。狂言「御前に候」。「瀬戸の三島へ参ふずるにて有ぞ。汝壱人供仕り候へ」。「畏て候」。「子細の有間路次にて某の名字ばし申候な」。「心得申て候」。楽ヤ向テ「やい〳〵そこ本にどゝめくは何事ぢや。何放下の有が近比面白ひといふか。急で申上ておめにかけやう」。ワキノ前へ行。「いかに申上候。あれに放下の候が一段と面白きよし申候。是へめして御覧有ふずるにて候」。ワキ「いや〳〵左様の者は無用にて有ぞ」。「いや〳〵苦からぬ。ひらに御覧有ふずるにて候」。ワキ「只無用に仕り候へ」。「畏て候。扨も〳〵是は一目見たい物じや。いやあ思ひつけた」。楽ヤ向テ「やい〳〵左様の者は無用にて候。去ながら某が一目見たい程に其放下をそちへ遣るやうにてやらひで急でこなたへ通し候へ〳〵」。跡ハ本ノ通リ。 〇「そちがおかしくはこちもおかしからふ迄よ」ト云葉((ママ))済テ、ワキ「近比面白き者にて候。路次を友なふわさふずるよし申候へ」。「畏て候。近比面白き人にて候間、路次を友なわふずるよし申され候」。ワキ切戸ヨリ入。狂言モ入。 半蔀 〔長上下。立花供養。アシライ〕 脇壱人間、付テ出ル。太鼓座に付。名乗テ「門前の人の渡り候か」。呼出ス。尤舞台真中間名乗坐之上ニ片ヒザツキ。「御前に候」。ワキシカ〳〵。「畏て候」。ワキシカ〳〵。「心得申て候」ト云テ後見坐へクツログ。楽屋ヨリ一丁台切花ノカゴニ立花正面真中へスユル。間名乗坐ノ上ヨリ「皆々承り候へ。当寺に於て一夏九旬の間立花をなされ仏前に手向御申被上成候が漸々夏中も過候へば今日花の供養をなされ候間心ざしの面〳〵は美き花を集、何も御堂へ参られ候へ。其分心得候へ〳〵」。触レテ立花ヲ見テ「扨も〳〵今日の立花は取わき見事な草花にて候。先此由上人へ申上うずるにて候。いかに申上候。今日はとりわき美事成立花を手向申されて候」。ワキシカ〳〵。さらば我等もあれにてちやうもん申さふずるにて候」。太鼓坐ニ居ル。 中入後。「扨も〳〵今日の御供養に参詣の輩いづれも難有度存事にて候。いかに申上候。今日の御供養参詣の輩別して難有存候。就夫今日御供養の砌上人独事を被為仰候とて皆人不審をなし候が、是は如何様成御事にて候ぞ」。脇シカ〳〵。引続「伊勢物語り之内に夕顔の事語て聞申さふ」ト言テ脇ノ語過テ「なんぼう哀成物語にては候わぬか。扨も〳〵哀れ成御物語。我等如きの賤敷者承たる事は唯今始にて落着仕候」。ワキシカ〳〵。「五条当りへ尋る」ト云。 「成程御尤にて候。さあらば我等も御跡をしたひ参らうずるにて候」ト云テ本幕ニテ入ル。  右ハ去慶応元年丑八月十三日於京竹内幸流糟谷伝次郎興行之砌観世流ニテ勤ル。 脇福王流鈴木源次郎始テ勤。尤脇格別ノ習事。其節シテ方ヨリ被相頼信茂相勤ル。  〔片山九郎右衛門弟子〕野間亀之助 半蔀 鈴木源次良  北脇善助  〔立花供養〕  〔夕顔之上ノ語〕   間 野村又三郎 石橋 〔間乱序ナシ〕 紀州獅子ノ形 〔シテ中入乱序ナシ。二ノ松立迄中入過テ杖ツキ出テ〕〽あら奇特の折柄やな。文殊菩薩の来向も今此時かや。あら難有の時節やな〽ト一ノ松迄出テ正面ニテ止リ 「只今罷出たるは天竺五台山青龍山大聖文殊に仕へ申ものなり」ト名乗リ坐へ出テ止ル。「是へ出たる事は余の義にあらず。日本大江の貞元出家し」跡語リ石橋同断。語リ之内ニ心持有リ。口伝。扨止ノ言葉「獅しとらでんの舞楽をなし彼の法師を慰め申べしとの御事也。皆々此土に住人界又鳥るいちくるひに至る迄かゝる奇特を拝見申候へ。我等も是に居て見物いたそう。やあ〳〵早影向之時節と申か。あら難有や〳〵」ト云テ本幕ニテ入ル。 右石橋ハ往古ヨリ紀州家之秘義〔ニテ大夫高村何某ニ〕有之処、今般大坂住金剛流高村太衛門紀州ヨリ相伝ヲ受始テ中ノ島三翠柳館ニテ出勤スル。右同人ヨリ之頼ニテ八代目信茂相勤ル。 明治廿年九月十八日   高村太左衛門             谷市進  瀬本源之丞 石橋   根津真次郎             高田栄久 森田 操  紀陽獅子        間         野村又三郎 但文政三年春尾州奥御慰御能之節、寺田左門石橋被御仰付候節、乱序ナシニテ間相勤可申有ニ付和泉慰礼之上六代目信興又三郎前々次第ニテ相勤候也。役割ハ番組帳ニアリ。 一 明治二十三年五月東京表ヨリ観世清孝殿死去後、子息清廉殿今般始テ下坂ニテ名弘メ催之節、同人石橋大獅子被相勤候ニ付能間ノ儀段々依頼ニ付、前年之紀陽之例ヲ以相勤ル。此度ハ観世ヨリ之依頼ニテ末社頭巾鳶之面ニテ相勤ル。 廿一年七月十五日橋岡忠三郎舞台ニテ   観世清廉    連 大西鑑一郎              谷 市進  永田力三 石橋    赤松美矩               小畠倉之助 野口貞次    大獅子   前通    恒岡寛之助   小獅子      間  野村又太郎    保野番次郎   〻    藤村学知       小西新右衛門            市進    木曾              野口光規            野口貞元  願書 右之能両番共此度始テ出ル。 明治廿七年六月十日ヨリ名古屋於博物館舞台開キ之際、   観世清廉            大蔵六蔵 鬼頭天遊 石 橋 西村大蔵             角田銘二 藤田米二郎  大獅子         間  野村又三郎  野村広之助             河村鍵三郎 今般山脇元清出勤ニテ乱序ナシ之間仙人三人之出立ニテ相勤ル。出端紀陽獅子之通リ一ノ松ニテ名乗リ「此度日本大江之貞元出家し寂照と申人入渡して今此石橋迄参り給ふ。夫に付大聖文殊より被仰出事候間何れも呼出し談合致う」。アド呼出ス。シカ〳〵。出ル。「先爰通らしませや」。二人シカ〳〵。夫ヨリ語リ前之通リ。「此度文殊より被仰るゝには、か様の奇特はためし少き事なれば我等如きも罷出、舞楽を為と申との事じや」。「扨〳〵夫は難有」ト云、先石橋之ホトリヘ行。「さあ〳〵こひ」。シカ〳〵。「誠にか様の事は終に聞た事もなひ」。「そなたの云通り此年に成も聞た事もなひ」。「実々妙なる事じや」。シカ〳〵云テ順ニ大廻リ、扨正面ニ一帖台二ツナラベアル真中リヲモ行テ「いや何かと云うちに石橋のほとりへ来た」。シカ〳〵。「はあゝあれ〳〵。牡丹花之盛じや」。二人「実に美事じや」。「此様之事も有うかとおもふて瓢を用意した。先一つ呑、下におれやれ」。シカ〳〵。夫ヨリ瓢を呑廻ス。銘々次デ吞、二杯目ヨリ諷。「呑ばかんろも斯やらん」ト同音ニテ諷。同三盃呑、「いこう酔」杯云。其内ヲモ立テ「やあ〳〵何と有ぞ早獅子がずると云か。いやのふ〳〵早獅々が出」と云。二「何獅子がずるか」。三「是は何としたもので有うぞ」。「我等がおもふは舞楽もみたけれど此様に酒に酔て若獅子之勢ひに当てけがをしてならぬ。いざ和歌を上て住家へ行」。「夫が能よう隠て和歌をあげましませ」。「心得た」。上ツヨク「獅子とらでんの時移り」。三人「霊香くんじて何となく物すさまじく成ぬれば又こそ爰に来らめといさみを出して帰りけり〳〵」。此後ト心持アリ。三人共本幕ニ入。   各三人装束附 ヲモ   長頭巾内へ 白垂上リ髭 中啓      小格子着附色ナシ 唐織 壺折      括木ノ枝ニ瓢ヲ附テ右ノ手ニツキ出ル 二ノアド 末社頭巾 鼻引 中啓 ソバツギ      色ナシ唐織 ソバツギ 下袴 三ノアド 同断 面ケン徳ニテモ 中啓 ツヱ      同断 着附浅黄肩衣下袴 明治三十一年四月一日従京都大坂太閤三百年御忌ニ付東京能楽堂御係リ華族御同従ニテ三ケ日之間大能奉納。東京四座并ニ喜多流師家不残出勤。狂言和泉流大倉弐家之弟子不残出勤ス。番組別ニ有。各惜所今般阿弥陀ケ峰ニ御石塔ヲ新建、其麓ヲ太閤平ト唱、此所ヘ舞台ヲ新築。四間半面橋掛リ九間、鏡ノ間、其外楽家等凡百五十帖不残新築。則四月廿九日初日。尤御前掛リ御能始マリ。ノシメ長上下。午前正八時ニ翁式出ル。三ケ日共無滞御相勤ル。誠ニ大恩成テ前代未聞ト云ベシ。前後ニハ稀ナル事。廿一日黒田公之之御思召ニテ京大坂素人奉納能一日之内 豊国詣ト云能金剛二往古有シ由ニテ今般広瀬亀之助誠之助ヘ尒礼之上相勤ル。然ルニ七月十日従大坂中之島豊国神社正遷宮ニ付有之。能観世流大西亮太郎相勤ルニ付能間依頼ニ付当流ニテ相勤ル。 豊国詣間 中入前ハ尉物ニテワキ先大官之様、初シテ掛合有テ中入。 「か様に候者は伏見の里に住居する者にて候。某宿願の子細有て豊国山へ日参仕候。今日も参らばやと存候。誠に見渡る四方山の花も今を盛と見へ候。いやあれに見なれぬ御方之御入候。いかに申候。此渡りにては見なれ不申候が何方よりの御参詣にて候ぞ」。ワキ「実尤もにて候。我らも折々参詣致候が何となく此山のなつかしさに今に立去ず候。まづ近う寄て御身の存たる事語れ候へ」。「我らも委敷事は不存候へ共、仰にて候程に見聞(ケンモン)仕たる事荒増申さふずるにて候。御存知之如く此山は阿弥陀ケ峯と申て洛中洛外目の下に有は申迄も御坐なく、近国の山々浪花の海かけて手に取様に見渡されて候。太閤御在世の時此峯に立給ひ都をあまねく詠めさせられ、昔桓武天皇都を平安城と被成、 時に大いなる人形を造り甲冑を着、太刀を佩、東山の頂に埋めて国家之鎮めとし給ひ、将軍塚の如く我も百年之跡は此あみだが峯に止り平安城之鎮めとなり天下安穏を守べしと兼て仰事ありしにより、此所に御社を建て勅賜の御神号により豊国山と申げに候。即是成清水は折々御茶之汲せられ曼荼羅の井と名付給ひよし承及候。又思ひ出せば此麓の方広寺の御建立は扨も夥敷事にて候。西海南海諸山国々の材木を始め、其外目に余大石を山の如く集、大仏殿の棟をば富士の山より伐り出し、駿河の海に浮べ熊御((ママ))浦を経て此所へはこぶ人夫は五百人よ、えいいてうさの□□を掛、囃子物にて漸々運びつけたる有様、前代未聞の事と申べし。まことや大政所が日輪の夢を御覧有て御懐胎有と申せば御威勢の六十余州に輝きたるは更なり。唐土朝鮮までもおぢ恐れしも当然之事にて候。や。よしなき長物語りに時を移して候。はや月出てあみだが峯を照かゝやき扨々有難き事にて候。我らは御暇申、参詣申さふずるにて候」。ワキシカ〳〵。返無候モ。 但シ後シテハ高砂同断言之由。尤脇能物也。   装束 脇能ナレバ   掛素袍 無色段袴 小刀   二番目三番目ナレバ 長上下ノシメ 第壱ノ部 四十四号 車僧 ㊀印之跡立語リ済テ「扨車僧は 本に居るゝ事じや知らぬ」ト順廻リ掛テ脇坐ノ方ヲミテ、シテ柱迄戻テ「さればこそあれに居るゝ。先言葉を係てみやう。車僧〳〵〳〵。のふ車僧。扨々すねい坊主哉。返事もせぬ。乍去是迄来た事じや。依て先笑せて見よふ」ト大小ノ前掛リ謡ニナル。 大小アシライ。浮ニ掛ル。諷「車僧お笑やおわらやれ車僧。笑わふな車僧。くるま僧の鼻さきをあちらへはこそ〳〵こちらへはこそ〳〵お笑やれ車僧。笑はせうぞ車僧。くるま僧の鼻さきを、鼠が子をおうて、あちらへはちよろ〳〵、こちらへはちよろ〳〵、ちよろ〳〵やちよろ〳〵。くつ〳〵やくつ〳〵」。段々脇ノ側へ寄テ、両手ニテ脇ノシタヲクツ〳〵トコツ((ママ))クル。脇中啓ニテ手ヲ打。「あいた〳〵 〳〵」トシテ柱へ戻リ手ヲサスル。 「扨も〳〵恐しひ人じや。今の程いろ〳〵とすれ共ひるまぬ。あ((ママ))さへほつすを持てしたゝかちよちやくせられた。兎角禅法はいたひものと見へた。中々此位では成まい。急ぎ此由大天狗へ申ばやと存る」。跡ノ行リハ四廿四ニアリ。 能間書 三冊 同古書 壱冊 増補  壱冊 右補益而都五冊  天保十五年甲辰六月 信喜 (〔単郭朱印〕信喜之印) 【図①】第一冊〈加茂 御田〉 【図②】第一冊〈玉井 貝ヅクシ〉 【図③】第一冊〈自然居士〉 【図④】第一冊〈籠太鼓〉 【図⑤⑥】第一冊〈俊寛〉 【図⑦】第二冊〈自然居士〉 【図⑧】第二冊〈常陸帯〉 【図⑨⑩】第二冊〈輪蔵〉 【解題】  法政大学能楽研究所蔵。笹野堅氏旧蔵。江戸中期以降、野村又三郎家に伝来した和泉流間狂言の伝書二冊。写本。第一冊は寸法が一四・八×二〇・八糎。栗皮表紙。四つ目綴の袋綴本。墨付六五丁。遊紙二丁。片面二〇行。薄様紙。壱〈高砂〉から六七〈俊寛〉まで、会釈間と替間の型附・詞章、登場人物の装束附を詳細に記述している。第二冊は寸法が一四・八×二〇・九糎。栗皮表紙。四つ目綴の袋綴本。墨付五五丁。片面二〇行。薄様紙。目録では壱〈絵馬〉から廿九〈右近〉までと三十〈東母朔〉から七十〈江の嶋〉までに分割されているが、六十七は「能間来序之分」「乱序之分」、六十八「間無之分」、六十九「遠キ間」は曲名の列挙、また七十〈江ノ嶋〉道者の後は通し番号を付けずに〈放下僧〉〈半蔀〉の型附、さらに明治期の〈石橋〉大獅子の上演記録と型附、明治三一年(一八九八)の太閤三百年祭とその時の演目〈豊国詣〉の間狂言の詞章と装束附、第一部第四四号の〈車僧〉(第一冊の通し番号は廿七。あるいは散逸した「能間書」の内か)に関連する型附へと続いている。  その最後、第二冊の識語に「能間書三冊/同古書壱冊/増補壱冊/右補益而都五冊/天保十五年甲辰六月 信喜(判)」と記されていて、本来は五冊揃の伝書であったらしい。二冊とも表紙題簽はなく、第一冊冒頭に「古書也」と記され、第二冊冒頭に「能間増補五」(朱書)と記されている。これらのことから、第一冊は「古書壱冊」、第二冊は「増補壱冊」に該当すると見られる。「能間増補五」の「五」は「増補」の五冊目ではなく、全体で五冊ある伝書の五冊目を意味することになる。また第二冊の目録は「間増補」と題され(墨書)、題の下に「信興ノ書入張紙等ヲ爰ニ写ス」と朱書されている。前述した最初の部分、壱〈絵馬〉から廿九〈右近〉までは野村又三郎六世信興の書き入れ・貼り紙の集成である。目録の廿九〈右近〉と三十〈東母朔〉との間には一行分の空きが確保され、墨書の目録の中に「是ヨリ後ハ信喜続補」と朱書されている。第二冊前半の増補を信興が行ったということは、「能間書三冊」「同古書壱冊」の本来の著者は五世信成以前、累代の又三郎と見なされる。そして信興の増補は書き入れ・貼り紙の体裁であったのを、天保一五年(一八四四)に「増補壱冊」として整えたのが識語に自署する八世信喜であった。  第二冊には江戸・京都・大坂等の上演記録がしばしば挿入されるが、その多くは確かに信興時代のものである。また第二冊の廿六〈一角仙人〉の乱序のない時のアイの演じ方は、文化六年(一八〇九)に尾州元貞君(尾張藩抱えの和泉元貞。信興とほぼ同年齢)から教示されたままを記したものであり、同じく三十六〈砧〉([シャベリ・触レ][問答]の全文)は曲名の下に「元貞家之うつし」であると記されている。本書ではこの信興を「六代目」と数えている。信興没後に家督を相続し、ほどなく早世した信名を挟んで、本書第二冊を編集した信喜を七世に数える。信喜は信興の弟子で養子となった経緯もあり、信興の仕事を着実に継承するために伝書の編集を志したと推測される。本書第二冊にはさらに信喜の子信茂を「八代目」と数えている。この信茂は明治四〇年(一九〇七)まで生き(七二歳)、第二冊の終わり近く、慶応・明治の上演記録を交え、通し番号を付さない部分を、父信喜の「続補」の続きとして加えている。こうして野村又三郎家の増補は信興・信喜・信茂の三代かけて現存の形に到達した。  その他、本資料二冊には、番外曲を数多く含み、型附・装束附を詳述し、替間の例が豊富である。また他流(大蔵流・鷺流)の演技、他の役籍との関係、上掛リ・下掛リの区別、貴人観覧時の演出などに言及することが少なくない。江戸期・明治期の能・狂言の実態・状況を具体的に知る上で有益な資料であるといえる。 (倉持長子・西村 聡)